金蔵寺跡 (京都市東山区) 
The ruins of Konzo-ji Temple
金蔵寺跡 金蔵寺跡
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 三条通の南に「此付近 青蓮院塔頭金蔵寺跡」の石標だけが残る。この地に、かつて金蔵寺(こんぞうじ)があったという。青蓮院塔頭であり、その境内の西北に位置していた。「東岩倉金蔵寺」と呼ばれたともいう。(「京羽二重織留」) 
 天台宗、本尊は地蔵尊(米<よね>地蔵)と呼ばれた。
◆歴史年表 平安時代、永久年間(1113-1118)、東陽房忠尋の開山による。当初は三条通東にあったという。
 中世(鎌倉時代-室町時代)、三条通東より、蛭子町に移ったという。(「山城名跡巡行志」)
 江戸時代、1727年、第112代・霊元天皇により白銀1000両を受けて本堂を改めた。
 1864年、8月初旬、本堂で坂本龍馬と妻・お龍(鞆)は「内祝言」をあげたという。金蔵寺住職・智足院が仲人をつとめたという。
 近代、1868年、廃寺になる。(「京都府地誌」)。本尊、境内の三猿堂が尊勝院に遷されている。
 明治期(1868-1912)、境内の蛭子社、恵美須神像は粟田神社の摂社・出世恵美須神社に遷された。
◆忠尋 平安時代後期の天台宗の僧・忠尋(ちゅうじん、 1065‐1138)。東陽房。佐渡国に生まれた。源忠季の子。曼殊院に住し、比叡山北谷東陽院に移る。覚尋により出家、西塔に住み、顕密を長豪、良祐に 学んだ。永久年間(1113-1118)感神院新宮(粟田神社)を再興する。1115年、里坊の東山・十楽院を建立した。1118年、権律師、1124年権少僧都、1130年、権大僧都・天台座主、6ヵ条起請を定めた。鞍馬寺を東寺末より延暦寺西塔末寺とした。1131年以降、最勝寺、尊勝寺の結縁灌頂大阿闍梨を務める。1132年、権僧正、1137年、大僧正。大谷座主とも称された。門流は東陽院流と称された。
◆神像 摂社・出世恵美須神社は、かつて三条蹴上の夷谷に祀られていた。源義経 (1159-1189)が奥州下向の際に祈願したという。以来、「出世恵美須」、「門出恵美須」と称された。
 室町時代、蹴上の山崩れで社が流出する。社殿が止まったところが現在の三条神宮道付近(東山区夷町)になる。夷町の金蔵寺の境内に蛭子社が祀られ、神像が安置されていた。これは、恵美須社の小祠と神像を寺の境内に遷したものという。
 神像は、平安時代、最澄(767-822)作とされる恵美須神像であり、釣り上げた鯛を抱え、口を開けて笑う。日本最古の寄木造の恵美須神という。現在は剥落しているが、当初は彩色されていたという。神像は、1868年に金蔵寺の廃寺に伴い、粟田神社摂社・出世恵美須神社に遷され祀られた。1997年に解体修復が施されている。
◆米地蔵尊 現在、尊勝院に安置されている米地蔵尊(よねじぞうそん)(像高100cm)は、かつて、金蔵寺の本尊だった。平安時代(12世紀)、天台宗の慈覚大師(円仁、794-864)自作ともいわれる。慈覚が遣唐使で渡った際に持ち帰ったものともいう。胎内に籾粒が納められており、米地蔵と呼ばれた。
 伝承がある。貧しい女があり、久しく地蔵を崇敬していた。貧窮まった時、地蔵が米袋を持って現れ、貧苦を脱したことからこの名がついたともいう。地蔵尊を信仰すると米の食い逸れがないといわれている。(「山州名跡誌」)
 江戸時代の第112代・霊元天皇(1654-1732)も信仰したという。京洛四十八願所地蔵尊の第24番の霊場になっている。
◆境内社 金蔵寺の境内には、三猿堂(庚申堂、御猿堂)、山王社、蛭子社が祀られていた。
 金蔵寺の廃寺に伴い、本尊・米地蔵と三猿堂は尊勝院に遷された。蛭子社に祀られていた恵比寿神像は、粟田神社の摂社・出世恵美須神社に遷されている。
◆坂本龍馬お龍「結婚式場」跡 石標の正面(北)には、「坂本龍馬お龍「結婚式場」跡」と刻まれている。
 NPO法人「京都龍馬会」の説明文によれば、江戸時代末、1864年8月初旬、この地、金蔵寺の本堂で、坂本龍馬(1836-1867)と妻・お龍(鞆)(1841-1906)は「内祝言」を挙げたという。
 お龍の父・楢崎将作(1813-1862)が、青蓮院宮尊融法親王の侍医として仕え貞田。その縁により、塔頭・金蔵寺住職・智足院(生没年不詳)が仲人をつとめたという。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』 


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  「此付近 青蓮院塔頭金蔵寺跡」の石標 〒 京都市東山区三条通白川橋東入南側   

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