大心院 〔妙心寺〕 (京都市右京区)  
Daishin-in Temple
大心院  大心院
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四方仏










方丈


「切石の庭」


「阿吽(あうん)庭」
 妙心寺塔頭のひとつ大心院 (だいしんいん)は、大方丈の東にある。いまも宿坊として一般に開放されている。山号は正法山(しょうほうざん)という。 
 臨済宗妙心寺派。本尊は十一面観音。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 室町時代、1479年、1492年とも、足利幕府管領・細川政元が、妙心寺10世・景堂玄訥(けいどう げんどう)を開山として私邸に創建した。勧請開山は景川宗隆による。院名は雪江宗深に請い付されたともいう。山内にあったともいう。相国寺の西(上京区大心院町、上京清蔵口)にあったともされ、無著道忠が創建し、長松山大心院と称した。開山に請じられた景堂玄訥は、師・景川宗隆を開山としたという。(「寺院明細帳」、寺伝、「正法山妙心寺大雲山龍安寺縁起」「正法山誌」) 
 応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失し、細川政元の下屋敷に再建された。(「正法山妙心寺大雲山龍安寺縁起」) 
 1497年、妙心寺山内に再建されたともいう。(「正法山妙心寺大雲山龍安寺縁起」) 
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1593)、5世・芳沢祖恩の時、細川幽斎により、現在地の妙心寺内に移転した。中興され、妙心寺塔頭になる。その後、宿坊になる。幽斎は長岡鶏冠井の地を寺領として寄進した。また、材岳宗佐の時に中興され、整備されたともいう。
 幽斎の子、武将・細川忠興(1563-1646)も引き続き外護した。
 江戸時代、1634年、7世・嶺南崇六に帰依した檀越・蒲生忠知が亡くなる。嶺南は伊予での葬儀を執り行い、施された遺品、葬物一切を売却し大心院本堂再興に充てる。境内東南に忠知の霊屋を建てた。
 幕末まで、本山の役寺(やくじ、本寺の寺務代行)として栄えた。
 現代、1949年、彫刻家・佐藤玄々が境内にアトリエ「阿吽洞」を開く。
 現代、2003年、祖堂は本山・妙心寺に売却後、返却された。
◆景堂玄訥 室町時代の僧・景堂玄訥(げいどう げんたつ、?-1542)。妙心寺10世・景川宗隆(けいせんそうりゅう)(本如実性禅師)の法を嗣ぐ。微笑庵を移し竜泉(りょうせん)庵を建立したともいう。
◆景川宗隆 室町時代の僧・景川宗隆(けいせん そうりゅう、1425-1500)。伊勢国に生まれた。雲谷玄祥、義天玄詔、桃隠玄朔に師事、竜安寺の雪江宗深の法を嗣ぐ。大徳寺、妙心寺、竜安寺住持を歴任、妙心寺大心院の開山。諡号は本如実性禅師。
◆細川政元 室町時代の武将・細川政元(ほそかわ  まさもと、1466-1507)。勝元の子。1486年、管領となり、亡くなるまで在任した。室町幕府の三管領の一つ、細川家の嫡流・京兆家当主。摂津、丹波、讃岐、土佐の守護。1482年、摂津国人茨木氏を討ち、1488年、京都で土一揆を鎮圧した。1493年、将軍足利義材(義稙)と畠山政長を討つ。新将軍に足利義澄を擁したが、義材は抗した。1504年、内衆薬師寺元一の反乱を鎮圧する。だが、養子・澄之(関白・九条政基の子)の擁立を図る内衆香西元長らに暗殺された。
 生涯独身で精進潔斎し、修験道の使った飯綱(いづな)という妖術に取り付かれ、度々、都より姿を消したという。
◆材岳宗佐 室町時代の僧・材岳宗佐(ざいがく そうさ、?-1586)。詳細不明。希庵玄密の法嗣。大心院を中興した。
◆細川幽斎 室町時代の武将・細川幽斎(ほそかわ ゆうさい、1534-1610)。藤孝。父は三淵晴員。母は将軍足利義晴の側室(清原宣賢の娘)、実父は義晴ともいう。1539年、細川元常の養子となる。1554年、家督を相続。1565年、将軍義輝暗殺後、その弟・一条院覚慶(義昭)を大和興福寺より救出する。1568年、織田信長の援助を得て義昭の上洛に成功した。1573年、義昭が信長に追われると信長家臣となり西岡(長岡)を得る。1582年、本能寺の変では姻戚の明智光秀の誘いを断わり、剃髪し丹後に隠居した。1583年、豊臣秀吉より西岡を与えられる。秀吉の九州攻め、小田原攻め、文禄の役にも加わる。1600年、関ヶ原の戦では徳川家康方につき、田辺城に籠城した。文化人としても知られた。
 大心院移転に幽斎が関わったことについて、多くの戦国武将が帰依していた妙心寺の動静を探る意図があったともいう。
細川忠興 江戸時代の大名・細川忠興(ほそかわ ただおき、1563-1646)。三斎。藤孝(幽斎)の長男。細川輝経の養子となる。明智光秀の娘・玉子(細川ガラシア)を妻とした。1580年、丹後を与えられる。1582年、本能寺の変後、ガラシアを離別し幽閉した。1589年、秀吉は幽斎と忠興に改めて丹後国を安堵した。1593年、朝鮮に出陣、1596年、越中守となる。秀吉没後、徳川家康に接近し、1600年、関ヶ原の戦に加わる。だが、ガラシアは人質として大坂城に入らず自刃した。戦後、その功により、豊前、豊後を与えられ中津城に配した。小倉城を築き本城とした。1620年、家督を譲り、中津に移り三斎宗立と号した。1632年、八代城に入り隠居領を領した。
