白峯神宮 (京都市上京区) 
Shiramine-jingu Shrine
白峯神宮 白峯神宮 
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手水舎


手水舎




拝殿


本殿







地主社


伴緒社(伴尾社、とものおしゃ)


伴緒社

 今出川通りに面して白峯神宮(しらみね じんぐう)がある。 
 主祭神は平安時代の第75代・崇徳(すとく)天皇、奈良時代の第47代・淳仁(じゅんにん)天皇を祀る御霊社になる。旧官幣大社。
 球技上達、武道弓道上達、学芸上達、縁結び、厄除、延命長寿、無病息災、織物和装繁栄、学業成就、水(染、醸造)守護などの信仰がある。
◆歴史年表 近代以前、この地には公家・飛鳥井家邸があった。
 近代、1868年、創建された。第121代・孝明天皇の遺志を継ぎ、第122代・明治天皇は、四国香川の白峰陵墓前、白峯寺(御影堂)に祀られていた第75代・崇徳天皇の神霊(木像・白峯大権現)を神輿に乗せて当地に遷座した。
 1873年、淳仁天皇(淡路廃帝)の神霊が天王森山陵(南あわじ市)より合祀されている。官幣中社となる。
 1940年、白峯神宮と改称する。官幣大社となる。
崇徳天皇 平安時代後期の第75代・崇徳天皇(すとく てんのう、1119-1164)。顕仁。第74代・鳥羽天皇の第1皇子。母は待賢門院藤原璋子。白河法皇(第72代)の子ともいう。1123年、院政をしいた曾祖父・白河法皇の意により、5歳で皇位を継承する。1129年、白河法皇没後、同じく院政をしいた父・鳥羽上皇と対立した。1141年、鳥羽上皇に迫られ、異母弟・体仁親王(第76代・近衛天皇)が皇位継承する。1155年、近衛天皇が急逝後、崇徳上皇は子・重仁親王の即位を望む。だが、異母弟・雅仁親王(第77代・後白河天皇)が即位し、その子・守仁親王(後の第78代・二条天皇)が立太子となる。1156年、鳥羽法皇没後、崇徳上皇は、左大臣・藤原頼長らと挙兵する。(保元の乱)。平安時代初になった乱に敗れ、讃岐国に配流、その地で没した。死後、天皇初の怨霊(讃岐院怨霊)として恐れられた。和歌に秀でた。 
 没後、1177年、崇徳院の諡号(しごう)を贈られた。1184年、保元の乱の戦場跡、春日河原には粟田宮(左京区聖護院)が建立される。崇徳天皇が流された讃岐の御陵にも、鎌倉時代に御影堂が建立された。堂は白峰寺が管理し、白峰宮と呼ばれた。1868年、京都に白峰宮(白峯神宮、上京区)が建立された。江戸時代、上田秋声の『雨月物語』にも崇徳の御霊が登場する。
◆淳仁天皇 奈良時代の第47代・淳仁天皇(じゅんにん てんのう、733-765)。天武天皇の孫、舎人親王と当麻山背の子。757年、道祖王に代わり、公卿・藤原仲麻呂の推挙により皇太子となる。758年、第46代・孝謙天皇の譲位を受けて即位した。第45代・聖武天皇皇后・光明皇太后没後、道鏡の処遇をめぐり淳仁・仲麻呂と孝謙上皇とが対立、764年、仲麻呂は乱を起こして敗死、淳仁天皇も廃帝となり淡路に流され幽閉された。765年、逃走が失敗し捕らえられ亡くなった。
 近代、1870年、淳仁の諡号が贈られる。
◆怨霊 平安時代、1156年の保元の乱後、奈良時代の第47代・淳仁天皇の淡路配流以来、400ぶりに崇徳上皇は讃岐流罪になった。
 上皇は、後生菩提のために血書で大乗経5部を写経し、弟・覚性法親王に送り帰京することを切望した。だが、その望みはかなわなかった。配所での9年の最期は、舌を噛み切り、その鮮血で呪詛の誓文を書き連ね憤死したという。また、写経に血で呪詛の言葉を書き連ね海底深く沈めた。以来、上皇は髪も爪も切らず怨念の鬼と化し、讃岐の地で亡くなったという。(『保元物語』)
 讃岐・白峰山への葬列の際には雷雨になり、柩から血が溢れ出たという。その後、京都では火災が相次ぎ、源平の戦乱が起きた。近代に入り、皇都守護のためとして当宮に遷座され、700年の歳月を経て都に帰郷を果たした。
◆飛鳥井家 蹴鞠の起源は、紀元前300年頃の中国、戦国時代の蹴鞠(しゅうきく)にあるという。日本には、飛鳥時代、538年の仏教伝来により伝えられたという。平安時代、蹴鞠は、貴族の遊戯として流行した。その後、公家、武士、庶民にも普及する。
 蹴鞠の宗家・飛鳥井家は、平安時代末、難波家の忠教(1076-1141)に始まる。藤原氏北家の流れ、難波家の支流、家格は羽林(うりん)家になる。子・頼輔は蹴鞠の祖といわれた。その孫・飛鳥井家の祖、参議・雅経(1170‐1221)も蹴鞠に長じ、藤原俊成に歌道も学ぶ。蹴鞠名人と謳われた飛鳥井成通(藤原成通、1097-1162)は「千日の毬」を達成し、「蹴聖」と呼ばれた。室町時代、権中納言雅世(1390-1452)、権大納言・雅親(1417‐1490)父子も歌道の発展に尽くした。
 境内の地主社は、かつて飛鳥井家の邸内社であり、白峯神宮創建の際に遷された。祭神・精大明神(せいだいみょうじん)は蹴鞠の神として祀られている。鞠の精三神ともいう。平安時代後期、第74代・鳥羽天皇の頃(1107-1123)、蹴鞠の名人・飛鳥井成通は、千日の願掛けをし、満願の日に猿に化身した三神が現れたという。このため、鞠を蹴る際には三神の春陽花(やう)、夏安林(あり)、秋園(おう)の神名を掛け声にした。神猿は、当宮と大津の平野神社に祀られている。
 近代以降、蹴鞠は衰微する。第122代・明治天皇の勅命により、1907年に華族らにより蹴鞠保存会が結成された。2001年、境内に蹴鞠碑が立てられる。
 飛鳥井流は、右足の甲だけで毬を蹴る。毬の中は空洞になっており、外は2枚の鹿皮を使用し、馬皮の紐で閉じている。毬の直径は20㎝ほどあり、120gの重さがある。境内には鞠庭があり、神が降り立つとされる懸かりの木(式木)(松、桜、柳、楓)が四隅に植えられている。鞠場も設けられ、蹴鞠保存会により蹴鞠(4月、7月)が奉納されている。
 飛鳥井町の町名が残る。
◆配流された天皇 当社祭神の第47代・淳仁天皇(733-765)、第75代・崇徳天皇(1119-1164)、そして、1221年、承久の乱で隠岐に流された平安時代-鎌倉時代の後鳥羽上皇(第82代、1180-1239)の3人がいる。
◆末社 末社・地主社の祭神は、中御前、精大明神(鞠精大明神)、南御前、稲荷神の柊大明神(魔除、厄除、延命長寿)、稲荷神の糸元(いともと)大明神(織物、和装守護)、北御前、今宮大神(無病息災)、白峯天神(学業成就)になる。これらの稲荷神は、かつて飛鳥井家に祀られていた屋敷稲荷神になる。
 精大明神は飛鳥井家にあった守護神で、蹴鞠の神になる。スポーツ競技上達、芸能上達の信仰を集める。後鳥羽上皇の建立によるともいう。飛鳥井家が祭祀してきた。
 
