戒光寺 〔泉涌寺〕 (京都市東山区) 
Kaiko-ji Temple
戒光寺 戒光寺 
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「国宝 丈六釈迦如来 戒光寺」の石碑、釈迦如来像は戦前までは国宝指定されていた。


本堂


本堂、入母屋造、裳階付



本堂扁額


泉山融通弁財天、泉山七福神第2番。金銭、学芸、商売などの融通を利かせるとの信仰がある。尊像は伝教大師作という。開帳は年2回(1月の成人の日の七福神巡り、11月3日の弁財天大祭)。


泉山融通弁財天




泉山融通弁財天


泉山融通弁財天


粟島大明神社、古くより水商売の女性の信仰を集める。厄除け・開運・病気平癒祈願。へちま加持祈祷を行う。
 泉涌寺塔頭のひとつ戒光寺 (かいこうじ)は、丈六(たけろく)さんとも呼ばれている。
 真言宗泉涌寺派、本尊は釈迦如来立像(身代わり釈迦)。 
 泉山(せんざん)七福神、2番、弁財天、商売繁盛の信仰がある。京の通称寺霊場元札所、身代わり丈六さん。
 泉山融通(せんざんゆうずう)弁財天は、金銭の融通をするとして信仰篤い。御朱印が授けられる。
◆歴史年表 鎌倉時代、1228年、律宗の曇照忍律(どんしょうにんりつ)は宋より帰朝し、八条大宮の東、堀川の西猪熊(南区戒光寺町)に、南山律宗の寺を創建した。当初は戒光律寺と呼ばれたという。第86代・後堀河天皇の勅願所となった。
 室町時代、1467年、応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失した。本尊の釈迦如来は一時、一条戻橋付近(一条戻橋の東、一条小川、上京区戒光寺町)へ遷された。
 1590年、三条川東(三条北、京極西、中京区)へ移された。
 江戸時代、1645年、第108代・後水尾天皇の発願により現在地に移転し、再興された。以後、泉涌寺塔頭となる。
 近代、1868年、油小路事件(1867)で新撰組により斬殺された御陵衛士(高台寺党)盟主・伊東甲子太郎、藤堂平助、毛内有之助、服部武雄の4人が当寺に改葬され、盛大な葬儀が執り行われた。
◆曇照忍律 平安時代末期から鎌倉時代の律宗僧・曇照忍律(どんしょう にんりつ、1187-1259)。浄業(じょうごう)。近江・園城寺、奈良諸寺で顕密二教を学ぶ。1214年(1221年とも)、入宋し、鉄翁守一より具足戒を受けた。理宗皇帝より忍律法師の号を贈られる。俊じょうと同門で、戒律、天台、浄土を学ぶ。1228年、帰朝し、京都・戒光寺を創建した。その後、1233年頃、再び宋に渡る。帰国後、太宰府・西林寺、京都・東林寺(東林町)を開く。
◆後水尾天皇 江戸時代の第108代・後水尾天皇(ごみずお てんのう、1596-1680)。第107代・後陽成天皇第3皇子。1600年に親王宣下、1611年、即位した。1620年、将軍徳川秀忠娘・和子を女御として迎えた。1629年、女一宮興子内親王(第109代・明正天皇)へ譲位した。これは、朝廷への武家介入、紫衣事件(1627-1629)などに抗したともいう。宮廷で学問講や和歌、立花の会を主催し朝儀の復興に力を入れた。1651年、落飾、1653年から翌年に修学院離宮を造営した。泉涌寺内の月輪陵に葬られる。
◆伊東甲子太郎 江戸時代後期の御陵衛士(高台寺党)盟主・伊東甲子太郎(いとう かしたろう、 1835-1867)。常陸志筑に生まれる。父は鈴木忠明、母はこよの長男。水戸藩士・金子健四郎に神道無念流剣術、水戸学を学び勤王思想に傾倒する。江戸の旗本・伊東精一に北辰一刀流を学び、跡目を継ぎ婿養子となる。1864年、藤堂平助の仲介で新撰組に加盟、参謀・文学師範となる。その後分離し、1867年、戒光寺の湛然長老の肝煎りにより御陵衛士が組織された。勤皇派の伊東ら15人が新撰組を脱退し参加した。山陵奉行・戸田大和守忠至の配下に入る。伊東は御陵衛士(高台寺党)盟主となり、薩摩と連携した。1867年、新撰組により七条油小路で粛清、斬殺された。(油小路事件)。供養塔が本光寺に建てられている。墓は戒光寺にある。
◆本尊・仏像・木像 本堂に立つ本尊「木造釈迦如来立像」(重文)は、開山浄業により南宋より請来されたという。京都八釈迦の一つに数えられる。像高は、丈六(480㎝)を越える丈八(540㎝)あり、光背と台座を含めると約10mの高さがある。施無畏与願印を結ぶ。平安時代末期から鎌倉時代の仏師・運慶(?-1224)、湛慶(1173- 1256)親子の合作ともいう。低い肉髻、螺髪、長い爪、切れ長の目、上瞼の膨らみなど宋代の影響がある。木造、寄木造、金泥塗、彩色、玉眼嵌入。衣紋に截金文様。
