地蔵院 (竹の寺) (京都市西京区)
Jizo-in Temple
地蔵院 (竹の寺) 地蔵院 (竹の寺) 
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山門までは楓が植えられている。


「静なる心の中や松陰の水よりもなお涼しかるらむ」、細川頼之(「新後拾遺集」)


参道の孟宗竹の林


本堂、1935年に再建


本堂




中門、左手に方丈がある。江戸時代、1686年再建。


開福稲荷大明神


開福稲荷大明神


宗鏡禅師墓


宗鏡禅師墓


細川頼之墓、地蔵院を訪れ剃髪した際に残した七言絶句「人生五十愧無功、花木春過夏已中、満室蒼蝿掃難去、起尋禅榻臥清風」。
 人生五十功無きを愧(は)ず、花木春過ぎて、夏已(すで)に中ばなり。満室の 蒼蝿(さうよう)掃へども去り難く、起(た)って禅榻(ぜんとう、腰掛)を尋(たづ)ねて清風に臥(が)せん。(「海南行」)
 洛西、衣笠山北東麓に地蔵院(じぞういん)はある。かつてこの地に、衣笠内大臣・近衛(藤原)家良の山荘が営まれたことから、山は衣笠山(きぬがささん)と呼ばれる。
 本堂に至る参道両脇、本堂奥に竹林が続き「竹の寺」と呼ばれている。本尊の地蔵尊が安置されていることから「谷の地蔵」とも称された。山号は衣笠山(いりゅうざん/きぬがささん)という。
 臨済宗単立。本堂に本尊・延命安産地蔵菩薩(谷の地蔵)を安置する。
 御朱印(13種類)が授けられる。
◆歴史年表 鎌倉時代、この地には、歌人で衣笠内大臣・近衛(藤原)家良(1192-1264)の別荘が営まれた。
 南北朝時代、1367年、1368年とも、室町幕府管領・細川頼之(1329-1392)により地蔵院は創建された。開山は頼之が帰依した碧潭周皎(へきたん しゅうこう、宗鏡禅師)、勧請開山は碧潭の師・夢窓疎石とし、碧潭は2世となる。
 室町時代、一休(いっきゅう、1394-1481)が少将の頃、当寺で修養したともいう。
 北朝系三天皇(3代・崇光、後光厳、後円融)の御願寺になる。細川氏の庇護により所領も拡大し、一時は相次いで伽藍が建立された。境内17万㎡、塔頭3、末寺23(26、16とも)、諸国に領地54を誇り隆盛を極めた。
 1469年、応仁・文明の乱(1467-1477)では、境内に西軍の兵舎が置かれ、畠山義就の兵火により焼失している。
 その後、皇室と細川家の支援により復興された。
 安土・桃山時代、1585年、震災被害に遭う。
 江戸時代初期、1686年、1704年とも、14世(144世とも)・古霊和尚は細川家の援助により現在の方丈を再建する。庭園が造られた。江戸時代、子院・竜済軒、延慶庵のみがあった。
 近代、1888年、境内にあった子院・竜済軒、延慶庵を合併する。
 1935年、現在の本堂が再建される。
◆近衛家良 平安時代-鎌倉時代の官人・歌人の近衛家良(このえ いえよし、1192-1264)。藤原、衣笠。大納言・藤原忠良の二男。号は衣笠内大臣・衣笠内府主。侍従・左少将、1206年、右中将。1224年、中納言。1227年、権大納言。1237年、大納言。1240年、内大臣を歴任。若くして藤原定家の門弟となり、後鳥羽院(第82代)、第84代・順徳天皇の内裏歌壇などに参加した。1214年、「月卿雲客妬歌合」などに出詠。1262年、続古今集の撰者の一人に加えられ、完成前に没した。新三十六歌仙の一人。
◆碧潭周皎 鎌倉時代-南北朝時代の臨済宗の僧・碧潭周皎(へきたん しゅうこう、1291-1374)。土佐に生まれた。禅助(ぜんじょ)に密教を学び、大阿闍梨となる。やがて禅宗に転じ、夢窓疎石の法を継ぐ。1342年、西芳寺住持、諡号は宗鏡禅師。
