角坊(旧角坊別院) (京都市右京区) 
Sumino-bo Temple
角坊 角坊 
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山門






「親鸞聖人御往生之旧地」の石碑」


山門の笠は、かつて境内に立っていた親鸞像が被っていたという。1935年、戦時金属供出により像は撤去され、いまは笠だけが残された。






手水舎
 角坊(すみのぼう)は、かつて角坊別院(すみのぼうべついん)と呼ばれていた。現在は、本山・本願寺(西本願寺)の飛地境内になっている。この地は本願寺派では、浄土真宗開祖・親鸞聖人の往生地とされる。正式には本願寺角坊別院という。 
 浄土真宗本願寺派(浄土真宗西本願寺)。本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 鎌倉時代、この地、山ノ内には、比叡山・東塔、善法院里坊(支坊、禅法院)があり、親鸞の弟・尋有(じんう)が住していたという。(『山城名跡巡行志』)。親鸞の高弟の住坊があったともいう。
 1255年、親鸞の五条西の洞院辺の住居が焼失後、この善法坊に移ったという。
 1263年、11月28日(新暦1月16日)、親鸞はこの地で亡くなる。その後、荒廃する。
 江戸時代末期、1857年、角坊別院は建立された。宗祖・親鸞の600回大遠忌法要を機に、西本願寺第20世・広如(こうにょ)が、学僧・僧純に命じ、親鸞往生地の、善法坊の場所を特定させた。僧純は『親鸞聖人絵伝』に記された往生の地「長安馮の辺」を現在の「山ノ内」付近と考証した。広如はこの地を取得し、堂舎を建て顕彰する。角坊の名の由来は、親鸞が善法院の一角に住んだ草庵の号に因む。場所は、「三条坊門富小路<無差小路>と押小路南・万理小路<山小路>」 (『山城名跡巡行志』)にあり、現在地に重なる。
 近代、1944年、本願寺南書院の門が移築されている。
 現代、2008年、本願寺飛地境内になる。角坊と改める。
 2009年、境内整備工事が行われる。
 2010年、整備工事が終わった。
◆尋有 鎌倉時代の天台宗の僧・尋有(じんう、生没年不詳)。日野有範の次男、親鸞の弟。幼くして比叡山に登り出家した。1262年、親鸞が死去したのは、尋有の住坊「善法坊」とされる。
◆親鸞
 平安時代-鎌倉時代の僧・親鸞(しんらん、1173-1263)。京都の日野(伏見区)に長男として生まれた。父は藤原北家の流れをくむ日野有範。母は源氏の出身。幼くして両親を失う。1181年、叔父・日野範綱に連れられ、1181年、9歳で青蓮院・慈円のもとで出家得度し、範宴(はんねん)と称した。以後、比叡山横川首楞厳院の堂僧として20年間修行を続けた。東塔無動寺谷の大乗院で修業する。1201年、29歳の時、比叡山を下り、六角堂に参籠、師・源空(法然)の導きにより、浄土教に帰依した。1204年、法然が定めた「七箇条制誡」弟子のひとりとして連署する。1205年、法然は『選択本願念仏集』の書写、法然肖像を描くことを許す。1207年、承元(じょうげん)の法難により、専修(せんじゅ)念仏停止(ちょうじ)にともない、35歳で越後に流罪になり、僧籍剥奪される。禿釈親鸞と自称する。1211年、赦免され、1214年、42歳で妻・恵信尼、子らとともに関東での布教を行った。晩年、1235年頃、恵信尼らと別れ、末娘・覚信尼と京都に戻る。1256年、長男・善鸞を義絶した。弟・尋有の善法坊で90歳で亡くなったという。浄土真宗の祖。
 浄土真宗の教義が体系化された6巻の『教行信証』(1224)などを著した。この年に立教開宗し、「非僧非俗」を宣言した。罪深い身である者は、阿弥陀仏の本願力を信じ、念仏を唱えることが基本であるとした。絶対他力の自然法爾、悪人こそが本願により救われるという悪人正機を唱えた。語録に唯円編の『歎異抄』がある。
 西本願寺では没年は1263年になっている。
◆僧純 江戸時代の学僧・僧純(正聚房)。本願寺第20・広如の命により、親鸞往生地を特定した。『高祖聖人皇都霊跡志』(1858)を著している。
◆広如 江戸時代後期-近代の僧・広如(こうにょ、1871-1798)。大谷光沢(おおたに こうたく)。河内生まれ。父は西本願寺第18世・文如の3男。19世・本如の養子になり、1826年、西本願寺第20世。教団の財政改革、北海道開教を行う。尊攘家であり、1868年、戊辰戦争で朝廷へ資金提供、紫宸殿を警固した。亀山天皇陵の修復、鴨川荒神口の架橋なども行う。
◆往生地 親鸞は、最晩年に火災によって住処を焼け出され、弟の僧・尋有(じんぬ)が院主の坊だった 「善法院(禅法院)」に移ったという。比叡山の東塔・善法院の里坊だった。1263年、親鸞は90歳(満89歳)で亡くなり、臨終は、尋有、末娘・覚信尼らが看取った。
 親鸞の入滅地、荼毘に付された地については東西本願寺で異なる。西本願寺では、入滅地善法院(善法坊)について、「禅房は長安馮翊(ふよく)の辺、押小路の南、万里小路より東」(本願寺第3代・覚如、『本願寺聖人親鸞伝絵(御伝抄)』)とある。高田派第3代・顕智の書写『獲得名号自然法爾御書』奥書には、「三条とみのこうち(富小路)の御坊」とある。二書はほぼ同地とされた。
◆建築 本堂脇にある「元本堂(旧本堂)」は、御所より移築されたという。
 1944年、本願寺南書院の門が移築されている。
◆文化財 「親鸞絵像」を安置している。 


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『日本の名僧』『京都歴史案内』『京都の地名検証 3』『京都大事典』


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本堂(還浄殿)

本堂

本堂、広如宗主筆「還浄殿」竪額、還浄とは忌中の意

本堂

右余間欄間彫刻「洛陽遷化」(『親鸞聖人絵伝、第8幅』)

灯籠の「角坊」の「角」の字は下に突き出している。

親鸞聖人像

親鸞聖人像

「還浄殿」の石碑

鐘楼

【参照】現在は撤去された「元本堂」、かつて書院として使われていた。

【参照】「元本堂」の扁額
 角坊  〒615-0091 京都市右京区山ノ内御堂殿町25  075-841-8735
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