 江戸時代の第107代・後陽成天皇皇后の信仰を受け、後水尾天皇の守護仏になった。像の首の辺りから脚の部分に赤黒いシミがある。血の流れた跡にも見える。後水尾天皇が即位争いに巻き込まれ、暗殺者に襲われた際に身代わりになった跡ともいう。首から上の病いや悪いことの身代わりになる「身代わり釈迦」ともいわれ信仰を集めた。美しい手を見せ爪は長く、指の間に水かき状の縵網相(まんもうそう)がある。これらは、釈迦如来が、できるかぎり多くの人々を救済するためという。首上の病に効験があるとされ、へちま加持では胃腸、脚気平癒の祈祷が行われる。内陣の特別公開の際に、仏像の真下まで近づいて拝することができる。木造、彩色、玉眼。
 本堂左奥に、年代、作者不詳の「不動明王像」が安置されている。鎌倉時代以前作ともいう。異例の左足を前に突き出し、足の裏を見せている。
 本堂右奥左に弘法大師像がある。像造年代、作者不詳。
 本堂右奥右に「曇照忍律上人坐像」(重文)を安置する。鎌倉時代作。作者不詳。
 泉山(せんざい)七福神巡りの一つ、泉山融通弁財天の「弁財天像」は、平安時代の最澄作と伝えられる融通尊(如意宝珠融通宝生尊、宝生如来)で、金銭、学芸、商売などを融通し、あらゆる願いを成就させるという。泉山融通弁財天、泉山七福神第2番。開帳は年2回(1月成人の日の七福神巡り、11月3日の弁財天大祭)。
◆文化財 「浄業律師坐像」(重文)は、宋式に法被を被せた曲ろくといわれる椅子に座り、合掌している。檜材、寄木造、玉眼、彩色。
 本堂内陣に「お釈迦様一代記」、掛軸「地蔵菩薩像」、「大般若十六善神像」、江戸時代の「釈迦説法図」、書跡「大般若経首巻と六百巻目」、香木(白檀、沈香、真南蛮、伽羅)、柄香炉、版木などが陳列されている。
◆元新撰組隊士墓 境内に「御陵衛士の墓所(元新撰組隊士)」がある。新撰組参謀・文学師範で後の御陵衛士(高台寺党)盟主・伊東甲子太郎(1835-1867)、藤堂平助(1844-1867)、毛内有之助(1835-1867)、服部武雄(1832-1867)の4人が葬られている。御陵衛士は戒光寺の湛然長老の肝煎りにより組織され、勤皇派の伊東ら15名が新撰組を脱退参加した。1867年、油小路事件で新撰組は粛清のために伊東を暗殺、遺骸を引取りに来た7人のうちの藤堂ら3人も斬殺された。遺骸はしばらくそのままに放置されていた。戒光寺、西本願寺の勤王僧らが引き取ろうとしたが、新撰組が許さなかった。その後、当初は新撰組の菩提寺・光縁寺に葬られ、近代、1868年新撰組九番隊組長で御陵衛士だった鈴木三樹三郎(伊東の実弟)らにより戒光寺に改葬された。葬儀は盛大なもので、費用は新政府参与の役所が負担した。
 そのほか、明保野亭事件で自刃した茨木司、佐野七五三之助、富川十郎、中村五郎、富山弥兵衛、竹川直枝、佐原太郎が葬られている。
◆桜楓 境内に巨木の「百年夫婦桜」がある。4月の花まつりの頃に開花する。樹齢100年以上というソメイヨシノで、根本からはモミジの木が生えている。
◆七福神巡り 泉涌寺山内の七福神めぐり(成人の日)は、泉涌寺(泉山)七福神巡りとして塔頭9か寺を巡る。1951年以来続けられている。これらを福笹を持ちお参りしていく。
 1番は福禄寿・即成院、2番は弁財天・戒光寺、番外の愛染明王・新善光寺、3番は恵比寿神・今熊野観音寺、4番は布袋尊・来迎院、5番は大黒天・雲龍院、番外の楊貴妃観音・泉涌寺本坊、6番は毘沙門天・悲田院、7番は寿老人・法音院。
◆年間行事 修正会(1月1日-3日)、鏡開き(初丈六)・五大力尊お授け・厄除雑煮接待(1月15日)、京都泉涌寺七福神めぐり大祭・秘仏融通弁財天御開帳(小豆粥、昆布茶、甘酒の接待がある。)(1月成人の日)、泉山融通弁財天初ご縁日(1月初巳の日)、節分星まつり大般若経転読法要(2月3日)、彼岸(3月)、花まつり週間(4月上旬)、花まつり大法要・本堂内陣特別参拝・甘茶接待(4月8日以前の日曜日)、四国霊場巡拝(5月9日-12日)、先師忌法要(7月24日)、大施餓鬼法要・先祖回向法要(8月20日)、水掛地蔵尊の地蔵盆(8月22日)、彼岸会法要・秘仏融通弁財天御開帳(9月21日)、本堂内陣特別参拝・弁財天大祭(大柴灯護摩法要・秘仏御開帳・稚児百味練供養)(11月3日)、丈六市・内陣特別公開(11月中旬)、終い丈六(12月8日)。
 本尊御縁日・数珠繰り(毎月8日)、弁財天御縁日(毎月18日)。


*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*建物内の写真撮影は禁止。
*参考文献 『京都市の地名』『京都仏像を訪ねる旅』『仏像めぐりの旅 4 京都 洛中・東山』『週刊 日本の仏像 第17号 六波羅蜜寺 空也上人像と東山』『新選組事典』『新選組と幕末の京都』『京の福神めぐり』『京都の隠れた御朱印ブック』


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おたすけ大師(右)、子育て地蔵尊

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 戒光寺 〒605-0977 京都市東山区泉涌寺山内町29  075-561-5209
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