◆明叔慶浚 室町時代の僧・明叔慶浚(みんしゅく きょうしゅん、?-1552)。1527年、妙心寺で出家した。美濃・愚渓寺を中興する。1528年、飛騨・禅昌寺の開山となる。1534年、美濃・大円寺。1541年、今川義元に招かれ駿河・臨済寺住持、甲斐・恵林寺を中興した。駿河、美濃、尾張に移る。大円寺・希庵玄密の師。武将・武田信玄も師事した。大心院住持に就いている。
◆嶺南崇六 江戸時代前期の臨済宗の僧・嶺南崇六(れいなん すうろく、1583-1643)。日向に生まれた。妙心寺の芳沢祖恩(ほうたく そおん)に印可を受けた。日向飫肥(おび)藩主・伊東祐慶が建立した江戸・東禅寺開山、妙心寺住持。
◆蒲生忠知 江戸時代の大名・蒲生忠知(がもう ただとも、1605-1634)。父は秀行、母は徳川家康の娘振姫。伊予国松山藩の藩主。1626年、出羽国上山を拝領。兄忠郷没後、伊予松山、近江日野が与えられた。1632年、御家騒動により家老らが処分を受けた。跡継ぎなく家は断絶した。
◆佐藤玄々 近現代の彫刻家・佐藤玄々(さとう げんげん、1888-1963)。清蔵。福島県生まれ。父は宮彫り師。1905年、上京。1906年、彫刻家・山崎朝雲に師事、1913年、朝山の号を得て独立、30歳で大森にアトリエを開く。1914年、再興院展第1回展に「呪咀」などを出品、同人に推挙された。1922年、日本美術院留学生として2年間フランスに渡り、アントワーヌ・ブールデルに師事。1935年、帝国美術院会員、1937年、帝国芸術院会員。1939年、大日本護国会の紀元二千六百年記念行事に「和気清麻呂像」が選ばれた。だが、師・朝雲と対立し号を返上、以後は関係を絶つ。1945年、戦争によりアトリエが全焼した。1948年、『老子』の一節「玄之又玄、衆妙之門」より玄々と名乗る。1949年、妙心寺・大心院に移りアトリエ「阿吽洞」を開く。1960年、10年をかけ「天女像」を完成させた。別号は阿吽洞。「幻の天才彫刻家」といわれた。
◆建築 現在の「本堂」と「玄関」は、江戸時代、寛永年間(1624-1643)、1643年に建てられている。玄関には左甚五郎(1594-1651)作といわれる彫刻がある。
 「表門」は、龍泉庵から移されたという。
 「祖堂」は、江戸時代、1666年に建立され、本山妙心寺に売却後、2003年に返却された経緯がある。
 妙心寺発祥の地である玉鳳院、開山無相大師の祖塔(微笑塔)がある。
 「阿吽洞(あうんどう)」は、1949年より彫刻家・佐藤玄々がアトリエ「阿吽洞」として使用した。
◆文化財 鎌倉時代の李龍眠筆の絹本着色「羅漢図」(重文)は、尊者が蓮台上に仏牙を持ち、曲ろくに座る。耳朶に三鈷杵をはめる。獅子は口に牡丹の花枝を咥える。
 友清の「白衣観音」、小栗宗丹「中国故事人物図」(旧国宝)など。
◆宿坊 かつて塔頭寺院は、末寺の僧、行脚の雲水の旦過(たんが)寮になっていた。旦過とは、夕刻に宿坊に到着し、旦(あした)に去るの意味という。大心院では、現在もこの宿坊を続けている。
◆庭園 「切石の庭」と「方丈東庭」の「阿吽(あうん)庭」がある。
 本堂の南庭は、「切石の庭」と呼ばれている。苔地と白砂の州浜型の地割があり、白砂には二列の長形の石が一直線に配される。切石花壇には牡丹が花咲く。
 大書院前の「方丈東庭」は、「阿吽(あうん)庭」とも呼ばれている。阿吽洞の前にあることから名付けられた。1965年、現代の作庭家・中根金作(1917-1995)による築山式枯山水庭園になる。寺では庭園を「第二の本堂」と呼んでいる。
 長方形の地割に、手前に白砂、5色の17個の伏石、苔、植栽が配置されている。白砂と苔地の間は緩やかな曲線で引かれている。東に苔地の築山があり、三尊石組がある。州浜型が、緩やかな曲線で描かれている。これらは、昇竜の姿を表現しているともいう。百日紅が植えられている。
◆キリシマツツジ・松 樹齢360年-400年というキリシマツツジの古木が2株ある。江戸時代、1634年の本堂建築の際に中庭に植えたという。4月末に真紅の花をつける。樹高は4m、直径2m。
 樹齢350年-400年という五葉松がある。
 ドウダンツツジ、ヤシオツツジが植えられている。


*年間行事・は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『妙心寺』『妙心寺 六百五十年の歩み』『京都・山城寺院神社大事典』『京都古社寺辞典』『古都歩きの愉しみ』『京のみどり 73号』


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キリシマツツジの古木

【参照】妙心寺境内
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