苔香居 (京都市西京区) 
Taikokyo

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文化庁国登録有形文化財、 京都市指定景観重要建造物、京都市内博物館連絡協議会会員












 西山西麓の山田は、かつて山城国葛野郡松尾村山田と呼ばれた。ここに、茅葺の民家がいまも残されている。
 この地に400年以上にわたり暮らし続けてきた山口家の住居で、いまは苔香居(たいこうきょ)と呼ばれている。
◆歴史年表 平安時代以来、山口家は、この地に荘園を営んだ公家・葉室家に代々仕え、この地の南すぐに祀られている葉室御霊神社社司の家筋だったという。
 戦国時代以降、公家・徳大寺家に仕え、下山田村の村庄屋、各領の庄屋を務めた。
 江戸時代から近代、西山名産の竹、筍、松茸、茶などの出荷製造業、竹の加工生産業を営む。また、自家製の薬草類は除毒のぬり薬として培炉で製造し、「山口松葉堂」の銘柄で販売していた。
 現代、1959年、茶室「泰庵」が建てられている。
 1967年、長屋門内部に「民具の小屋」が完成する。
 1991年、建物は文化庁国登録有形文化財に指定された。
 2001年まで、住居として使われていた。現在は、限定一般公開されている。
◆山口家 山口家は、平安時代以来この地に荘園を営んだ葉室家に代々仕えたという。葉室御霊神社社司の家筋だったという。
 戦国時代にはこの地に住み、徳大寺家に仕え、この付近、下山田村の村庄屋、各領の庄屋を務めていた。
◆葉室家 公家・葉室家(はむろけ)は、藤原北家勧修寺流。平安時代後期の参議藤原為房 (1049-1115)の二男、権中納言・藤原顕隆(1072- 1129)によって創始された。藤原家は、もともと朝廷の宗教を司る家柄だったという。
 顕隆は院政期の白河法皇(第72代、1053-1129)の近臣として仕え、重要な政策に関与した。正三位・権中納言、「葉室中納言」「夜の関白」とも称された。
 以後、子孫は葉室家を名乗り、中世・近世に堂上家(とうしょうけ、どうじょうけ、清涼殿南廂殿上の間に昇殿を許された家柄)となる。
徳大寺家 公家・徳大寺は、最上位の摂家に次ぎ、大臣家の上にある清華家(けいがけ)の家格を有する。徳大寺殿は、江戸時代、現在の同志社大学構内にあった。藤原北家の閑院流、笛を家業とし、近代に侯爵、その後公爵に陞爵(しょうしゃく)となる。 
 平安時代末期の公家で歌人・藤原公実(1053-1107)の四男実能(1096-1157)を祖とする。実能は、1156年、左大臣となる。衣笠山の西南麓の別邸にあった持仏堂を徳大寺(得大寺)と呼び、家名の由来になった。徳大寺左大臣と称された。歌人として知られ、西行(1118-1190)とも親交があった。室町時代に別邸は武将で守護大名・細川勝元(1430-1473)に譲られ、龍安寺に引き継がれる。
 江戸時代末期から近代にかけての公卿・官僚で、第122代・明治天皇(1852-1912)の侍従長・徳大寺実則(1840-1919)は、当山口家で育ったという。その実弟には12代、14代内閣総理大臣を務めた西園寺公望(1849-1940)がいる。
◆苔香居 苔香居は、茶人の先々代が名付けた庵名であり、苔の香りのする住まいとの意という。扁額は近現代の日本画家・上村松篁(1902-2001)筆。
◆庭園 庵の名の通り、苔庭には、杉苔を中心に数十種類の苔が見られる。桜、霧島つつじ、千両、万両、楓などの植栽がある。
◆茶室 1959年に建てられた茶室「泰庵」、さらにもうひとつの茶室があり、「紅葉の茶会」などの茶事が催されている。
◆文化財 下達、村中法度、農地用水関係、戸籍関係、講関係、寺、公家などの年貢所得関係の各古文書。
 農道具、生活雑貨類、衣類などが保管展示されている。
◆風習・年間行事 正月のお日待ち、夏のお盆、地蔵盆、お伊勢参り、愛宕山参りなどの祭事がいまも催されている。 
 「おくどさんでごはんの会」、近代に新調された5つ釜でご飯を炊く。
 「きもの虫干しの会」(春、秋)では、着物類約350点、生活雑具を年に2回虫干しを兼ねて一般公開される。「蕎麦打ちの会」(年に数回)。 


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。



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 苔香居 〒615-8274 京都市西京区山田上ノ町  075-392-4533
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