◆細川頼之 南北朝時代-室町時代初期の武将・政治家・室町幕府管領の細川頼之(ほそかわ よりゆき、1329-1392)。三河に生まれた。足利氏の一門・細川氏の武将として、1336年、足利尊氏が後醍醐天皇に叛旗を翻し九州に敗走する際に、四国の南朝方と歴戦した。足利将軍家の内紛に起因した観応の擾乱(1350-1352)では幕府方に属した。1367年、幕府執事・管領として入洛し、幼少の足利義満を補佐した。花の御所の造営、室町幕府が荘園、公領の年貢半分の徴収権を守護に認めた。1368年、半済令(はんぜいれい)の施行、南朝との和睦などを行う。だが、義満に疎まれ、1379年、権力奪取事件の康暦の政変で失脚、領国讃岐に退隠、その後、地蔵院で剃髪出家した。1391年、明徳の乱で山内氏を討ち戦功をあげた。後に、再び義満の信を得て幕政に復帰する。
 和歌、詩文、連歌を心得る。幼少期に臨済宗の禅僧・夢窓疎石より影響を受け、京都・景徳寺、地蔵院、阿波・光勝寺などの禅寺の建立も行う。
 碧潭周皎に帰依した頼之の墓所は遺言に従い地蔵院境内、碧潭周皎の墓の隣にある。「細川石」と呼ばれている。
◆一休 室町時代の臨済宗大徳寺派の僧・一休(いっきゅう、1394-1481)。一休宗純(そうじゅん)。京都に生まれた。北朝第6代・第100代・後小松天皇の落胤(第一皇子)、母・公卿花山院某娘は後宮を追われ嵯峨野の民家で一休を産んだという。1399年、6歳で京都の安国寺・象外集鑑に随い周建と安名される。嵯峨・宝幢寺の清叟師仁、1406年、建仁寺に移り、霊泉院の慕哲竜攀に詩を学ぶ。1409年、建仁寺を脱する。壬生の清叟に随う。1410年、17歳の時、西金寺・謙翁宗為(けんおう そうい)の弟子になり宗純と改める。1414年、師を失い自殺未遂の後、1415年、近江・祥瑞庵の華叟宗曇(かそう そうどん)の弟子になり、1418年、一休の号を授けられた。1420年、大悟し印可を受ける。1422年頃より風狂と呼ばれた。1428年、師・宗曇没後、近畿一円を放浪する。1440年、請われて大徳寺・如意庵に入るが10日後に去る。1442年、謙(譲)羽山に尸陀寺(しだじ)を創建した。1447年、大徳寺の抗争を嫌い謙羽山に入り断食により自死をはかる。1448年、売扇庵に寓し、1451年頃、兄弟子・養叟と対立する。1452年、瞎驢庵(かつろあん)に移る。酬恩庵を始める。1456年、山城薪に妙勝庵を復した。1459年、徳禅寺住持、1461年、安井・竜翔寺を興す。1462年、病になり桂林寺に移り、1463年、賀茂・大燈寺、瞎驢庵。応仁・文明の乱(1467-1477)で瞎驢庵が焼失し各所転々とする。1469年、大和、和泉、摂津住吉などに移る。1472年(1470年/1471年とも)、住吉大社薬師堂で見初めた旅芸人の盲目・森女(しんじょ)を、1473年より、酬恩庵に引き取り住まわせた。1474年、第103代・後土御門天皇の勅命により、81歳で大徳寺第48代として再興した。1478年、妙勝庵に再住。1481年、酬恩庵で亡くなり、寿塔「慈楊塔」に葬られた。1491年、大徳寺・真珠庵にも分塔される。
 一休は権威を嫌い「風狂の聖」と呼ばれた。弟子に岐翁紹禎などあり一休派と呼ばれた。詩人としても知られ、詩集「狂雲集」がある。後世、江戸時代以降に、史実ではない「一休噺」などの頓智話が作られている。一休が幼少の頃、地蔵院で修養したともいう。
◆仏像・木像 本堂に最澄(767-822)作という本尊、「地蔵菩薩(延命安産地蔵菩薩、谷の地蔵)」が安置されている。実際には鎌倉時代作とみられている。右手に錫状、左手に宝珠を掲げる。木造、寄木造、截金文様を施す。
 本堂内陣に安置の「千手観音坐像」(重文)(27.9㎝)は、鎌倉時代作、銅造。
 右脇「夢窓国師木像」、「宗鏡禅師木像」、左脇「細川頼之木像」も安置されている。
◆建築 「総門」は、東に開く。「庫裏」がある。
