岬神社(土佐稲荷) (京都市中京区) 
Misaki-jinja Shrine
岬神社(土佐稲荷)  岬神社(土佐稲荷)
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 岬神社(みさき じんじゃ)は、御先神社、土佐稲荷(とさいなり)、土佐稲荷岬神社ともいわれる。周辺の産土神として、商家、先斗町などの信仰を集めてきた。
 祭神は、倉稻魂神(うかのみたまのかみ)、猿田彦命(さるたひこのかみ)、大宮乃賣命(おおみやひめのみこと)、これらとゆかりの神を祀る配祀(はいし)は石栄神社になる。 
 縁結び、厄払いの信仰がある。戦前までは、花街の篤い信仰を集めていた。
◆歴史年表 南北朝時代、1348年以前、鴨川の中州に、備前国西大寺村の新右衛門という人が移り住んだ。当時の川原は広く、中州の岬に祠を建て、岬神社と称したという。諸業繁栄福利、火除、土工建築修工守護しなどの神託があり、福狐1万個を参詣人に頒けたともいう。(『坊目誌』)
 その後、神祠は鴨川の西岸に遷されている。
 安土・桃山-江戸時代、慶長年間(1596-1614)、土地は土佐藩に下賜され、社殿も備前島町の土佐藩京屋敷内に遷座された。この時、倉稲魂命、石栄神の二座を祭神とし、以来、土佐稲荷・岬神社とも称された。藩邸は、蛸薬師橋東のたもとを東北の端として、旧立誠小付近を含む、西へ100m、南へ60mの敷地があった。社には、坂本龍馬もよく参拝していたという。
 近代以降、土佐藩の廃藩にともない、社殿も荒廃した。稲荷を土佐に遷座させようとしたところ、載せた船が大荒れに遭い、再び戻されたという。
 1885年、一時、下大阪町(中京区)に無格社として再興される。
 1911年、現在地に再移転した。初代・近江屋新助が土佐藩用人邸を買い取り、遷座したともいう。
 1913年、社殿が完成する。
◆文化財 境内には、1863年、坂本龍馬が脱藩の罪により7日間謹慎した際に、常にもたれていという居室の柱の遺構がある。
 龍馬像、肖像もある。
◆年間行事 例祭(6月10日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『新選組と幕末の京都』『稲荷信仰と宗教民俗』『京都 歴史案内』


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坂本龍馬像

坂本龍馬肖像

【参照】高瀬川に架かる蛸薬師橋の東のたもとに建つ土佐藩邸跡の石標

【参照】近くにある「酢屋」、現在は「ギャラリー龍馬」。江戸時代より続く材木屋だった。龍馬を初め陸奥宗光、土佐の志士が投宿し、海援隊の京都本部も置かれていた。龍馬は二階窓からピストルの試し撃ちをしていたという。

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 土佐稲荷神社 〒604-8023 京都市中京区備前島町317-2,蛸薬師通河原町東入る北側 
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