恵福寺 (京都市伏見区)
Eifuku-ji Temple
恵福寺 恵福寺 
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本堂




扁額「恵施得福」
 日野の恵福寺(えいふくじ)は、法界寺の北に位置している。号は更生山(こうせいざん)という。
 浄土宗。本尊は阿弥陀如来。 
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 鎌倉時代後期、創建されたという。開山は盛尊(せいそん)上人による。かつて宇治郡醍醐村日野畑出にあった。法界寺の塔頭の一つであり、当初は天台宗だった。最盛期には500坪(1653㎡)の境内を有した。 
 室町時代、応永年間(1467-1469)、細川氏世臣・香西又六の法界寺への乱入により、阿弥陀堂を除く諸堂を焼失した。この時、当寺も被災したとみられている。
 1548年、稱念上人が開いた捨世派東山一心院の末寺になる。浄土宗に改めた。
 1598年、浄土開基・大悦十故(だいえつ じっこ)上人が再興した。この頃、末寺に淨福寺、西方堂、唯稱院、壽福院などを有した。
 近代、1903年、29世・岸本海念上人の時、本堂、庫裏などが建てられた。現在地(宇治郡醍醐村大字日野小字西大道)に移されている。
 現代、2010年、現在の本堂が新築された。
◆盛尊 鎌倉時代後期の天台宗の僧・盛尊(せいそん、?-1331)。詳細不明。恵福寺の開山。
◆寺号 寺号の恵福寺とは、浄土三部経の『仏説無量寿経巻 下』中の「惠施得福」に因むという。
 「かくのごとく世人、善を作して善を得、道を為して道を得ることを信ぜず。人、死して更りて生まれ、惠施して福を得ることを信ぜず。善悪の事、すべてこれを 信ぜず。これを然らずと謂えり。終に是することあることなし。但これを坐するゆえに、且つ自らこれを見れば、かわるがわる相瞻視して先後同じく然なり。」。
仏像・木像 本尊の木造「阿弥陀如来立像」は、江戸時代作になる。
 脇壇の木造「阿弥陀如来立像」は、平安時代作、末寺・西方堂の旧蔵。かつて薬師如来であったという。
 脇壇の木造「阿弥陀如来立像」は、江戸時代作。末寺・唯稱院の旧蔵。
 脇壇の木造「地蔵菩薩坐像」は、平安時代作。
 脇壇の木造「地蔵菩薩坐像」は、鎌倉時代作、寿福庵の旧蔵。
 木造「千体地蔵菩薩像」の詳細は不明。地蔵菩薩坐像の光背にあったともいう。
 木造「開山盛尊上人像」は、江戸時代作。
◆地蔵菩薩 平安時代後期作という丈六の木造「地蔵菩薩坐像」(8尺、268.2㎝)が安置されている。かつて、「じどろ」と呼ばれる地蔵堂(日野公会堂)に安置され、また、「本尊地蔵」とも呼ばれたという。(『家光卿記』『民経記』)。浄福寺の旧蔵ともいう。内刳の丈六としては数少ない例とされる。善願寺の地蔵菩薩坐像とともに、全国で最大の坐像という。当初は彩色されており、唇に朱が残されている。
 「腹帯地蔵」とも呼ばれ、法衣の下に下裳を身に着けていることに因む。裳の紐を結んでいるように見える。安産祈願の信仰がある。同じような腹帯地蔵は善願寺にもある。大きさ、衣文の構成も類似している。近年、修復された。寄木造。
◆文化財 かつて、室町時代の公卿・中御門宜胤(なかみかど のぶたね、1442-1525)筆の扁額があったという。(『宇治郡村誌』)。現存していない。
 境内に、「伏見区民誇りの木」に選ばれたシダレザクラがある。桜は、苗木から育てられてきたという。春には、見事な花を付ける。樹齢50年、高さ9m、幹周1.5m。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『平成28年度 春期 拝観の手引』


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本尊、阿弥陀如来立像

腹帯地蔵

天道大日如来

樹齢50年の枝垂桜
恵福寺 〒601-1417 京都市伏見区日野西大道町8-1   075-571-2271
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