蓮華寺 (京都市右京区)
Renge-ji Temple
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本堂


不動堂








十三重宝塔 




納経所
 仁和寺の東に五智山蓮華寺 (ごちざんれんげじ)がある。 
 真言宗御室派の別格本山。本尊は、五智不動尊。
 近畿三十六不動尊第十五番霊場。
 知恵の祈願仏・本尊に因み、学業守護の篤い信仰がある。
◆歴史年表 平安時代、806年、中国より帰国した弘法大師(空海、774-835)は、広沢池の北西、北嵯峨(現在の、鎌倉時代第91代・後宇多天皇の蓮華峰陵)の岩屋の中で、不動明王を石に刻んだという。大師は、きゅうり封じの秘法を残し、開山となったともいう。
 1057年、藤原康基は、この弘法大師の不動尊を本尊とし、弥陀、観音などの諸像を安置し、蓮華寺を建立した。
 平安時代、遍照寺の住持・寛朝僧正(916-998)以来、第64代・円融天皇、第66代・一条天皇、第70代・後冷泉天皇の勅願所となった。以後も、仁和寺奥院として栄える。
 鎌倉時代、徳治年間(1306-1308)、第91代・後宇多天皇により中興され、寺名も蓮華峰寺(峯)寺(れんげぶじ)と改められる。後宇多法皇は住持となった。
 室町時代、1467年、応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失している。
 その後、鳴滝の音戸山(おんどやま、五智山、165メートル、現在の宇多野病院裏)山腹に遷されている。後、永らく荒廃した。
 江戸時代、1641年、江戸の豪商・樋口平太夫家次により、音戸山に再興されている。また、木食上人但称(但唱)により五智如来などの石仏群像が6年の歳月をかけ造立され、伽藍、堂宇も建立された。尊祐を中興開山とした。仁和寺宮・覚深法親王(後陽成天皇第一皇子)により、五智山蓮華寺の号を贈られている。
 寺は、その後、乗円、雲寂上人らを出して栄えた。また、御室御所院家として、総法務ノ宮(仁和寺ノ宮)の指南役を務め、六十六部の総本山となる。
 その後、焼失する。
 近代、1928年、中興第18世・大僧正慈海上人により現在地に再興された。
 現代、1958年、音戸山に残され損傷していた五智如来5体、虚空蔵、観世音、地蔵菩薩像、聖僧像、単称、平大夫両親、平大夫の像など12体、平大夫の墓碑などが修復され現在地に移されている。
◆尊祐  江戸時代の真言宗の僧・尊祐(そんゆう、1645-1717)。下野に生まれた。1669年、京都に上り、智積院の運敞にまなぶ。大和・長谷寺の尊如に師事した。1707年同寺の能化(のうけ)、1708年、江戸・護国寺で僧正となる。
◆樋口平太夫 江戸時代の江戸の豪商・樋口平太夫家次(生没年不詳)。伊勢に生まれた。江戸日本橋に住した。後に発心し入道となり、常信と称した。木食となり、諸国霊場を巡る。金札を打ち、国々に納経する六十六部の修行を行った。総供養に当寺を訪れ、再興に尽力したという。
◆伊藤大輔 近現代の映画監督・伊藤大輔(いとう だいすけ、1898-1981)。愛媛県宇和島市生まれ。松山中学で伊丹万作、中村草田男らと同人誌発行、1920年松竹キネマ付属の俳優学校に入る。初監督作品は「酒中日記」(1924)、独立し1926年、伊藤映画研究所、1926年日活太秦撮影所、作品には傑作といわれた「忠次旅日記」三部作(1927)、「下郎」(1927)、大河内伝次郎の丹下左膳が登場した「新版大岡政談」(1928)、傾向映画「斬人斬馬剣」「一殺多生剣」(1929)などがある。1933年、新映画社を経て同年に日活に戻る。1936年、映画監督の伊丹万作、衣笠貞之助、村田実、牛原虚彦らと日本映画監督協会を設立。「王将」(1948)、傑作時代劇「反逆児」(1961)を撮る。移動撮影を好んだ。脚本家としても活躍した。
 旧宅が御室堅町にあった。蓮華寺に墓がある。
