鵺(ぬえ)大明神・鵺池 (京都市上京区)
Nue-daimyojin Shrine
鵺大明神・鵺池 鵺大明神・鵺池 
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玉姫大明神、朝日大明神?


主一大明神
 二条城の北西に位置する二条公園は、平安時代末期の武将・歌人、源三位源頼政の「鵺(ぬえ)」退治にまつわる地になる。 
 射落とされた鵺を祀った鵺大明神(ぬえ だいみょうじん)がある。宮中式内社とは関係がないとされる。鵺池がある。
◆歴史年表 創建の詳細は不詳。
 平安時代、付近一帯は内裏、朝堂院、太政官などが建ち並ぶ平安京の中枢地域だった。当地付近には、宮内省が置かれたという。
 江戸時代、元禄期(1688-1703)、京都所司代下屋敷が置かれた。
 近代以降、屋敷は取り壊され、監獄が建設される。
 その後、監獄は山科に移転した。
 1928年、第124代・昭和天皇即位記念の「大礼記念京都大博覧会」に際し、児童遊園地が造られた。
 1929年、鵺大明神が建立された。
 その後、「二条児童公園」として整備される。
 1936年、鵺池碑が立てられた。
 現代、2005年、公園の改修工事に伴い、公園の北側にあったとみられる「鵺池」が復元されている。
◆鵺退治伝説 平安時代後期、仁平年間(1151-1154)、第76代・近衛天皇(1142-1155)を苦しめた鵺(ぬえ)という怪鳥を、弓の名手・源頼政(1104-1180)が退治したという伝承がある。
 鵺は、頭が猿、胴体は狸、手足は虎、尾は蛇という妖怪であり、夜になるとトラツグミのような不吉な声で鳴いた。毎夜、丑の刻(午前2時)になると御所に飛来したため、天皇は病になる。弓の達人といわれた武将・頼政が鵺退治のために呼ばれる。頼政は破魔の鏑矢を用意し、従者の猪早太(いの はやた)を連れて御所に出かけた。東三条の森より湧き立つ黒雲は御殿上に棚引いた。頼政は潜む鵺を目がけ、「南無八幡大菩薩」と弓の神の名を唱え、射た。怪鳥は地面に落ち、猪早太は刀で止めを刺した。鵺の遺骸は空穂船に乗せられ、鴨川に流される。その後、天皇の病は回復したという。その鵺が落ちた地点に祠が建てられた。また、頼政は鵺退治後に、池(鵺池)で矢尻の血を洗ったという。第78代・二条天皇の応保年間(1161-1163)にも、禁中に鵺が出没し頼政が召し出された。これらは、第80代・高倉天皇(在位1168-1180)の頃ともいう。
 平安時代の『平家物語』『十訓抄』、室町時代の能、江戸時代の浄瑠璃、歌舞伎などの題材になった。
◆史跡 伝承では、射落とされた鵺が落ちたのが児童公園内であったという。北西一角には、鵺退治の際に、血の付いた鏃を洗ったという「鵺池」が復元されている。
 かつて、幕末までは池の周りに1mほどの鵺石というのがあり、触れば祟りがあると畏れられていたという。
 京都市内にかつてあった鵺関連の伝承の史跡としては、「鵺石」(中京区西洞院通押小路下ル東)、「鵺の森」(東三条の森)、「鵺塚」(岡崎公園運動場)などであり、現在ではすべて存在しない。岡崎の鵺塚の埋葬物を埋めたという「鵺塚」(東山区月輪南陵)がある。
◆鵺 鵺は「頭が猿、胴体は狸、尾は蛇、手足は虎」(『平家物語』)、また「頭は猿、胴は虎、尾は狐、足は狸」(『源平盛衰記』)ともいわれた。
 実際には、ツグミ科のトラツグミ(30cm)という鳥であり、京都でも深い森に生息していた。ミミズ、昆虫などを捕食する。繁殖期(春-夏)の夜に「ヒー、ヒョー」と不気味な声で鳴く。曇りや雨の日にも鳴き、人目に触れることはほとんどないという。生息数は減っている。トラツグミの鳴き声


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都府の不思議事典』『京都歴史案内』『京都はじまり物語』『京のしあわせめぐり55』


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鵺池、近年復元されたもの。

鵺池碑 

復元碑 
平安京オーバレイマップ   トラツグミの鳴き声
map 鵺大明神 〒602-8155 京都市上京区主税町,智恵光院通丸太町下る 

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