嘉祥寺 (京都市伏見区)
Kasho-ji Temple
嘉祥寺 嘉祥寺 
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「三国随一歓喜天」の石標


歓喜天堂


嘉祥寺の扁額







 嘉祥寺(かしょうじ)は深草聖天とも呼ばれている。正式には安楽行院嘉祥寺という。
 天台宗。本堂に本尊の歓喜天を祀る。
 京の通称寺霊場元札所、深草聖天。
◆歴史年表 平安時代、850年、第55代・文徳天皇が、父の第54代・仁明天皇の菩提のために創建したという。仁明天皇の清涼殿を移して堂とした。開基は空海弟子の真雅による。嘉祥の年号寺院になる。当初は真言宗だった。寺地は、現在地の南、伏見区深草瓦町付近(善福寺を中心とした地点)にあったという。
 851年、清涼殿を伏見の天皇陵の傍らに移し、本堂(金堂)として嘉祥寺としたともいう。これは、前年に清涼殿で亡くなった第54代・仁明天皇の死穢の忌みにより、解体移築された。開山は真雅による。
 仁寿年間(851-854)、公卿・藤原良房が真雅とともに嘉祥西院を建立したともいう。
 859年、年分度者(ねんぶんどしゃ、官費支給の僧侶)3人が当寺西院に設置された。
 862年、第56代・清和天皇御願寺の貞観寺(じょうかんじ)と称して西院が独立した。
 866年、伴善男建立の食堂が破却される。
 872年、年分度者は貞観寺年分度者と改められる。
 878年、定額寺(じょうがくじ、国分寺・国分尼寺に次ぐ寺院)となる。七僧(定額僧)が置かれ、僧綱の管轄外とした。第54代・光孝天皇は境内に5種の塔を造営した。
 887年、仁明天皇女御貞子のために勅会功徳を修した。 
 889年、法花八講を修した。
 10世紀(901-1000)、地蔵悔過(じぞうげか)が3月、10月が行われていたという。(『延喜式』)
 平安時代後期、衰微し、仁和寺別院となる。別当が置かれた。
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失した。以後、衰退し廃絶する。
 江戸時代、1662年、空心律師が現在地(伏見区深草坊町)に安楽行院嘉祥寺を再興した。かつてこの地には、安楽行院(あんらくぎょういん)があった。
 1699年、勅許により本堂が上棟されている。
 近代、1894年、神仏分離令(1868)後の廃仏毀釈により、大部分の伽藍が破却された。十二帝陵も造られ、境内は縮小される。
◆真雅 平安時代前期の真言宗の僧・真雅(しんが、801-879)。讃岐国に生まれた。俗姓は佐伯氏、空海の実弟に当たる。空海に学ぶ。東大寺で修行した。神護寺定額僧、大和・弘福寺別当となる。真雅は太政大臣・藤原良房に近づく。850年、惟仁親王(後の第56代・清和天皇)の護持僧になり、惟喬親王の護持僧・真済(しんぜい、空海の十大弟子の一人)と争う。2親王の皇位争いになる。僧綱職を歴任し、864年、僧綱の僧位を定めた。僧正法印大和尚位、法務に就く。諡号は法光大師。貞観寺僧正と呼ばれた。空海の十大弟子の一人。弟子に聖宝がある。
◆安楽行院 安楽行院は、平安時代の公卿・藤原基頼(1040-1122)が、康和年中(1099-1104)に持仏堂の法華堂を移して建立した持明院に始まる。後に安楽行院と改称した。一時は七僧を置き、朝廷の御願を修する寺となり、その後荒廃する。近代、1894年に廃寺となる。
 その後、深草十二帝陵が造られ宮内庁管轄になった。いまも、江戸時代、慶応年間(1865-1868)建立の法華堂(深草法華堂)が建っている。
 堂内には、12天皇、1親王の分骨が納められている。鎌倉時代の第89代・後深草天皇(1243-1304)、第92代・伏見天皇(1265-1317)、第93代・後伏見天皇(1288-1336)、北朝第4代・後光厳天皇(1338-1374)、北朝第5代・後円融天皇(1358-1393)、第6代・歴代第100代・後小松天皇(1377-1433)、第101代・称光天皇(1401-1428)、北朝第103代・後土御門天皇(1442-1500)、第104代・後柏原天皇(1464-1526)、第105代・後奈良天皇(1497-1557)、第106代・正親町天皇(1517-1593)、安土・桃山時代-江戸時代の第107代・後陽成天皇(1571-1617)、栄仁親王(北朝第3代崇光天皇の第1皇子)(1351-1416)の遺骨が祀られている。
◆仏像 本尊の「聖天像(大聖歓喜天)」は、日本最古という。
 「十一面観音」は、江戸時代の第111代・後西天皇第一皇女・誠子内親王の病気平癒に、空心が歓喜天法を修した。夢枕に立った姿を長谷の観世音を模して造られたという。内親王の母が亡くなった1680年に寄進された。ほかに、不動明王が安置されている。
◆真雅・真済 空海十大弟子に真言密教僧・真雅(しんが)、真済(しんぜい)の名がある。両者は後に対立する。
 太政大臣・藤原良房の妹・順子は、第54代・仁明天皇の女御となり、第55代・文徳天皇を産む。844年、良房の娘・明子(染殿后)は、文徳天皇との間に惟仁(これひと)親王を産んだ。良房は、外孫・惟仁親王(後の清和天皇)の立太子を目論む。宮廷政治に近づいた真雅が生まれたばかりの惟仁親王の護持僧に選ばれた。
 他方、844年、文徳天皇、紀名虎(きの なとら)の娘・静子との間に惟喬(これたか)親王が産まれる。惟喬親王の護持僧には、紀氏の真済が任じられる。
 真雅と真済は、皇位争いのために祈祷合戦を繰り広げた。850年、わずか9カ月の惟仁親王が立太子となり、858年に第56代・清和天皇が即位した。位争いに敗れた真済は隠居し、そのまま亡くなる。
 中世、真雅と真済の対立は説話になり、真済は怨霊、天狗、鬼となる。真済は惟仁親王の母・明子(染殿后)に憑りつき、明子は狂気と化す。
◆嘉祥寺遺構 嘉祥寺の旧地は、現在地の南東、伏見区深草瓦町付近、現在の善福寺を中心とした地点という。善福寺境内にある庭石、礎石は嘉祥寺遺構の一部という。
◆年間行事 初聖天(1月1日-15日)、開運・厄除け祈願会(2月1日-2日)、星祭節分会(2月3日)、春季聖天会(4月10日)、嘉祥喰い(6月16日)、秋季聖天会(10月10日)、写経上納日(11月1日)、終い聖天(12月16日)。 


*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都古社寺辞典』『新版 京のお地蔵さん』『洛東探訪』『平安の都』


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かつての寺域は広大だったという。

安楽行院の十二帝供養塔だという。
【参照】隣接している深草十二帝陵、中央奥に法華堂(深草法華堂)が建つ。
 嘉祥寺 〒612-0871 京都市伏見区深草坊町71番地  075-641-4132
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