岡崎神社・東光寺 (京都市左京区)
Okazaki-jinja Shrine
岡崎神社・東光寺 岡崎神社・東光寺 
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拝殿


拝殿









 岡崎神社(おかざき じんじゃ)は、吉田山(黒谷)の南麓にある。「東天王社(ひがしてんのうしゃ)」、「竜神さん」ともいわれている。古くより一帯の岡崎村の産土神(うぶすながみ)として崇敬を集めてきた。 
 祭神は、素盞嗚尊(すさのうのみこと、牛頭天王)、奇稻田姫命(くしいなだひめのみこと)、その五男三女神(御子神)八柱神を祀る御霊社になる。
 京都十六社朱印めぐりの一つ。
 厄除け、子授け、安産、縁結び、健康の信仰がある。うさぎ子授けお守り、うさぎ安産のお守り、うさぎ健康お守り、飛躍(ぴょん)守りなどが授与される。安産のお守りは男子を望む場合には紫色、女子の場合には赤色が授与される。うさぎの絵馬、スサノオノミコトお守りがある。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、794年、平安京遷都の際に、第50代・桓武天皇の勅願により、都の四方に王城鎮護のために創建された大将軍社の一つという。天王社と呼ばれ、疫病神・牛頭天王(ごずてんのう)を祀る。西天王社(左京区、須賀神社)に対して、当社は東天王社と呼ばれた。東光寺の牛頭天王を祀る鎮守社だった。平安時代の御霊信仰による。当初は、北白川(平安神宮内の西天王塚辺り)にあったともいう。
 弘仁年間(810-824)、焼失している。
 869年、第56代・清和天皇により改めて社殿が現在地に造営された。播州広峯(広峰)より祭神の牛頭天王が勧請されている。
 878年、元慶年間(877-885)とも、清和天皇女御・藤原高子(二条皇后)の発願により、境内(岡崎東天王町付近)に東光寺(とうこうじ)を建立したという。当社は寺の鎮守社だったともいう。
 905年、東光寺は勅願寺になる。
 910年、皇太后高子の逝去に伴い、東光寺で法会が修された。
 933年、東光寺の新堂が建てられた。
 948年、東光寺が焼失した。
 1178年、第80代・高倉天皇の中宮・徳子の安産祈願の幣帛を贈られ、子授け、安産の神として崇敬された。
 1179年、東光寺は焼失した。
 中世(鎌倉時代-室町時代)、神仏習合になり、当社は東光寺と一体化し隆盛する。朝廷より、安産、方除、厄除の神として崇敬された。
 室町時代、1467年、応仁・文明の乱(1467-1477)の兵火により東光寺は焼失し、廃寺になる。鎮守社の岡崎神社は類焼を免れ存続する。
 1531年、兵火により焼失した。
 江戸時代、1624年、天王祭で、粟田天王社(粟田神社)との間で喧嘩が生じ、以後、岡崎天王祭は、祭日を一日ずらした。(『華頂要略』)
 慶応年間(1865-1868)、現在の岡崎神社と改称した。
清和天皇 平安時代前期の第56代・清和天皇(せいわ てんのう、850-881)。名は惟仁。水尾帝(水尾天皇)、水尾御門とも呼ばれた。第55代・文徳天皇の第4皇子、母は藤原良房の娘・明子(染殿皇后)。良房の染殿邸に生まれた。850年、兄の3親王(惟喬、惟条、惟彦)を差し置き、生後8カ月で立皇太子となる。858年、9歳で即位し、後見した外祖父・良房が人臣(臣下)最初の摂政になる。(正式には866年以降)。866年、応天門の変が起こり、大伴家が没落する。876年、天皇は27歳で譲位し、879年、出家、素真と称した。清和院(旧染殿邸)に移る。良房の養子・藤原基経の粟田山荘(後の円覚寺)で落飾する。畿内巡幸の旅へ出る。棲霞観(清凉寺)に住み、天台宗の名刹・水尾山寺に入寺したという。勅命により「貞観格式」が編まれた。粟田山荘で没した。金戒光明寺裏山に火葬塚があり、経塚とされている。嵯峨水尾山(水尾山陵)に葬られた。
 後世、武門の棟梁となる清和源氏の始祖とされた。
◆藤原高子 平安時代前期の女御・藤原高子(ふじわら の こうし、842-910)。父は藤原長良、母は藤原総継の娘乙春。東五条第(左京五条四坊)に住したという。859年、五節の舞姫に選ばれる。在原業平に見初められた。866年、第56代・清和天皇の女御になる。868年、貞明親王(第57代・陽成天皇)、870年、貞保親王を産む。877年、貞明親王即位に伴い皇太夫人(のち皇太后)となる。878年、山城国愛宕郡に東光寺を建立した。884年、陽成天皇退位に伴い二条院(左京二条二坊)に移り、二条の后と呼ばれた。東光寺僧・幽仙、座主・善祐と密通したとされ、897年、皇太后の号を廃される。晩年は、失意のうちに東光寺に過ごした。没後、943年、復号した。
 歌は古今集に採られた。後宮歌壇に在原業平も集い、その恋人とされ、『伊勢物語』『大和物語』に記された。
