岡田鴨神社 (京都府木津川市) 
Okadakamo-jinja Shrine
岡田鴨神社 岡田鴨神社 
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右が鴨社、左が天満宮






右が鴨社、左が天満宮



鴨社
 木津川の左岸、田園地帯の集落の中に、岡田鴨神社(おかだかも じんじゃ)はある。賀茂氏、賀茂社とのゆかり深く、社紋は賀茂社と同じ双葉葵になっている。 
 祭神は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、天満宮に菅原道真の二座を祀る。
◆歴史年表 創建の詳細は不明。
 弥生時代、第10代・崇神天皇の頃(すじんてんのう、B.C.148-B.C.29)の創建ともいう。
 奈良時代、第43代・元明天皇(661-721)の営んだ広大な岡田離宮旧跡の一部という。
 伝承によれば、岡田賀茂の地には、洛北の賀茂社より賀茂明神が勧請され、賀茂氏族の発展を祈念し、賀茂氏族の祖神・賀茂建角身命が祀られたという。
 その後、離宮は荒廃し、郷民が旧跡保存のために、この地に菅原道真を祭神とする天神社を勧請し創祀したともいう。
 708年、元明天皇は岡田離宮に行幸している。この時、「賀茂、久仁」の二里の人々に、稲三十束を施したという。二里にはそれぞれ、岡田鴨神社と岡田国神社が祀られていた。
 平安時代、859年、「岡田鴨神」「岡田国神」には従五位上を授けられている。(『日本三代実録』、901)
 平安時代中期、927年、『延喜式』に相楽郡六社のひとつとして記されている。
 江戸時代、現在の境内の西(木津川左岸)にあった旧社地付近(岡田鴨神社旧社地跡)で水害被災が相次ぎ、高台の天満宮境内(現在地)に遷されたという。
 近代以前まで、宮座(みやざ)があったという。神社の祭祀などに携わる特権的な組織をいう。明治期に廃止された。
◆旧社地 奈良時代、天平期(710-794)には、現在の木津川は社地の西北にある木津川右岸、岡田山(現在の流岡)の北を流れていたという。その後、流路が変わり南に流を変えた。このため、現在の境内の西(木津川左岸)にあった旧社地付近(岡田鴨神社旧社地跡)での水害が相次ぎ、江戸時代(?)に、現在地の高台にある天満宮境内に遷されたという。
 なお、旧社地はかつて新川という川まで境内が広がっていた。境内には、南に直線に延びた参道が通じていたという。
 また、社殿の北にある「鴨大明神鳥居」「鴨大明神跡」なども鴨神社の旧社地とされ、周辺での遷座は、過去に幾度か行われた可能性があるという。
◆賀茂氏伝承 『山城国風土記』逸文(釈日本紀、713)の神話には「賀茂」のことが出てくる。それによると、神武天皇とともに天降った賀茂建角身命(かもたけつのみの みこと)は、日向国曾の峰(高千穂)から大和国葛城(葛木山、かつらぎ、奈良県御所市)地方に移り、八咫烏(やたのからす)となり、天皇を先導し、山代の国の岡田の賀茂(相楽郡加茂町)、山代河(木津川)と 北上し、最終的に「葛野河(かどのがわ、桂川)と賀茂河の会ふ所」、その鴨川上流の愛宕(おたぎ)賀茂(久我の国の北の山基、こがのくにのきたのやまも と、京都市北区の久我神社付近)に辿り着いたという。
 いくつかの川が登場している。「葛野河(かどのがわ)は桂川、「賀茂河」は鴨川、「会ふ所」とは鴨川と桂川の合流する羽束師・久我(こが)神社(伏見 区)付近とみられる。「石河(川)の清き川」「石河の瀬見の小川」も、鴨川を指しているとみられる。
 時期は、4世紀中頃までと考えられている。これを史実とみるかについては諸説があるが、賀茂神を信奉する賀茂(鴨)氏の移住の軌跡と考えられている。
◆岡田・カモ 伝承によれば、賀茂建角身命(鴨・賀茂氏)は、大和国葛城(葛木山、奈良県御所市)地方から山代の国の岡田の賀茂に移り、さらに、山代河(木津川、鴨川とも)から賀茂河(鴨川)を北上し、賀茂御祖神社(下鴨神社)が祀られた。岡田賀茂の地には、洛北の賀茂社より賀茂明神が勧請され、賀茂氏族の発展を祈念し、賀茂氏族の祖神・賀茂建角身命が祀られたという。
 社名は岡田鴨神社であり、旧社地にも「岡田鴨神社旧跡地」とある。参道右の石灯籠には、「賀茂大明神」と刻まれている。社殿西に、字「鴨村」の地名が残る。ただ、江戸時代までは「賀茂村」と表記されていたという。なお、「大明神」の地名もすぐ近くにある。
 「加茂町」の町名の由来も、賀茂(鴨)氏、岡田鴨神社と関係があるとされている。ただ、鴨、賀茂、加茂の表記が混在している。
 岡田の由来は、かつて加茂村と恭仁(くに)京のあった瓶原(みかのはら)村を岡田と称したという。また、境内の西、木津川の対岸の岡田山(現在の流岡)に由来しているともいう。現在も社地の東に、「岡田ノ庄」の地名が残る。
◆建築 社殿は、奈良の春日大社の本殿を移築した春日移しと呼ばれている。切妻造・妻入、屋根は反り、前方に向拝(庇)、朱色に彩色されている。正面の破風は三角形、妻飾りの懸魚(げぎょ)で修飾される。屋根の最上部には部材の千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)も付けられている。奈良時代中期に成立し、寺院建築の影響を受けているともいう。関西に多い。
◆泉川 木津川(きづがわ)は、古代には「泉川(泉河、いずみかわ)」と呼ばれた。「出水(いづみづ)」の転訛であり、朝鮮語に由来し、「洪水の川」という意味もあった。
 「木津(きづ)」とは、貯木場の意味があり、洪水の時に伐り出した材木を筏として流していた。「こづ」「こうづ」が「こつかわ」「きづがわ」に転じた。
◆年間行事 例大祭(4月3日)、夏越の神事(7月25日)。