◆片岡千恵蔵 近現代の俳優・片岡千恵蔵(かたおか  ちえぞう、1903-1983)。群馬県生まれ。幼い頃に母親を亡くし、東京市に移る。1912年、9歳で歌舞伎の11代目・片岡仁左衛門主宰の片岡少年劇に入門。芸名・片岡十八郎、後に片岡千栄蔵を名乗る。1923年、映画「三色すみれ」に出演。1927年、牧野省三のマキノ・プロダクション御室撮影所に入社。片岡千恵蔵を名乗り、「万花地獄」で初主演した。1928年、マキノを退社、片岡千恵蔵プロダクションを創立。「天下太平記」以降多くの時代劇を製作した。1929年、嵯峨野に千恵プロ撮影所を完成。1937年、千恵プロを解散し、全従業員と日活京都撮影所に入社した。1942年、日活は戦時統合により大映となる。当時の阪東妻三郎、嵐寛寿郎、市川右太衛門とともに「時代劇四大スタア」と呼ばれた。1946年、「七つの顔」の多羅尾伴内役、1947年、東横の「三本指の男」の金田一耕助役が当たる。1949年、東横映画へ移籍した。1951年、東横映画は合併後、東映に商号変更になり、市川右太衛門とともに重役スターとして活躍した。「大菩薩峠」(1957-1959)、「いれずみ判官」の遠山金四郎、忠臣蔵の大石内蔵助役は4度演じた。
 蓮華寺に墓がある。
◆仏像 本堂には、本尊の阿弥陀坐像を安置し、不動堂には、寛朝大僧正が円融天皇中宮・藤原詮子のために安産を祈ったといわれる不動明王像を安置する。
 境内には、丈六(1丈6尺は約4.85m)の石造五智如来像5体(釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来、宝生如来、薬師如来)が祀られている。智恵、学業の守護尊という。これらは、1958年までは音戸山山頂にあった。もとは、1641年、常信の依頼により、木喰僧 ・単称(たんしょう、但称とも)上人が、信州、浅間、紀州那智の三山で、それぞれ百日の荒行の後に彫った石像という。
 また、虚空蔵、観世音、地蔵菩薩像、聖僧像、単称、平大夫両親、平大夫の像など12体、平大夫の墓碑なども祀られている。
◆桜
 境内には、染井吉野、枝垂桜、御衣黄が咲く。
◆墓 「時代劇の父」と呼ばれた映画監督・伊藤大輔、映画俳優・片岡千恵蔵の墓があり、傍らに「熱眼熱手」の碑が立つ。
◆年間行事 月祭事(毎月18日)、初祈祷会(1月1日-3日)、五智不動尊大祭(万巻経)(4月28日)。
 きゅうりふうじ(7月土用の丑の日)、弘法大師が、五智不動尊に諸悪退散、諸病平癒の祈願を込めたことが由来という。胡瓜に、願い事を書き、本堂で加持をしてもらう。病苦逃れ、長寿、安楽往生できるという。
 厄除招福大護摩会(柴灯大護摩会)(12月13日)など。


*年間行事の中止、日時変更、拝観時間変更の場合があります。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都の寺社505を歩く 下』『京のご利益めぐり』『シネマの京都をたどる』『京都シネマップ 映画ロマン紀行』


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鐘堂、五智の鐘

五智如来像5体(右より薬師如来、宝生如来、大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来)、それぞれ基礎は八角形、反花座、花崗岩製。蓮華座にのり、半丈六。安山岩製の一石丸彫り、1.2m(台座を入れて3m)。

空蔵、観世音、地蔵菩薩像、聖僧像、単称、平大夫両親、平大夫の像など12体。銘より、江戸時代、1641年、願主・樋口平太夫により、木食上人但称(但唱)が造立したという。

大壇越、樋口平大夫の墓碑

海軍第4期兵科予備学生会(1982)、太平洋戦争に学徒出陣した戦友を悼む。

映画監督・伊藤大輔の墓
 


映画俳優・片岡千恵蔵の墓
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