◆神坂雪佳 近現代の日本の画家・神坂雪佳(かみさか せっか、1866-1942)。吉隆。京都栗田口生まれ。京都御所警護武士・神坂吉重の長男、弟に蒔絵師・神坂祐吉。1881年、16歳で円山四条派の日本画家・鈴木瑞彦(ずいげん)に師事、1890年、図案家・岸光景に師事。この頃、琳派の研究を始めた。1901年、イギリスのグラスゴー国際博覧会の視察、渡欧中にアール・ヌーヴォーに接した。京都美術協会に参加、京都市立工芸図案調製所主任。1907年、佳美会(後の佳都美会、佳都美村)設立。1913年、光悦会の発起人になる。光悦、琳派の研究論文を執筆し、染織、陶芸、漆芸、室内装飾、庭園なども手がけた。晩年は嵯峨野に隠棲した。図案集に『百々世草』(1909-1910)。
 岡崎神社能舞台の鏡板「老松図」を手がけたといわれている。
◆天王社・牛頭天王 当社は、かつてこの地にあった東光寺の鎮守社ともいう。平安時代、869年創建の西天王社(現在の須賀神社)とは対をなし、東天王社ともいわれた。東天王社は、東光寺牛天王社の後身ともいう。
 東光寺牛頭天王は、初めは播磨明石の浦に着き、広峯の山、あるいは京都東山瓜生山、北白河東光寺(東天王、現岡崎神社)に遷された。平安時代、元慶年間(877-885)、祇園感神院(八坂神社)に祀られたという。(室町時代、『二十二社註式』)
 ただ、広峯社を祇園の本社とする説は、鎌倉時代に、当社が祇園執行の知行をする時点で出たものであり、東光寺鎮守社の牛頭天王社との混同があるともいう。(『八坂神社』)
 江戸時代、祇園御霊会の岡崎大鷹鉾が祇園祭に出ていたという。
◆東光寺 平安時代前期、878年、元慶年間(877-884)、藤原高子の発願により、現在の岡崎神社の地(岡崎東天王町)に創建された。933年、新堂を建立した。984年、1179年に焼失する。
 平安時代中期、後期、三善為政、儒学者・文人・藤原明衡、廷臣・漢詩人・藤原実範、 廷臣・漢詩人・藤原季綱、漢詩人・歌人・菅原在良らが庭園に遊び、詩作した。室町時代前期まで存在したという。
◆ウサギ 周辺の山はかつて野兎の生息地だった。兎は氏神の神使いといわれ、また多産であることから、子授けの信仰を生む。
 手水舎に子授けの兎の像がある。そのほか境内にさまざまな兎の置物がある。
◆雨ノ社 境内末社・雨ノ社は、竜神様とも呼ばれている。祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)、配祀に国狹槌命(くにさつちのみこと)、句句廼馳命(くくのちのみこと)、豊受媛命(とようけひめのみこと)、罔象女命(みずはのめのみこと)を祀る。
 かつて如意ヶ嶽(大文字山)の山中、池の地蔵の近くに祀られていた祠が、1917年に遷された。「竜神さん」と呼ばれ、雨乞、進学の神の信仰がある。
◆文化財 能舞台の鏡板「老松図」は、近現代の日本の画家・神坂雪佳が手がけたといわれている。
◆結婚式 神前結婚式が挙げられる。
◆樹木 オガタマノキがある。
◆岡崎祭 氏子大祭(秋祭り(10月16日)では、先頭は大櫓太鼓を牛に牽かせる。太鼓は、旧二条城にあったといわれ、直径六尺(約1.8m)ある。その後ろを11基の振鉾と神輿が続き氏子町を練る。犬鷹鉾(いぬたかぼこ)は、平安時代の姿を伝える名鉾といわれている。
 かつて神輿には、ウコンや錦の腹帯を巻いて巡行し安産が祈願されていた。
◆京都十六社朱印めぐり 京都十六社朱印めぐり(1月1日-2月15日)は、1976年に始まり当初は14社だった。古社16社を巡拝し、各社より朱印を授かる。すべての神社を参拝すると一年間のあらゆるご利益が得られるという。専用の朱印帳で期間中に全てのご朱印を受けると干支置物が授けられる。
年間行事 初詣(白酒の神酒授与。)(1月1日-3日)、京都十六社朱印めぐり(1月1日-2月15日)、節分祭(節分星祭)(2月3日)、夏越大祓式(6月30日)、例大祭(お涼み)(7月16日)、氏子大祭(湯立神楽)(秋祭り)(10月16日)、火焚祭(11月16日)、年越大祓(12月31日)。


*年間行事の中止・日時変更、拝観中止・時間変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都府の歴史散歩 中』『京都大事典』『昭和京都名所図会 2 洛東 下』『京都の寺社505を歩く 上』『おんなの史跡を歩く』『京都琳派をめぐる旅』『平安京散策』『京都 神社と寺院の森』『京都御朱印を求めて歩く札所めぐりガイド』『京の福神めぐり』


  粟田神社           須賀神社・交通神社)       平安神宮       清和天皇社      八坂神社        

手水屋形

手水屋形にある黒御影石の子授兎、兎に水をかけて、お腹をさすり子宝を祈願する。1998年に復元された。

雨ノ社

雨ノ社

雨ノ社

雨ノ社

雨ノ社


末社三宮社、祭神は右より倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、配祀:蛭兒大神(えびすおおかみ)、大国主命(おおくにぬしのみこと)

三宮社


末社、祖霊社

能舞台

能舞台
絵馬堂
岡崎神社御旅所の碑、かつては境内の西にあった。

手水舎
岡崎神社 〒606-8332 京都市左京区岡崎東天王町  075-771-1963  9:00-16:00
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