大念寺 (大山崎町) 
Dainen-ji Temple
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六角形石灯籠


鐘楼
 大山崎町の天王山山麓に大念寺 (だいねんじ/たいねんじ)がある。山門へは急な石段を上る。山号を見仏山(けんぶつざん)という。 
 浄土宗、本尊は阿弥陀如来を安置する。
◆歴史年表 室町時代、1555年、井尻(秦)但馬守長助の開基により、知恩院27代・徳誉光然が開山した。(「大念寺文書」)
 1558年、106代・正親町天皇は、綸旨を下し勅願寺に列した。「大念堂」の宸筆勅額を贈られる。(「大念寺文書」)
 江戸時代、離宮八幡宮社より社領6.8石の寄進を受ける。
 1864年、禁門の変で、長州藩の服部哲次郎の宣徳隊、尚義隊が宿営した。伽藍は焼失する。
 近代、1878年、現在の本堂が再建される。
◆徳誉光然 室町時代の僧・徳誉光然(?-1555)。詳細不明。知恩院27世。1555年、大念寺開山。
◆服部哲次郎 江戸時代後期-近代の武士、官吏・服部哲次郎(1838-1873)。名和道一など異名が複数ある。周防に生まれた。長門萩藩老臣毛利出雲家臣。宣徳隊を組織し小総督になる。1864年、禁門の変に敗れ禁固刑になる。新潟県参事、外務省弁務権少記、1871年、アメリカ留学中にボストンで亡くなる。
◆仏像 本尊「阿弥陀如来立像」は、本堂に安置されている。鎌倉時代作になる。等身大、金色、玉眼入。
 「阿弥陀如来立像」(80㎝)(重文)は、鎌倉時代、1243年に浄土宗西山派の派祖・証空(1177-1247)が、自らの臨終の際の念持仏(臨終仏とも)として吉峰往生院で造立した。平安時代の円仁(794-864)自刻という真如堂(左京区)本尊の写しという。かつて、三鈷寺にあり、その後、各所を転々と遷される。近代、明治期(1867-1912)初期まで浄土院(島本町山崎一丁目)にあった。廃寺後に、当寺に遷された。
 来迎印を結ぶ。古い天台系の様式が下半身の衣文に残る。上部はY字、下方は緩やかな楕円を描く。寄木造、金箔押、玉眼入。
◆建築 かつて、西観音寺(大阪府島本町)にあった閻魔堂が、近代以降の廃寺に伴い当寺に移されたという。
◆文化財 阿弥陀如来立像の1941年の修復の際に、胎内より「納入品」(重文)が発見された。
 金箔が張られ、証空、天台座主・道覚法親王が署名した白檀の月輪、戒念思想の証空筆「四戒相承の文」、経典『梵網経』1巻、『観経疏玄義分』、浄土三部経の6部7巻などの写経、受戒者名簿、過去帳が納められていた。在銘により、鎌倉時代、1243年、証空弟子・円空が発起人になり、西山往生院で如法経、頓写が行われた。浄音、道観ら弟子10人による写経を納めたものという。
◆石造物 「六角形石灯籠」は、安土・桃山時代、「天正一二年(1584年)」の銘ある。
 「宝篋印塔」は、鎌倉時代(南北朝時代とも)とみられる。
 「板石」は、室町時代作、弥陀、五王を彫る。
◆浄土院 浄土院(島本町山崎一丁目)は、安土・桃山時代、文禄年間(1592-1596)、大念寺2世・明誉願成により建立された。近代に入り廃絶した。


*拝観は事前要予約。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都府の地名』『昭和京都名所図会 6 洛南』『京都の仏像』『證空辞典』



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宝篋印塔
 大念寺 〒618-0071 大山崎町字大山崎小字上ノ田69  075-956-0762
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