伴緒社(とものおしゃ)の祭神は源為義・源為朝父子になる。ご神体は崇徳上皇筆の二人の画像という。平安時代、1156年、保元の乱で崇徳上皇に付いた父・源為義(1096-1156)と、敵対する後白河天皇側に付いたその子・源為朝(1139-1170?)がともに祀られている。二人とも弓の名手とされ武道・弓道上達の神として崇敬された。
◆建築 本殿は流造、銅板葺。下鴨神社の河合社を模している。
◆文化財 鎌倉時代の絹本著色「崇徳上皇像附絹本著色随身像(重文)。京都博物館保管。
◆樹木 樹齢数百年の小賀玉木(オガタマノキ)(京都市指定天然記念物)は、京都市最大を誇る。飛鳥井家邸宅当時の植栽という。樹高15.7m、胸高幹周は南幹2.42m、北幹2.51m。
 含笑花(トウオガタマ)がある。三葉の松(三鈷の松)は、落葉すると黄金色に変わるため、金運ある金銭松ともいわれる。クロガネモチ、タチバナ、ナギ、リギダマツ、ムクノキ、ムクロジなどがある。左近の桜、右近の橘がある。
◆小川・名水 神社の東に、かつて「小川(こかわ)」が流れていた。
 境内には、名水として知られる「飛鳥井」、「潜龍井(せんりゅうい)」がある。
  「飛鳥井」は、1985年に地下35mで掘り当てられた。清少納言の『枕草子』で名を挙げられた。168段に「井は、ほりかねの井。走り井は逢坂なるがをかしき。山の井、さしも浅きためしになりはじめけむ。飛鳥井『みもひも寒し』とほめたるこそをかしけれ。玉の井、少将ノ井、櫻井、后町の井。千貫の井。」とある平安時代の催馬楽「飛鳥井」には、「飛鳥井に宿りはすべし、や、おけ、蔭もよし、御水も寒し、御秣(みまくさ)もよし」と謡われている清少納言は『枕草子』中で、京の九名水の一つとして飛鳥井の名を挙げる。献茶式(11月23日)では、煎茶道方円流によるお茶が奉献されている。
◆年間行事 歳旦祭(1月1日)、元始祭(1月3日)、節分祭(鬼遣い豆まき神事)・柊大明神例祭(2月節分)、紀元祭(2月11日)、祈年祭(2月17日)、交通安全祈願祭(3月第1土曜日)、春季皇霊祭(3月21日)、春季例大祭・淳仁天皇祭(蹴鞠奉納、蹴鞠体験可)(4月14日)、子供の日・武道奨励繁栄祭・古武道奉納報告祭(5月5日)、夏越大祓式(茅の輪くぐり神事)(6月30日)、精大明神例祭「七夕祭」・山城舞楽・蹴鞠・小町をどり奉納奉告祭(7月7日)、戦没者慰霊祭(8月15日)、秋季例大祭・崇徳天皇祭(薪能)(9月21日)、秋季皇霊祭(9月秋分)、献燈祭観月の夕べ(10月望月の日)、神嘗祭当日祭・神嘗奉祝祭(10月17日)、伴緒社祭(御弓神事)・七五三詣(11月15日)、新嘗祭(日供講大祭・献茶式・潜龍大明神祭・御火焚祭)(11月23日)、大祓式・除夜祭(12月31日)。


