大井神社 (亀岡市)
Oi-jinja Shrine

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 亀岡市大井町の桂川西岸に大井神社(おおいじんじゃ)はある。祭神が鯉に乗り大堰川(桂川、保津川)を遡上してきたとの伝承があり「鯉明神」ともいわれている。大堰川の鎮護の神として祀られてきた。
 祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、月読命(つくよみのみこと)。木の神、水神、安産の神の木股命(きのまたのみこと、御井神<みいのかみ>)を祀る。 
 延喜式内社の『延喜式神名帳』には「丹波国桑田郡大井神社」とある。「山城国乙訓郡 大井神社」の後裔社ともされているが否定説もある。
◆歴史年表 奈良時代、710年、女帝の第43代・元明天皇の勅命により創建されたという。
 平安時代、866年、現在も続く「馬駆け神事」が始まったという。
 安土・桃山時代、1576年、明智光秀の兵火により焼失した。
 1584年、現在の社殿は豊臣秀吉の命により片桐且元を作事奉行として再建された。秀吉が「正一位大明神」の扁額を自著し奉納したともいう。
 近代、1873年、郷社に列した。
◆伝承 伝承によれば、奈良時代、702年、祭神の御井神(木股命)、市杵島姫命は松尾大社より神使の亀の背に乗り大堰川を遡上した。だが、保津の急流が乗り切れず、鯉に乗りかえて現在の亀岡市河原林町勝林島(在元渕)に上陸したという。その後、鎮座される。
 当社の東、桂川東岸にも現在、大井神社があり同じ祭神を祀っている。大井神社は、当初東岸に祀られ、後に西岸の現在地(大井町)にも遷座になったとみられている。
 別の伝承として、松尾社の5人の祭神のうちの木股命は、神々に疎まれ、当初は神輿に乗せられ山城久世の森に連れられ桂川に流された。木股命は下流に流れるのを嫌がり、松尾社の神使である亀の背に乗り、大堰川を遡った。やがて保津の急流より鯉に乗り換え大井に上陸させられ、大井神社に祀られたともいう。久世では空の神輿を拾い、以来、空の神輿を担ぐという。
 祭神を乗せ上陸させた鯉と亀が当社の神使とされている。当社の氏子は特に鯉を尊び、鯉を呼び捨てにしない。捕えることも禁じ、食用にせず、端午の節句に鯉のぼりを上げることもしないという。
◆建築 拝殿と拝所、流造の本殿が棟続きになっており、東西方向に一列に並ぶ。
◆年間行事 立花神事(8月19日)(氏子が松の古木を役枝<やくえだ>として、細枝に松葉を刺して立花を造り神前に奉納する。これは室町時代の池坊専好が創始した立花の源流とされている)。
 例祭(「馬駆け神事」の創祀は奈良時代、710年ともいう。現在は、神事、四人の巫女による「浦安の舞」奉納、大井神社太鼓の奉納、玉串奉天の後、子ども神輿が練る。神輿、十二基の馬に稚児、宮司、甲冑武者、烏帽子武者らが騎乗し練る。昭和期(1926-1989)初期まで、境内の馬場で競馬<くらべうま>が行われ、時に流鏑馬も奉納していたという。その後、廃絶した。)(10月16日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京の古代社寺 京都の式内社と古代寺院』『京都・山城寺院神社大事典』『京都府の歴史散歩 下』


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 大井神社 亀岡市大井町並河1-3-25  0771-22-5066
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