積善院 〔聖護院〕 (京都市左京区) 
Sekizen-in Temple
積善院 積善院
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山門








拝殿






本堂
 聖護院の東に隣接する積善院(せきぜんいん/しゃくぜんいん)は、「凖提堂(じゅんていどう)」、「五大力(ごだいりき)さん」とも呼ばれる。本山派山伏の筆頭寺院になる。 
 本山修験宗の総本山、聖護院の塔頭。本尊は不動明王。
◆歴史年表 創建の詳細は不明。
 鎌倉時代、1200年頃、当初は熊野神社北西、字出口に創建されたという。聖護院門跡による本山派山伏の統括事務を、門跡代行として実施する院家(いんげ)だったという。別院として本寺を補佐し、諸法務を行った。「稱(なぎ)ノ坊」とも号された。
 近代、1868年、江戸時代に建立された近くの準提堂(熊野神社南東角)と合併している。
 1899年、祟徳田より人喰い地蔵が当院に遷された。
 1914年、現在地に移る。江戸時代に建立された準提堂(熊野神社北西)の建物が境内へ移転された。以後、「積善院凖提堂」とも呼ばれる。
崇徳天皇 平安時代後期の第75代・崇徳天皇(すとく てんのう、1119-1164)。顕仁。第74代・鳥羽天皇の第1皇子。母は待賢門院藤原璋子。白河法皇(第72代)の子ともいう。1123年、院政を敷いた曾祖父・白河法皇の意により、5歳で皇位を継承する。1129年、白河法皇没後、同じく院政を敷いた父・鳥羽上皇と対立した。1141年、鳥羽上皇に迫られ、異母弟・体仁親王(第76代・近衛天皇)が皇位継承する。1155年、近衛天皇が急逝後、崇徳上皇は子・重仁親王の即位を望む。だが、異母弟・雅仁親王(第77代・後白河天皇)が即位し、その子・守仁親王(後の第78代・二条天皇)が立太子になる。1156年、鳥羽法皇没後、崇徳上皇は、左大臣・藤原頼長らと挙兵する。(保元の乱)。平安時代初になった乱に敗れ、讃岐国に配流、その地で没した。死後、天皇初の怨霊(讃岐院怨霊)として恐れられた。和歌に秀でた。 
 没後、1177年、崇徳院の諡号(しごう)を贈られた。1184年、保元の乱の戦場跡、春日河原には粟田宮(左京区聖護院)が建立される。崇徳天皇が流された讃岐の御陵にも、鎌倉時代に御影堂が建立された。堂は白峰寺が管理し、白峰宮と呼ばれた。1868年、京都に白峰宮(白峯神宮、上京区)が建立される。江戸時代、上田秋声の『雨月物語』にも崇徳の御霊が登場する。
◆仏像 ◈本尊「不動明王立像」(重文)(94.9㎝)は、本堂に安置されていた。鎌倉時代作になる。旧積善院の本尊とされ、平安時代、智証大師(円珍、814-891)作ともいう。現在は、収蔵庫に安置されている。木造、彩色、截金。
 ◈本尊「凖提(准胝)観世音菩薩」は、江戸時代の第119代・光格天皇勅願による旧凖提堂(じゅんていどう)に安置されていた。
 ◈「役の行者(神変大菩薩、じんべんだいぼさつ)像」、「阿弥陀如来像」などは旧凖提堂本堂に安置する。
◆建築 拝殿、凖提堂(本堂)元(旧)積善院本堂がある。
◆地蔵 地蔵堂に石造の「崇徳院(すとくいん)」と呼ばれる地蔵尊が安置されている。鎌倉時代に造立されたという。「崇徳地蔵」、「人喰い(ひとくい)地蔵」とも称される。崇徳院(すとくいん)が「ひとくい」に転訛したともいう。
 崇徳院が非業の死を遂げた後、京中では天変地異の災厄が続き、崇徳院の怨霊の祟りとされた。その霊を鎮めるために、庶民により安置されたという。祀られていた崇徳院御影堂の遺仏という。右手に錫状、左手に宝珠を載せる。厚肉彫、花崗岩製、像高1.5m。
 平安時代、1164年、崇徳院は配流された讃岐で亡くなる。1184年、後白河法皇は、保元の乱戦場の白河北殿跡に、崇徳院の怨霊を鎮めるために崇徳院粟田宮を建てる。さらに左大臣・藤原頼長、源為義の霊も合祀された。その後、鴨川の氾濫で幾度か被災した。1237年、聖護院の森の西北(聖護院川原町、崇徳田、京都大学病院付近)に遷された。崇徳院御影堂があったともいう。1899年、京都大学付属病院の敷地になり、唯一残されていた地蔵尊が当院に遷された。旧地には、崇徳宝物塚、装束塚が残るという。
◆お俊・伝兵衛 江戸時代、1738年(1734年とも)、釜座三条(釜座姉小路下ル)の呉服商・井筒屋伝兵衛(23歳)と、先斗町近江屋金七の抱え遊女・お俊(阿俊)(20歳)が、添えない恋仲になり聖護院の森で心中したという。お俊の家は、東堀川通下立売下ル東にあったという。2人の墓は当初、要法寺にあった。聖護院の森はいまはなく、当寺の境内に2人の墓(恋情塚)とされるものがある。
 事件は、近松門左衛門の人形浄瑠璃「近頃河原達引(ちかごろかわらのたてびき)」の題材になる。 
 境内の供養塔「お俊伝兵衛恋情塚」は、1952年に義太夫の豊竹山城少椽らの発起によって立てられた。
◆五大力尊法要 五大力尊法要(2月23日)では、秘仏五大力菩薩が一日だけ開帳され、法要が行われる。本堂に、山伏が法螺貝を鳴らし入り、大般若経600巻の転読法要や柱源(はしらもと)護摩供が行われる。
 五大力とは、三宝(仏・法・僧)と国土を守護する大力のある五人の菩薩、金剛吼(こんごうく)、竜王吼、無畏十力吼(むいじゅうりきく)、雷電吼、無量力吼をいう。
◆年間行事 お俊・伝兵衛追善供養(2月15日)、五大力尊法要(2月23日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『平安の都』『京都府の歴史散歩 中』『昭和京都名所図会 2 洛東 下』『京都の寺社505を歩く 上』『おんなの史跡を歩く』『仏像めぐりの旅 4 京都 洛中・東山』『新版 京のお地蔵さん』『おんなの史跡を歩く』『京の寺 不思議見聞録』



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本堂扁額



本堂

本堂

元積善院本堂

役の行者像

崇徳院地蔵堂(人喰い地蔵)

「お俊伝兵衛恋情塚」の碑、「やつす姿の女夫連れ名を絵草紙に聖護院森をあてどにたどり行く」

「准胝観世音」の石標
積善院 〒606-8324  京都市左京区聖護院中町14    075-761-0541
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