*年間行事は中止、日時変更の場合があります
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都古社寺辞典』『京都府の歴史散歩 上』『伊勢神宮と全国「神宮」総覧』『京都はじまり物語』『平安の都』『京都歴史案内』『京都のご利益徹底ガイド』『京都の寺社505を歩く 上』『稲荷信仰と宗教民俗』『京都時代MAP 平安京編』『京都 神社と寺院の森』『週刊 京都を歩く 30 西陣』


   滋野井・麩嘉              白河北殿跡・保元の乱跡       三条東殿跡・平治の乱勃発地       祟徳天皇御廟         小川通                    

潜龍社

潜龍社

潜龍社

潜龍社、祭神は、染、水、醸造の守護神を祀る白峯大龍王・紅峯大龍王・紫峯大龍王。家系の悪縁断ち、厄除、病気平癒、事業繁盛。


潜龍社にある名水「潜龍水」、潜龍大明神の御神体とされる。龍神の坐す潜龍の井から湧くという。家内安全、家業繁栄、悪縁断ち、良縁を得る神徳があるとされる。

名水「飛鳥井」、1985年に地下35mで掘り当てられた。献茶式(11月23日)では、煎茶道方円流によるお茶が奉献されている。
 清少納言の『枕草子』で名を挙げられた。168段に「井は、ほりかねの井。走り井は逢坂なるがをかしき。山の井、さしも浅きためしになりはじめけむ。飛鳥井『みもひも寒し』とほめたるこそをかしけれ。玉の井、少将ノ井、櫻井、后町の井。千貫の井。」

 平安時代の催馬楽「飛鳥井」には「飛鳥井に宿りはすべし、や、おけ、蔭もよし、御水も寒し、御秣(みまくさ)もよし」と謡われている。

「崇徳天皇欽御之碑」

西村尚の歌碑「小賀玉のしじ葉が もとの 飛鳥井の井筒 むかしの物語せよ」

「蹴鞠の碑」

飛鳥井家邸にあった樹齢数百年のオガタマノキ(小賀玉)、名の由来は、招霊(おきだま)が語源ともいう。
 白峯神宮 〒602-0054 京都市上京区飛鳥井町261,今出川通堀川東入北側  075-441-3810

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