奥渓家 (京都市上京区)
Okutani family house
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長屋門


長屋門



母屋入口



 茅葺の長屋門が南北に建つ奥渓家(おくたにけ)は、「梅軸軒奥渓以三薬房(ばいじくけんおくたにいさんやくぼう)」、「御典医下屋敷祉」とも呼ばれている。 
◆歴史年表 江戸時代、1620年、奥渓家初代・以三は、徳川2代将軍秀忠の6女・徳川和子(後水尾天皇の中宮、東福院門) が入内した際に御供し、京都に移住した。本邸は一条烏丸にあった。
 1678年以降、以三は東福門院没後に家禄を返上し、現在地の下屋敷の別荘に移り住んだ。
 その後、2代-8代はこの地で医業、4代-7代(8代とも)は仁和寺門跡の侍医になる。
 現代、1983年、1984年、奥渓家下屋敷跡に残る長屋門と主屋(母屋)の二棟は、京都市指定有形文化財指定された。
◆奥渓以三 江戸時代の御典医・奥渓以三(?-1712)。中庵。奥渓家始祖。豊後竹田領奥渓の生まれ。父は豊後の大友宗麟の子・キリシタン大名(後に棄教)・義統(よしむね、1558-1610)の正室・吉弘の甥。徳川家の御医師・曲直瀬(まなせ)玄朔(正紹、1549-1631)の弟子。1620年、徳川二代将軍秀忠の六女・徳川和子(後水尾天皇の中宮、東福院門) が入内した際に侍医として京都に移住した。初めは一条烏丸角に居を構えたという。東福門院没後、家禄を返上し、当屋敷の別荘に移り住んだ。
◆奥渓家 奥渓家は御典医・以三(中庵)に始まる。
 代々の医家を努め、2代-8代はこの地で医業、4代-7代(8代とも)は仁和寺門跡の侍医になる。
 「蘇命散」「たくま」を現在も製造販売している。
 現在、初代以来の家伝薬、漢方薬の煎薬「根元蘇命散」が販売されている。これは東福門院のお産の際に服用され、婦人病に効能があるという。「逞(たくま)」は蘇命散の煎薬であり、13種の薬が配合されたものを粉末精製している。
◆建築 「長屋門」は江戸時代、1620年頃に建てられた。1724年に焼失し、1726年に再建された。戦後、1945年に南3間(約5.4m)が取り壊されている。腰は黒板の下見、上部は白壁、武者窓が開く。間口11間(20m)。片端は母屋造。
 「主屋」は、木造2階建、瓦葺、煙抜き付になる。台所、書斎、座敷、茶室などがあり、本玄関、中玄関、玄関、供侍、台所大戸口など複数の出入り口がある。かつて、門内に仲間屋敷、馬丁小屋などが建てられていた。
 「台所」」は江戸時代、1666年-1716年に建てられた。その後、増改築が繰り返されている。幕末に現在の形になったとみられている。
 奥渓家下屋敷跡に残る「長屋門」と「主屋(母屋)」の2棟は、江戸時代期中期の町家様式を残しており、1983年、1984年に京都市指定有形文化財に指定されている。
◆文化財 古文書、曲直瀬玄朔より中庵に宛てた書簡。漢方薬製造の器具も残されている。
◆キリシタン 奥渓家は、キリシタンとの関わりが深いともいう。
 周辺にはかつて小さな聖堂があり、キリシタン弾圧により焼き払われたともいう。キリシタンの墓石も出土している。


*非公開。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『増補版 京都の医史跡探訪』『京都大事典』『京のキリシタン史跡を巡る 風は都から』『京都歴史案内』



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 奥渓家 〒602-8368 京都市上京区北町573,天神道上ノ下立売上る西側  075-461-1916
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