斎明神社 (京都市右京区)
Saimei-jinja Shrine
斎明神社  斎明神社
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本殿


覆屋の下に神明造の本殿


拝殿


 桂川にほど近い嵯峨柳田町の斎明神社(さいめい じんじゃ)は、神明神社(しんめい じんじゃ)とも呼ばれている。
 祭神は、天照大神を祀る。
◆歴史年表 平安時代、859年、第56代・文徳天皇皇女・恬子(てんし)内親王は、第31代・伊勢斎宮に卜定(ぼくじょう)された。斎宮は、嵯峨・野の宮に籠り、この地に天照大神を祀り潔斎したという。
 室町時代、1344年、その旧跡地に、天龍寺塔頭の慈済院開山・佛慈和尚により、慈済院の鎮守として創祀された。
 1470年まで、当地に慈済院がありその境内地になっていたという。
 江戸時代、1606年、慈済院第7世・菊齢彭により社殿が建立される。
 1771年、下司河村幸右衛門により建て替えられた。
 現代、1990年、本殿、拝殿は、京都市登録有形文化財に指定された。
◆恬子内親王 平安時代の女性皇族・恬子内親王(てんし/やすらけいこ/やすこ848頃?-913)。第56代・文徳天皇皇女。859年、第56代・清和天皇の即位にともない、12歳で斎宮に卜定され、861年、伊勢に下った。876年、清和天皇の第57代・陽成天皇への譲位により退下した。
 平安時代の歌物語『伊勢物語』の第69段「狩の使」中に登場する、斎宮のモデルともいわれている。在原業平がモデルとされる「昔男」と斎王の禁断の恋を描いている。
◆斎王 斎王(さいおう/いつきのみや)は、伊勢神宮の天照大神に御杖代(みつえしろ、神の意を受ける依代)として奉仕した未婚の内親王か女王のことをいう。洛西の大堰川、紙屋川、有栖川は古代より祓禊の場になっており潔斎の場も置かれていた。
 伝承では、垂仁(すいにん)天皇の代(B.C.29?- A.D.70?)の、倭姫命(やまとひめのみこと)に始まったという。実質的には、飛鳥時代、670年第40代・天武天皇の娘・大来皇女(おおくのこうじょ)より、第96代・後醍醐天皇の代(1330頃)まで、660年間に60人余りの斎王が生まれている。
 天皇の即位とともに、斎王に卜定(ぼくじょう)された未婚の内親王か女王は、大内裏の斎所である初斎院(しょさいいん)で1年間の潔斎をした。その後、7月に郊外の清浄な野に建てられた野宮(ののみや)に入る。8月、賀茂川で禊を行った。朱雀天皇の頃より9月に変更された。さらに1、2年の精進潔斎生活を送り、9月に野宮より出て桂川で禊し、宮中に入った。天皇との別れの儀を経て、5泊6日の群行により伊勢の斎宮寮へ向かった。 
 野宮は洛西にあったとされ、野宮神社、斎宮神社、斎明神社などもその旧跡地とされている。
◆建築 神明造の本殿は、江戸時代、1771年に建立された。簀屋祢(すやね)に覆われている。身舎(もや、母屋)両妻(りょうづま)に、棟持柱(むなもちばしら、側面中央の壁面より外側に飛び出し、棟へ達する柱)を建てる。市内で数少ない神明造の一つという。かつて、正面に一間の入り口を開けた玉垣が四周を覆っていたという。
 檜皮葺(ひわだぶき)の拝殿は、舟肘木(ふなひじき、斗を用いず、柱上に直接舟形の肘木をのせ、桁を受ける)の形などにより、江戸時代末の創建とみられている。
 1990年、本殿、拝殿は、京都市登録有形文化財に指定された。
◆末社 稲荷大神、愛宕大神、八坂大神、天満天神を祀る。
◆樹木 オガタマノキがある。
◆年間行事 例大祭(毎年5月第2日曜)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考資料 駒札、『洛西探訪』『京都 神社と寺院の森』


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末社

末社、右より天満宮、八坂神社、愛宕神社、稲荷神社
 斎明神社 〒616-8363 京都市右京区嵯峨柳田町9   075-871-0660
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