山国護国神社 (京都市右京区) 
Yamagun-gokoku-jinja Shrine
山国護国神社  山国護国神社
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「官祭山国隊招魂社」の石碑



 京北山国にある山国護国神社(やまぐに ごこく じんじゃ)は、かつて山国隊招魂社と呼ばれた。
 祭神は、山国隊隊士、戦没者。 
◆歴史年表 江戸時代末期、1868年、勤皇隊の総司令官・西園寺公望により募兵要請が行われた。山国の名主らがこれに呼応し、農兵隊「新勤皇山国隊」が結成される。1月11日、山国神社より隊は出陣した。
 近代、1869年2月21日、山国隊は凱旋し、山国神社に参拝している。2月24日、五社明神に参拝し、 薬師山に犠牲になった7隊士の墓標を立て招魂祭を催した。
 1882年、京都府の通達以来、第二次世界大戦終結年(1945)まで、招魂社祭祀、修繕などの諸経費は官費により賄われていた。
 1883年、社殿、石棚が新築されている。
 1895年、平安神宮の時代祭に村民が山国隊の装束で参列する。
 現代、1945年、第二次世界大戦の終結とともに官費の支給が禁止になり、宗教法人山国郷社となる。
 1946年、宗教法人山国護国神社となる。
 1967年より、日清戦争(1894-1895)、日露(1904-1905)、第二次世界大戦(1939-1945)の戦病死者も合祀されている。
◆山国隊 江戸時代末期、1868年、天皇親政(王政復古の大号令)が宣言され、旧朝幕体制は廃絶となり、新政府が発足した。勤皇隊の総司令官(鎮撫使)・西園寺公望により募兵要請が行われた。山国の名主らがこれに呼応し、隊の代表、藤野近江守斎、水口備前守市之進以下、西軍、東軍の2軍、83人の農兵隊「新勤皇山国隊」が結成される。1月11日、隊は山国神社より出陣した。
 隊は、西洋式の軍事教練を受けていた。参与・岩倉具視により、「山国隊」と名づけられ、1隊は因幡鳥取藩に付属した。官軍として甲州、野州、1868年5月の上野戦争では彰義隊と交戦している。また、御所や市中の警護にも当たった。
 各地の戦線で、隊士7人の犠牲者(4月栃木・安塚村で戦死3人、そのほか行方不明1人、病死3人)を出しながらも、1868年11月に大総督・有栖川宮の凱旋隊に加わり帰国した。1869年2月21日に山国神社に凱旋参拝している。
◆7隊士 伍長会により、辻村薬師山に犠牲者の招魂場を設けることが決議された。1869年2月24日、五社明神に参拝し、薬師山に7隊士の墓標を立て招魂祭を催した。
 当初合祀された山国隊の7隊士名は、仲西一太郎(戦死場所、江戸)、高室重蔵(江戸)、田中浅太郎(栃木県安塚)、高室治兵衛(安塚)、田中伍右衛門(上野)、北小路萬之助(京都)、新井兼吉(安塚)。
◆年間行事 1875年の招魂祭以来、4月22日に、今日なお続けられている。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都府の歴史散歩 上』


  関連・周辺山国神社       周辺常照皇寺    関連           

右から山国隊司令・原六郎(進藤俊三郎、1842-1933)、隊長・河田左久馬(1828-1897)、水口市之進らの墓石

山国隊の墓標。

池田慶徳(1837-1877)の墓石

原六郎(進藤俊三郎、1842-1933)の墓石 



日清、日露、第二次世界大戦兵士も数多く葬られている。

【参照】時代祭での維新勤王隊列
 山国護国神社 〒601-0322 京都市右京区京北辻町清水谷10
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