日野誕生院 (京都市伏見区) 
Hino-tanjoin Temple
日野誕生院 日野誕生院
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「親鸞聖人ご誕生之地」の碑






中門
 法界寺の南東に隣接する日野誕生院(ひの たんじょういん)は、浄土真宗開祖・親鸞(1173-1263)の生誕地といわれている。 
 浄土真宗本願寺派(西本願寺)の別院、飛地境内となっている。
 本堂に本尊の阿弥陀如来像、両脇に、親鸞幼童の御影像、父・日野有範(ありのり)の木像が祀られている。
◆歴史年表 江戸時代、寛永年間(1789-1801)、18世・文如が日野別堂として建立した。
 文化年間(1804-1817)、本願寺第19代・本如により、親鸞生誕地、日野の由緒調査が行われた。衰退していた法界寺の復興に、西本願寺より寄付があり、庫裏の修復が行われている。
 法界寺は、藤原氏の北家にあたる公家・日野家の菩提寺とされている。寺では、有範木像、真宗の宝物を各地で開帳し、真宗門徒の助成を受けた。
 1828年、日野家菩提寺の法界寺の寺領に、第20代・広如により、「有範堂」が建てられている。堂宇の名は、親鸞の父・有範の名に因む。また、「日野御堂」と称した。
 1862年、堂の護持のため誕生講が設立されている。
 近代、1880年、第21代・明如の時(1872-?)、本願寺の飛地境内地となり、寺名も「日野別堂誕生院」と改称された。
 1923年、伽藍の整備が始まった。
 1931年、本堂が完成し、「日野誕生院」と改称されている。
 現代、1973年、阿弥陀堂が建立される。
 近年、2006年に本堂、書院が改修されている。
◆親鸞 平安時代-鎌倉時代の僧・親鸞(しんらん、1173-1263)。見真大師。京都の日野(伏見区)、現在の法界寺、日野誕生院付近に生まれたという。父は藤原北家の流れをくむ日野有範。母は源氏の出身。幼くして両親を失う。1181年、叔父・日野範綱に連れられ、1181年、9歳で青蓮院・慈円のもとで出家得度し範宴(はんねん)と称した。以後、比叡山横川首楞厳院の堂僧として20年間修行を続けた。東塔無動寺谷の大乗院で修業する。1201年、29歳の時、比叡山を下り、六角堂に参籠、師・源空(法然)の導きにより、浄土教に帰依した。1204年、法然が定めた「七箇条制誡」弟子のひとりとして連署する。1205年、法然は『選択本願念仏集』の書写、法然肖像を描くことを許す。1207年、承元(じょうげん)の法難により、専修(せんじゅ)念仏停止(ちょうじ)にともない、35歳で越後に流罪になり、僧籍剥奪される。禿釈親鸞と自称する。1211年、赦免され、1214年、42歳で妻・恵信尼、子らとともに関東での布教を行った。晩年、1235年頃恵信尼らと別れ、末娘・覚信尼と京都に戻る。1256年長男・善鸞を義絶した。弟・尋有の善法坊で90歳で亡くなったという。浄土真宗の祖。
 浄土真宗の教義が体系化された6巻からなる『教行信証』(1224)などを著した。この年に立教開宗し、「非僧非俗」を宣言した。罪深い身である者は、阿弥陀仏の本願力を信じ、念仏を唱えることが基本であるとした。絶対他力の自然法爾、悪人こそが本願により救われるという悪人正機を唱えた。
◆仏像・像 本堂に「阿弥陀如来像」、「親鸞幼童御影」、「有範像」を安置している。
◆建築 中門内にある「本堂」は、左右の回廊式の建物で、藤原時代(894-1285)様式の建物を再現している。四柱造、本瓦葺。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都の寺社505を歩く 下』『日本の名僧』『京都大事典』


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中門

中門、蟇股

本堂と前庭、回廊内には、白砂で描かれた幾重もの同心円の砂紋が広がる。回廊建築は、親鸞の時代の建築様式であったという。

本堂

「親鸞聖人御生誕之地」の碑

鐘楼

「親鸞聖人童形の像」(発心の像)

親鸞、9歳の得度の際の歌「明日ありと 思う心のあだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」

境内のクスノキの大木

【参照】日野御廟所、日野誕生院のすぐ近くにある。親鸞の父・日野有範、母・吉光尼など日野家歴代の廟所となっている。


【参照】日野御廟所
 日野誕生院 〒601-1417 京都市伏見区日野西大道町  075-575-2258
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