 「方丈」(京都市登録文化財)は、江戸時代初期、1686年、1704年とも、第14世(144世とも)・古霊和尚が、細川家の援助により再建した。子院・延慶庵の方丈だった。1854年頃に西面に仏間が増築される。1870年、仏間床廻りの修理、1927年にも大修理が施された。東西に8畳3室、仏間(6畳、西面に床、北面に棚・仏壇、格天井)が並ぶ。正面東寄りに玄関(4畳)、西寄りに広縁、棹縁天井、内法長押になる。屋根は切妻造段違い、桟瓦葺。玄関前に式台(大屋根よりの葺下し)がある。
 「本堂」は、1935年に再建されている。方3間。
◆文化財 法体の「細川頼之肖像画」、「細川頼之木像」、「細川頼之夫人の肖像画」。「夢窓国師木像」、その高弟・「宗鏡禅師木像」など。
◆庭園 方丈の前庭は平庭式枯山水庭園であり、頼之の遺愛といわれている。作庭は、開山・碧潭周皎(宗鏡禅師)という。京都市の登録名勝に指定されている。
 「十六羅漢の庭」とも呼ばれ、植栽の間に20数個の立石がある。修行する羅漢(阿羅漢、厳しい修行に励み、悟りを得た高僧)に見立てた、小ぶりの自然石が杉苔に配置されている。石はすべて、南東(左手後方)の石清水八幡宮の方へわずかに傾けられている。これは、八幡宮に願をかけているためという。当院外護の細川氏は源氏とゆかり深く、源氏は石清水八幡宮への篤い信仰があった。
 庭には、椿、胡蝶侘助(3月中旬-4月)の老木、五葉松、千両、万両などが植えられている。
◆錫杖 西芳寺(苔寺)庭園の作庭に関して伝承がある。作庭した夢窓疎石は、一人の大男の働きぶりが目に留まる。男は、巨石を動かし手助けした。夢窓は男に感謝し、何か贈ろうとした。男は自らの錫杖と、夢窓の袈裟を取り換えてほしいと頼む。夢窓がそれに応じると、男は帰って行った。寺男が跡をつけると、四条染殿の地蔵堂(四条通寺町角)に消えたという。
 堂には、夢窓の袈裟を着た地蔵が座っており、そこにある筈の錫杖がなかったという。地蔵が男に身を変えて苔寺の作庭を手伝ったものという。その夢窓疎石に贈られたという錫杖は、当院・地蔵院にいまも祀られている。
◆竹林 境内一円は京都市の文化財環境保全地区に指定されている。参道両脇に孟宗竹の林があり、真竹も植えられている。
◆地蔵院十境 当院に伝わる「地蔵院十境」は、金剛界門、衣笠山、来鳳軒、枯木堂、観音殿、地蔵宝殿、尺竜谷、尺陀(しだ)林、不動井、興雲洞になる。
◆紅葉 境内には椿、胡蝶侘助(3月中旬-4月)の老木が植えられている。紅葉でも知られる。
◆環境保全地区 境内一帯は京都市の地蔵院環境保全地区に指定されている。
  境内に、自然石の細川頼之の墓(細川石)、その隣に自然石の宗鏡禅師の墓、細川頼之公碑が立つ。


*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*中門内の方丈内、方丈庭園は写真撮影禁止。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『禅僧とめぐる京の名庭』『日本の名僧』『事典 日本の名僧』『京都市の指定文化財 昭和63年』『洛西歴史探訪』『昭和京都名所図会 4 洛西』 『京都の寺社505を歩く 下』『京都大事典』『新版 京のお地蔵さん』『京都府の歴史散歩 上』『京都の隠れた御朱印ブック』


  西芳寺(苔寺)       苔香居       葉室御霊神社       浄住寺      石清水八幡宮(八幡市)        大徳寺       染殿院(染殿地蔵)            

細川頼之公碑
 地蔵院 〒615-8285 京都市西京区山田北ノ町23   075-381-3417   9:00-16:30
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