折上神社 (折上稲荷神社) (京都市山科区) 
Origami-jinja Shrine
折上神社  折上神社
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稲荷塚、五社稲荷大神







摂社、三九郎神社、倉稲魂命のお使いの白狐三匹が祀られている。

  折上神社(おりがみ じんじゃ)は、かつての折上森(降衣森)に祀られている。折上稲荷神社、山科稲荷、栗栖稲荷(栗栖野稲荷)とも呼ばれた。
 境内は伏見稲荷大社、稲荷山の東にあり、「伏見稲荷奥の宮」とも呼ばれ、伏見稲荷大社との関わりが深いとされる。養蚕稲荷とされる。旧村社。 
 祭神は、倉稲魂神(うがのみたまのかみ)、保食命(うけもちのみこと)、稚産霊神(わかむすびのかみ)を祀る。
 養蚕守護、働く女性の守護神、女性の商売繁盛の祈願所として知られる。「折上」が「織上げ」に通じるとして、西陣の織物業者の信仰もある。良縁祈願、悪縁封じ、浮気封じ、美しい髪、心の病平癒などの信仰も集める。ストレス除け、脳梗塞、癌封じ、心筋梗塞封じのお守りも授与される。御朱印が授けられる。
 三九郎稲荷に祀られている3匹の白狐は、人が生きる上での「三苦(お金、人間関係、健康)」が報われるとされる。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 奈良時代、711年、女帝の第43代・元明天皇の創建ともいう。(社伝)
 712年、伏見稲荷の大神(おおかみ)が降臨した際に、西の山(後稲荷山)の三ヶ峯の次に降りたのが、「折上の森」の稲荷塚といわれる。
 延喜年間(901-923)、第60代・醍醐天皇の山科行幸に際して、伏見稲荷の分霊を遷したともいう。
 江戸時代、第121代・孝明天皇(在位1846-1867)は、大嘗祭に際し、長橋局を遣わし女官の病気平癒を祈願し、長命箸を奉納した。その後、「女性守護のお稲荷さん」ともいわれた。以来、健康長命祭が行われる。
 近代、祇園の芸妓・モルガンお雪(1881-1963)も信仰し、働く女性の守り神として崇敬された。
◆元明天皇 飛鳥時代-奈良時代の女帝・第43代・元明天皇(げんめい てんのう、661-721)。名は阿閇皇女(あへのひめみこ)。阿部皇女。第38代・天智天皇の第4皇女、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘・姪娘(めいのいらつめ)。いとこの草壁皇子の妃となり、軽(かる)皇子(第42代・文武天皇)、氷高(ひたか)皇女(第44代・元正天皇)、吉備皇女を産む。689年、草壁皇子が亡くなり、706年、文武天皇も亡くなる。子・首(おびと)皇子(第45代・聖武天皇)が幼少のため、首皇子の外祖父・藤原不比等の影響下で、707年、阿閇が前例のない即位をした。708年、和同開珎を鋳造、710年、平城京遷都を行う。715年、元正天皇に譲位した。
 『古事記』の選録、『風土記』の編纂を行う。奈良市奈保山東陵に葬られた。
◆醍醐天皇 平安時代の第60代・醍醐天皇(だいご てんのう、885-930)。源維城。父は臣籍に降下した源定省の長男、母は内大臣藤原高藤の娘・藤原胤子。887年、父の皇籍復帰、即位(第59代・宇多天皇)により皇族に列した。890年、親王宣下、891年、敦仁に改名、893年、立太子、897年、即位。父の訓示「寛平御遺誡」により、藤原時平・菅原道真を左右大臣とした。901年、時平の讒言で道真を大宰権帥に左遷した。(昌泰の変)。20人ほどの女御・更衣、寛明親王(第61代・朱雀天皇)、成明親王(第62代・村上天皇)など36人の子女を儲けた。904年、中宮・藤原穏子との間の長子・保明親王を2歳で東宮とし、御息所に時平の娘・仁善子を入れた。909年、時平が没、923年、親王も21歳で早世、仁善子の子・慶頼王を皇太孫としたが、925年、5歳で夭折。これらは道真の怨霊の仕業と噂された。923年、道真左遷の詔を覆し、右大臣に復し贈位を行う。だが、930年、清涼殿に落雷、死者が出て病に臥す。寛明親王(朱雀天皇、保明親王の同母弟)に譲位、出家日に亡くなる。
 和歌を良くし、勅撰集に入首、家集『延喜御集』編む。905年、『古今和歌集』撰進を紀貫之らに命じた。醍醐寺の北の山科陵に葬られた。
 34年にわたる摂関を置かない親政は、時平の影響下にあり、時平は荘園整理令施行、国史『日本三代実録』完成、延喜格式の撰修も行う。後に両人の治世は「延喜の治」と呼ばれた。
◆モルガンお雪 近現代の芸妓・モルガンお雪(1881-1963)。加藤ユキ、芸妓名は雪香。武士の家系に生まれる。姉が祇園でお茶屋・置屋「加藤楼」を経営し、14歳で芸妓になる。歌舞、胡弓に秀でた。1901年、アメリカの財閥、ジョージ・デニソン・モルガンに4万円の高額で身請けされ、1904年、結婚、アメリカに渡る。1915年、夫没後、パリに移り社交界の花形になる。1938年、第二次世界大戦勃発後に京都に戻った。戦後、1945年、キリスト教の洗礼を受け、カトリック衣笠教会の建立に寄付した。紫野で亡くなる。同聚院、鹿苑寺(金閣寺)裏のカトリックの墓地にも分骨されている。 
◆古墳 境内の稲荷塚は、古墳時代、550年頃の京都市遺跡の中臣群集墳跡になる。
 周辺の栗栖野丘陵には、古墳時代の小円墳の群集墳が存在した。「中臣十三塚」といわれ、6世紀末-7世紀前半に造られた円墳13基があったという。この中臣遺跡の名は、中臣鎌足(614-669)の陶原館があった可能性による。1971年の発掘調査では、小円墳には周濠、横穴式石室の基底部が残されていることが確認された。7世紀前半の須恵器などが見つかっている。
 多くの遺蹟は破壊され、現在残るのは、折上神社境内の「稲荷塚古墳」(円墳)と、「田村の森」西方の「宮道古墳」(円墳)の2つのみになる。
◆年間行事 節分祭(2月節分)、初午祭(2月初午)、折上稲荷祭(担ぎ手には女性も混じる)(6月第1日曜)、火焚祭(ミカン焼きにより感冒除けを祈願する)(11月8日)、長命祭(家内安全、厄除開運の長命箸が授与される)(12月13日)。


*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都大事典』『稲荷信仰と宗教民俗』『昭和京都名所図会 6 洛南』『京都ご利益めぐり』『京都のご利益めぐり』『京都の隠れた御朱印ブック』


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人の脳に似たコブは「お稲荷さんの授け知恵」といわれている。
 折上神社 〒607-8305 京都市山科区西野山中臣町25  075-581-1834   9:00-17:00
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