光明院 〔東福寺〕 (京都市東山区)
Komyo-in Temple
光明院 光明院
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 光明院 (こうみょういん)は、東福寺塔頭のひとつであり、東福寺の南にある。作庭家・重森三玲の庭で知られ、「苔の寺」とも呼ばれている。
 臨済宗東福寺派。 
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 室町時代、1391年、金山明昶(きんざん みんしょう、明祖禅師)の開創による。
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により荒廃する。
 1911年、横幕滴泉(よこまく てきせん)住持の入寺により再興された。20年以上にわたる托鉢が続けられ、現在の本堂が建立された。
 1939年、作庭家・重森三玲により、方丈前に「波心の庭(波心庭)」が作庭された。
 現代、1962年、重森三玲により「雲嶺庭」の作庭が完成する。 
◆金山明昶 鎌倉時代-南北朝時代の僧・金山明昶(きんざん めいしょう/みょうしょう、生没年不詳)。詳細不明。大道一以の法嗣。明より帰国後、播磨・円応寺、淡路・安国寺、駿河・清見寺、但馬・宗鏡寺などを創建した。応永(1394 -1427)、城崎・極楽寺を開基したという。諡号は明祖禅師。
◆重森三玲
 近現代の作庭家・重森三玲(しげもり みれい、1896-1975)。岡山に生まれる。1911年、15歳で茶道、華道を学ぶ。1914年、18歳で茶室・露地を設計する。1917年、日本美術学校で日本画を学び、生花、茶道を習得、文化・芸術、宗教・哲学にも関心をもつ。1922年、文化大学院の創設を企図する。1923年、関東大震災に被災し岡山に還る。1926年、フランスのミレーに憧れ、自ら三玲と改名した。1929年、京都に移る。1931年、日本花道芸術学園を設立する。1932年、日本庭園の研究団体「京都林泉協会」会長となる。華道草月流の創始者、勅使河原蒼風(1900-1979)らと生花の革新を唱え、1933年、「新興いけばな宣言」を起草した。1936年-1938年、全国の庭園の実測調査を行う。1949年、前衛的な生花の創作集団「白東社」を主宰し、前衛生花作家・華道家の中川幸夫(1918-2012)も参加した。1950年頃より、アメリカ人彫刻家、画家のイサム・ノグチ(Isamu Noguchi、1904-1988)と交流を深めた。
 全国200あまりの作庭に関り、本格的に作庭した京都では、東福寺方丈庭園(1943)に始まり、京都林泉協会30周年記念の瑞峯院庭園(1961)、最後の作品は松尾大社庭園(1975)になった。1936年以来、独自に全国の庭園実地調査を行う。それらの結果をまとめた第一次調査『日本庭園史図鑑』(1939年完、全26巻)、1971年よりの第二次調査『日本庭園史大系』(1976年完、全35巻)が刊行されている。
◆庭園 方丈前の庭園(1150㎡)は、現代の作庭家で庭園研究家・重森三玲の1939年作による。池泉式の枯山水庭園で、「波心の庭(波心庭)」といわれる。「虹の苔寺」「東山の苔寺」とも呼ばれる。
 白砂は海を表し、苔に配置された小石は波飛沫を表す。波心とは、禅語の「無雲生嶺上。有月落波心」に由来する。「雲は嶺上に生ずることなくんば、月の波心に落つる有り」。煩悩がなければ、月(仏心)は波に映るの意味という。
 主に立石で構成され、大小75石配されている。苔の低い築山と州浜型の白砂の枯池、3組の石組(三尊石組)がある。それぞれの3つの石柱が、釈迦三尊、阿弥陀三尊、薬師三尊を表す。さらに、3組の三尊石が庭全体としても三尊石を構成する。また、三尊石の主石から放射状に、すべての石が並べられている。これは光明が放たれる様を石で表したものという。石は滋賀県南郷の洗堰産による。
 苔庭の美しさから、「虹の苔寺」とも呼ばれる。州浜は、平安時代の毛越寺(岩手県平泉)、また天龍寺の影響が見られるという。枯山水式に州浜を取り入れた初めての例とされる。州浜に囲まれた白砂は海を表し、海洋を表した初例という。州浜の緩やかな曲線と法面には、古典的な手法である飛沫に見立てた栗石(丸い小石)が打ち込まれている。
 庭園背後(東)には全国から集められたサツキ、ツツジの大刈り込みがあり、これらは雲紋を表している。
 石庭は、本堂、書院、茶室各室のいずれの方角からも鑑賞できるような石組に凝らされている。さらに、高台の雲上には茶亭「蘿月(らげつ)庵」が建つ。高台からも庭園全体を俯瞰することが考慮されている。、茶室それ自体が月を意味し、丸窓は月が昇る姿を象る。茶室には露地がある。
 山門入り口付近に、重森三玲が1962年作庭した前庭「雲嶺庭」がある。白砂、苔地、青石の三尊石、鶴島、青石の破片の敷石、インカ風の敷石などで構成されている。
◆茶室 高台の雲上には茶亭「蘿月(らげつ)庵」(1963)が建てられ、庭を見下ろす。重森三玲の設計による。禅語の「雲は嶺上に生ずることなく、月は波心に落つること有り」に因むとものという。
 窓、壁、障子すべてが月を表し、土壁に白い線で大きな円が描かれている。庭園より眺めると、東の空に月昇る様を表す。露地がある。
◆文化財 1352年の「固山一きょう墨蹟」(重文)。京都国立博物館寄託。
◆桜楓 春に桜、ツツジ、サツキ、秋に楓。
 

*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『古寺巡礼 京都 3 東福寺』『京都・山城寺院神社大事典』『旧版 古寺巡礼 京都 18 東福寺』『京都の禅寺散歩』『京都大事典』『京都府の歴史散歩 上』『重森三玲 庭園の全貌』『重森三玲-永遠のモダンを求めつづけたアヴァンギャルド』『重森三玲 モダン枯山水』『週刊 仏教新発見 19 建仁寺 東福寺』『週刊 古寺を巡る 38 東福寺』『週刊 日本庭園をゆく 22 京都洛東の名庭 3 東福寺 高台寺 智積院』『週刊 京都を歩く 26 東福寺周辺』


    
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三和土

方丈(本堂)

方丈扁額

方丈、本尊

方丈、開山金山和尚

書院

書院


茶室

茶室

一枚板の床板

茶室「観庭楼」

茶室「両行庵」

納骨堂

夢影楼

方丈前の庭園

波心の庭、楓は2代目。

波心の庭


大雨の後に現れる水の枯山水





蹲踞

洲浜、栗石

雲嶺庭


摩利支尊天

摩利支尊天

 光明院 〒605-0981 京都市東山区本町15-809    075-561-7317  8:00-日没

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