『山城国風土記』逸文
山城国風土記に日はく、賀茂大神の御杜、賀茂と称すは、日向(ひむか)の曽の高千穂峯に天降り坐しし神、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、神倭磐 余比古天皇(かむやまといはれひこのすめらみこと)の御前に立ち上り坐して、大倭(やまと)の葛城山(かつらき)の峯に宿り座し、彼より漸に遷りて、山代国の岡田の賀茂に至りたまひ、山代河に随(そ)ひ下り坐し、葛野河(かづぬ)と賀茂川と会ふ所に至り坐し、迥(はるか)に賀茂川を見て、言(の)りたまひ けらく、狭く小かれども、然も石河の清き川なりとのりたまひき。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都発見 四 丹後の鬼・カモの神』『京都の地名検証』
 



  関連・周辺     周辺     関連下鴨神社        

撫で牛

末社・八幡宮(遥拝所)、祭神は応神天皇

末社・三十八社神、鹿嶋神御子三十八神

末社・金毘羅社、大物主命

参道右の石灯籠には賀茂大明神とある。

参道左の石灯籠には天満宮とある。

「社殿跡」の碑

一ノ鳥居右にある道標「いがいせ道」と記されており、古くより京都、大和、伊勢への分岐点として付近は交通の要衝地だった。伊勢までは徒歩で半日。江戸時代、天保戌年(1838?)の銘がある。

木津川左岸竹林の中にある旧社地、「岡田鴨神社旧跡地」の碑、1930年建立。

木津川沿いの孟宗竹林は、洪水の防止のために植えられたともいう。

【参照】社殿の近くを流れている木津川、左手に岡田山がある。



【参照】岡田鴨神の東にある加茂八幡宮・七福権現大明
 岡田鴨神社 〒619-1113 京都府木津川市加茂町北44  0774-76-3131
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