児神社 (京都市右京区)
Chigo-jinja Shrine
児神社 児神社 
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 広沢池西畔に小社・児神社(ちご じんじゃ)がある。児社(ちごのやしろ)ともいう。 
 祭神は遍照寺を建立した真言宗の寛朝を祀る。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 平安時代、989年、寛朝(かんちょう)は広沢池畔、嵯峨富士といわれた遍照山山麓の山荘を改め、遍照寺を建立した。当時は壮大な伽藍を有する寺院だったという。
 998年、寛朝没後、遺された侍児が悲観し、広沢池に身を沈めたという。
 その後、近在の人々は児を哀れみ、社を建立し児神社と称したという。
◆寛朝 平安時代中期の真言宗の僧・寛朝(かんちょう、916-998)。第59代・宇多天皇の皇子・敦実親王の子。遍照寺僧正、広沢御坊ともいう。祖父・宇多法皇の下で11歳で出家得度し、寛空から両部灌頂を受けた。939年、平将門の乱平定の祈祷により鎮護のために、940年、成田山新勝山を開山した。981年、宮中での第64代・円融天皇の病気平癒祈祷の際に、眼前に不動明王が顕れ、たちどころに治癒したという。987年、第66代・一条天皇の勅により、六大寺の僧を東大寺大仏殿に集め、降雨を祈願すると、翌日夕刻、大仏殿に遠雷轟き大雨になったという。989年、広沢池畔、遍照山山麓の山荘を改め、遍照寺を建立した。
 真言宗古義派の根本二流のひとつ「広沢流」の始祖となり、遍照寺はその本源地になった。広沢流は後に6流に分かれた。仁和寺、西寺、東寺などの別当に任じられ、第61代・朱雀天皇などの歴代天皇の戒師、潅頂の阿闍梨も務め、真言宗初の大僧正になる。一律上人より声明を学び、密教声明を整え東密声明道の中興と称された。
◆遺構 平安時代、998年、寛朝が没すると、遍照山山腹の老松から、龍となり静かに昇天していく姿が見えたという。遍照山山腹には、寛朝の座禅石と伝えられる石、登天松、墓があるという。
 境内には、寛朝が広沢池畔での座禅の際に、傍らで児が常に腰掛けていたという石椅子がある。椅子に座ると、長命、安産、縁結びの願いが得られるという。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都大事典』
 

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石椅子、「ちこの宮 ちごは安けく 生ひ立ちて 神の恵みの ふかきをそ知る 永休」 

社は広沢池に隣接する。左の山は池の北にある遍照寺山(231m)、千代原山、朝原山、寛朝山とも呼ばれた。
 児神社  〒616-8351  京都市右京区嵯峨釣殿町28-1  
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