神足神社 (長岡京市) 
Kotari-jinja Shrine
神足神社 神足神社 
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拝殿


拝殿
 長岡京市神足(こうたり)の東端に、小社・神足神社(こうたり じんじゃ)はある。かつて神足は、「こうだにの」「かむたり」とも呼ばれた。旧神足村の産土神として信仰された。 
 祭神は、天神立命(あめのかみたちのみこと)。また、舎人親王(第40代・天武天皇皇子)、遠津山岬多良斯神(とほつやまさきたらしのかみ、本居宣長説)、第50代・桓武天皇(伴信友説)ともされた。また、祭神不詳ともいう。
 式内社。平安時代、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「乙訓郡十九座 大五座 小十四座」の「神足(かうだにの)神社」に比定されている。
 強脚、足の怪我予防などの信仰がある。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 奈良時代-平安時代、桓武天皇の頃(在位781-806)、東方よりの光が田村(旧神足)の池中に降り立ち、自らを神足遊戯神道と称したという。(『神足大明神縁起』、江戸時代、1687年)
 また、784年、長岡京遷都に際し、神足家初祖・神足光丸は、桓武天皇の行幸に伴い、以後、長岡に移り住んだという。宮廷南の方角を守護するために、金の太刀と絹をご神体として祀ったともいう。(『神足家譜』)
 796年、勅により初祖を祀り、以後、神足大明神と称したともいう。桓武帝勅祭が執り行われる。(『神足家譜』)
 854年、国の官社に列し、文献初見になる。(『文徳実録』)。以来、祈念祭の幣帛に預かる。
 927年、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』中「神足神社」と記されている。
 中世(鎌倉時代-室町時代)、国人神足氏、神足村の惣が産土神として信仰する。  
 近代、1872年、東海道本線建設に伴い、現地へ移る。
◆伝承 「桓武天皇の夢」として次のような伝説が残る。桓武天皇の夢中に、夜、田村(神足村旧名)の池に天から星の光(神)が降り立った。神は宮中を南から襲おうとした悪霊を防いだという。
 側近が田村に出向くと、確かに池に星が流れた。天皇は、田村にこの神を祀る社を建てさせ、太刀と絹を祀らせたという。以後、社は神足神社と称され、田村は神足村と呼ばれるようになったという。
 ご神体の太刀は、第二次世界大戦の金属供出により失われたという。絹はいまも祀られているという。
◆神足光丸・神足家 奈良時代の皇族・神足光丸(生没年不詳)。天武天皇(631? -686)の曾孫ともいう。天皇の皇子・長皇子(ながのみこ、?- 715)の子・栗栖王(くるすおう、682-753)の子とされる。
 神足家は、南北朝時代、神足信朝(信友)が足利直義の警固役に就く。小塩庄の下司職は神足氏が世襲した。室町時代、幕府の御家人となる。幕府の西岡被官衆の一人となる。戦国期、神足城を本拠とし周辺を支配した。戦乱の後、神足氏は九州の天草の地に移ったという。
◆土塁 境内は勝龍寺城北東200mに位置している。境内南西、東南の竹林に鉤型に、勝龍寺城の北方外郭として造られた土塁、空堀、土橋遺構がある。これらの遺構は、城より10m標高が高いため、北の防御線になっていた。南北に架かる土橋には、西側土塁の迫り出しがあり、横矢の構造になっている。横矢(横矢掛り)とは、侵攻した敵に対して防御が手薄になる側面からの攻撃を行う。かつて土塁は、西へ現在の東海道本線まで伸びていたとみられている。さらに、境内北にもうひとつの土塁と堀が築造されており、二重の土塁と堀により城を防御していた。
 この地は、鎌倉時代、付近が摂家九条家の荘園となり、神足氏が管理した。室町時代、土塁が築かれ神足城と呼ばれる。室町時代、1571年、細川藤孝が勝龍寺城に入り、城の補強、改修をした際に、北の外郭の一部に土塁を取り込んだ。
◆恵解山古墳 境内の凝灰岩、社務所の沓脱石は、付近の恵解山(いげのやま)古墳の石室の天井石の転用という。
◆神足 地名の神足(こうたり)とは、神谷(こうだに)の転訛ともいう。東に小畑川、背後は谷になっている。ここを神谷と称したという。
◆年間行事 春季大祭(5月3日)、例祭(6月5日)、秋祭(御扉開き)(10月第1日曜日)。


*年間行事は中止、日時変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『勝龍寺城今昔物語』『京の城 洛中洛外の城郭』『京都おとくに歴史を歩く』『京都大事典』『昭和京都名所図会 6 洛南』『京都のご利益手帖』 


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本殿

埜神(のがみ)社、鹿屋野比売命か大年神を祀る。

菊一稲荷大明神

菊一稲荷大明神

菊一稲荷大明神

境内南にある勝龍寺城遺構の空堀、右手に土塁が残っている。

土塁の上

空堀にある土橋
 神足神社 〒617-0832 長岡京市東神足2-5 
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