高雲禅寺 (高雲寺) (京都市北区)
Kounzen-ji Temple
高雲禅寺 高雲禅寺 
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 雲ヶ畑川、雲ヶ畑出張所の向かいにある高雲禅寺(こううんぜんじ)は、平安時代の惟高親王にゆかりのある寺とされている。かつて耕雲寺ともいわれた。山号は九龍山という。 
 臨在宗永源寺派、本尊は釈迦牟尼像。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、869年、この地は惟喬親王が閑居した「高雲の宮址」といわれている。皇太子争いに敗れた親王は、失意のうちに岩屋山金峯寺に参り、ここに小野宮を建てて住んだ。
 869年、耕雲入道と名乗り、宮を耕雲寺としたという。真言宗の祈祷所として栄えた。
 江戸時代、村の惣堂になる。
 1788年、永源寺派西王寺の末寺になる。
 文政年間(1818-1829)、雲照寺(字宮ノ本)と正明寺(字里)が合併した。臨済宗に改める。
◆惟喬親王 平安時代の皇族・惟喬親王(これたか しんのう、844-897)。第55代・文徳天皇の第1皇子、母は紀名虎の娘・静子。850年、右大臣・藤原良房の娘・明子との間に第4皇子・惟仁親王が生まれると、第1皇子・惟喬親王ではなく、良房の外孫で生後8カ月の惟仁親王(第 56代・清和天皇)が皇太子となった。この先例のない皇位継承は、文徳天皇が良房に気兼ねし、惟喬親王の母が紀氏の出身であったことも起因しているという。
 皇位を失った惟喬親王は、大宰帥、弾正尹、常陸太守、上野太守などの役職を歴任した。その後、病のため出家、素覚と号し、洛北小野に隠棲する。別業、渚の院(河内国)では紀有常、在原業平らとの交流があり、業平は寺を来訪している。
 また、江州・君ヶ畑から、大原に移り5年ほどして雲ヶ畑に移り、6年ほど当寺に棲んだともいう。親王の乳母がこの付近に生まれたことに起因するともいう。死期が迫った親王は、骸が御所の川上にあたる当地に葬られ、鴨川が汚されることを避け、峠を越えた西北の地・小野十郷のひとつ、大森に移ったとされる。
 親王について各地で木地師の祖との伝承も残る。雲ヶ畑周辺に足跡が残されている。志明院から登る桟敷ヶ岳(896m)は、親王が桟敷を組み都を眺めていたという。また、惟喬神社も祀られている。
◆仏像 貞観時代(859-877)作の「薬師如来像」、「山越如来像」も安置する。
 親王の尊位牌がある。
◆文化財 惟喬親王が病に罹り、書写したという「大般若経(惟喬若経)」600巻がある。
 拝むと病が治ったという「大般若説相図」などがある。
◆松上げ 松上げ(8月24日)は、この地に隠棲した惟喬親王を慰めるために始められたという。里の愛宕山に、若中の手により松明で午後8時頃に点火される。点火の一字は毎年変わる。
◆年間行事 お日待講・未進講(1月22日)。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都の寺社505を歩く 下』『京都府の歴史散歩 上』


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高雲禅寺 〒603-8863 京都市北区雲ケ畑中畑町190  
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