滋野井・麩嘉 (京都市上京区)
Shigenoi (well)
滋野井・麩嘉 滋野井・麩嘉 
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「麩嘉」


菓子「麩嘉饅頭」
 御所の西南のこの地には、平安時代の初期、公家であり学者だった滋野貞主(785-852)が住んだ滋野井殿があった。
◆滋野井 滋野井殿の屋敷内には七名水のひとつに数えられたという泉が湧き、「滋野井」(しげのい)と呼ばれていた。
 邸には後に、蹴鞠の名手、藤原成通(しげみち、1097-1159?)が移り住み「滋之井」と称した。自らも蹴鞠が得意だった後鳥羽上皇は、井戸のそばに鞠の神、精大明神の社を建立している。社は、やがて飛鳥井家が自らの邸内に勧請する。後に、白峯神社に移され、この地にあった社は、やがて消滅した。
 月、日、刻の申の時、蹴鞠の神は三匹の猿となって井泉を訪れ、蹴鞠を教えたという伝承もある。 
◆京生麩 現在、かつての滋野邸の一角に、京生麩の老舗「麩嘉」(ふうか)がある。麩嘉は江戸時代後期、文化・文政年間(1804-1829)の創業と伝えられる。
 初代は、大和屋嘉七で、代々御所に献上(禁裏御用)してきた。屋号は、「麩屋の嘉七」から命名されたという。もともとは、生麩屋、湯葉屋の建ち並んでいた麩屋町に店があった。幕末期、蛤御門の変(1864)の戦災後、現在地に移転した。
 店は、川端康成の『古都』にも登場する。
◆製法 麩は、大和朝の時代に、中国から禅僧の手によって伝わり、奈良時代には日本でも作られた。安土・桃山時代には、一般に食材として利用されている。
 麩は、小麦に含まれる良質のたんぱく質、麩質(グルテン)の固まりをいう。日本に伝えられた当初は、小麦粉を水で練り、茹でていた。その後、水で洗う生麩が生まれ、さらに保存の利く焼麩が生み出された。
 小麦粉を水で2時間ほどかけて練りあげ、含まれるでんぷん質を洗い尽くし、小麦たんばくであるグルテンを分離させる。小麦の三分の一しかグルテンは残らない。この工程で、豊かな良質の水が大量に必要となる。
 店では、かつて4つの井戸水を使ってきたが、それらのうち3つまでが涸れたため、1980年に新たに掘られた地下60mの中硬水の井戸水を使っている。
 京料理を華やかに彩る食材として欠かせない生麩には、餅粉、青海苔、蓬、栗、胡麻などが用途に応じて加えられていく。繊細な細工麩は、注文に応じて様々に形作られ色づけされる。
 また、明治以来の菓子「麩嘉饅頭」が、店のもうひとつの名物になっている。笹の葉の香に包まれ、青海苔が煉られた生麩に、甘みを抑えたこし餡が人気を博している。


  白峯神宮                    
 麩嘉 京都市上京区東裏辻町413,下立売西洞院椹木町上る  075-231-1584
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