善能寺 〔泉涌寺〕 (京都市東山区)
Zenno-ji Temple
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「日本最初稲荷神石社」の碑


祥空殿


祥空殿


日本最初稲荷神石社


稲荷大神


弁財天


「南無観世音 藤はようらく(揺落)空に散る」、俳人・荻原井泉水(おぎわら せいせんすい、1884-1976)の句碑。
 善能寺(ぜんのうじ)は、泉涌寺塔頭のひとつに数えられる。古くは、「二階堂」とも称された。 
 真言宗泉涌寺派、本尊は阿弥陀如来像を安置する。
 本堂の聖観世音菩薩は、洛陽三十三観音巡礼第18番札所になる。御朱印は泉涌寺で授けられる。
◆歴史年表 創建、変遷は不明。
 平安時代、823年、806年とも、弘法大師空海の開創ともいう。稲荷大明神を祀り善能寺と号した。もとは、西八条北猪熊(下京区二階堂町)にあったという。東寺の東であり、稲荷神の本地仏・聖観音を祀る二階堂の後身という。以来、洛陽観音霊場の一つとして崇敬された。
 第52代・嵯峨天皇(在位809-823)の勅願寺になる。二階堂(二階観音堂)と称し、聖観音を本尊とした。
 第51代・平城天皇(在位806-809)の勅願所になる。
 室町時代、1545年、第88代・後嵯峨天皇の勅命により、泉涌寺に移り塔頭の一つになった。(『坊目誌』)
 また、1551年、1555年とも、第105代・後奈良天皇の勅命により、山内(今熊野観音寺の西北)に護持院として移転したともいう。
 江戸時代、元和年間(1615-1624)、安楽光院が泉涌寺塔頭としてこの地に再建されたという。もとは、西洞院上立売北(上京区)にあり、室町時代、1475年に焼失する。その後、この地の安楽光院は廃絶した。
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により荒廃する。
 1887年、善能寺は現在地に移り、再興された。
 現代、1971年、北海道で遭難した航空機「ばんだい号」犠牲者遺族の谷本氏が、犠牲者の冥福と航空機事故絶無を願い、本堂(祥空殿)を寄進し、建立した。
 1972年、作庭家・重森三玲により池泉式庭園「遊仙苑」が作庭された。
◆仏像 平安時代後期作の「阿弥陀如来坐像」は、上品上生印を結ぶ。木造、漆箔。
 本尊の「聖観世音菩薩」は、左手に蓮の蕾を持つ。像高1m、本尊の周囲を、ばんだい号犠牲者の位牌が囲む。
 陀枳尼天尊天を祀る最初の寺院ともいう。国稲荷神の本地仏としての信仰がある。
◆建築 本堂(祥空殿)は、1971年に、航空機事故で亡くなった人々の霊を慰めるために、遺族篤志家・谷本氏の寄進により建立された。方三間、宝形造、相輪は宝珠、五輪による。
◆ばんだい号墜落事故 1971年、風雨の中、函館空港に着陸直前だった東亜国内航空のYS-11機は、郊外の横津岳に墜落した。事故原因については不明とされている。運航乗務員2人、客室乗務員2人、乗客64人の計68人が犠牲になった。
 なお、1966年に富士山麓に墜落したBOAC機の犠牲者24人、1971年に岩手県雫石町で、自衛隊機と接触し墜落した全日空機の犠牲者162人も供養されている
◆稲荷神石社 境内に、稲荷大神を祀る「日本最初稲荷神石社」という祠社がある。空海が祀ったという。
 逸話がある。平安時代、823年、空海は東寺南門で、稲を背負った老翁と出遭う。翁は自らを、八条の二階観音堂に住する柴守長者と名乗る。無者に福を与え、空海の仏法を守護するという。空海は喜び、赤飯を供し法華経を講じた。以後、長者を稲荷大明神と尊称し、観音堂を善能寺と改めた。本尊を聖観音とし、稲荷社も祀って供養したという。
◆庭園 池泉式庭園の「遊仙苑」は、1972年に重森三玲により作庭された。池泉式庭園の作庭は重森としては珍しいという。蓬莱神仙の庭は、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土・桃山時代の各庭園様式手法が組み合わされている。なお、庫裏が建てられることを前提として作庭されたという。
 森を背にして、池、築山、龍門瀑、石橋、白砂、苔地、飛石、植栽などで構成されている。青石による立石が護岸として組まれ、石が林立し、龍門瀑も組まれている。池庭の地割は州浜型になる。
 三玲は、「飛行機が幾千万の山海上空を飛翔し、窓外に各地の山岳や平野を俯瞰する景観を全庭に畳んだ」と述べている。
 境内に、「南無観世音 藤はようらく(揺落)空に散る」、俳人・荻原井泉水(おぎわら せいせんすい、1884-1976)の手向けの供養句碑が立つ。石組は三玲による。白砂に立てられた句碑を石組に入れており、四方正面の三尊石組になる。
◆光照院・持明院・安楽光院
 平安時代後期、光照院境内(上京区)を含む地に、公家・武人の藤原基頼(ふじわら の もとより、1040-1122)の邸宅があった。
 持明院は、その邸内に基通が安楽光院という持仏堂を建立したことに始まる。後に持明院と改称された。室町時代、1353年に持明院は焼失する。安楽光院 は残る。1475年にも持明院は焼失している。その後、再建されることはなく、跡地に、室町時代、1477年に光照院が移転した。
 なお、安楽光院は、泉涌寺塔頭・来迎院(東山区)に合併されたという。また、江戸時代、元和年間(1615-1624)、安楽光院が泉涌寺塔頭としてこの地に再建されたともいう。その後、安楽光院は廃絶したともいう。
◆墓 冷泉家の祖・藤原長家(1005-1064)の墓は善能寺裏山にある。御子左家(みこひだりけ)になる。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都市の地名』『古寺巡礼 京都 27 泉涌寺』『昭和京都名所図会 1 洛東 上』『昭和京都名所図会 5 洛中』『京都観音めぐり』『京都大事典』『重森三玲 庭園の全貌』『重森三玲-永遠のモダンを求めつづけたアヴァンギャルド』『重森三玲 モダン枯山水』『京都御朱印を求めて歩く札所めぐりガイド』『京都の隠れた御朱印ブック』


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庭園「遊仙苑」

サザンカ

ムラサキシキブ

雲紋築山、雲とも飛行機の形を象ったともいわれている。かつては白砂敷きに苔地の築山となっていたという。

航空機にも見える立石の石橋。
 善能寺 〒605-0977 京都市東山区泉涌寺山内町  075-561-1551
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