尊勝院 (粟田口庚申堂)〔青蓮院〕 (京都市東山区) 
Sonsho-in Temple
尊勝院 (粟田口庚申堂) 尊勝院 (粟田口庚申堂)
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本堂


本堂、扁額「元三大師」


本堂内陣、正面1間が外陣、奥よりの方3間が内陣。


内陣、本尊が納められた厨子


観音菩薩像、本堂


蟇股、本堂


三猿像、四猿像?、本堂


米地蔵尊が納められた厨子、本堂



賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)
  尼寺の尊勝院(そんしょういん)は、粟田口より東山トレイルの急坂を登り、青蓮院の飛地境内・将軍塚の途中にある。この地は、青蓮院の北東にあたり、境内からは北に市街地を望むことができる。  
 「裏築地門跡」、平安時代の僧・元三大師(がんさんだいし)を祀ることから、「元三大師堂(がんさんだいしどう)」、「元三堂」とも呼ばれていた。「粟田庚申堂」「粟田の庚申さん」とも呼ばれている。
 青蓮院の院家(門跡寺院別院、本寺の補佐、法務を行う寺院)のひとつ、2004年より青蓮院門主が住職を兼務する。
 天台宗、本尊は元三大師像。
 江戸時代には、洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺)の札所、札所本尊は米(よね)地蔵(米野地蔵)。庚申尊は、京洛三庚申(ほかに八坂庚申堂<金剛寺>、山ノ内庚申<猿田彦神社>)のひとつ。
◆歴史年表 平安時代末期、保延年間(1135-1141)、1136年とも、陽範(ようはん)阿闍梨が、比叡山横川(よかわ)に、尊勝坊を開創したことに始まる。陽範は、第74代・鳥羽天皇のために、尊勝法(尊勝仏頂を本尊とし、尊勝陀羅尼を誦する密教修法)を修し、恩賞として号「尊勝」を贈られた。以来、皇室の勅願所になる。
 行観(1013-1073)の代に、尊勝院別院として現在地に堂宇が建立され、「尊勝院」と称されたという。
 また、鎌倉時代、正和年間(1312-1317)、青蓮院三条白川坊裏(三条白川橋東南一帯)に移されたともいう。後背の裏築地の付近にあり、「裏築地御殿」とも呼ばれた。また、脇門跡・般若院、般若三昧院を歴代住職が管領相承したことから「裏築地門跡」とも呼ばれた。
 室町時代、1476年、応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失、その後荒廃する。
 安土・桃山時代、文祿年間(1592-1595)、豊臣秀吉により本堂が再建される。秀吉は本尊・元三大師を崇敬し、朝鮮侵略の文禄・慶長の役(1592-1598)出陣と、伏見城の安寧を祈願したという。当時は、「南面大師堂」と呼ばれた。
 慶長年間(1596-1615)、豊臣秀吉次男・秀頼により本堂が建立され、再興されたともいう。
 江戸時代、1635年、慈性入道親王が書院などを再興している。
 寛文年間(1661-1673)、米地蔵(米野地蔵)は、第112代・霊元天皇の命により、僧・宝山が洛外・六地蔵以外の48か寺の地蔵尊を選んだ洛陽四十八願所の霊場のひとつになる。
 1788年、天明の大火により、青蓮院は、避難した第117代・後桜町上皇の仮御所になった。この時、青蓮院門主・尊真法親王(?-1824)が当院に門室代として移る。
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、本堂、地蔵堂、庚申堂、弁天堂、多賀社、梅宮社などは破却されている。
 明治期(1868-1912)初期、粟田口庚申堂(金蔵寺)を合併した。
 1915年、現在地へ移転する。本堂、東梅ノ宮社、三猿堂(金蔵寺)が移築された。その後、庫裏、寺務所が建てられている。
◆良源 平安時代中期、天台宗の僧・良源(りょうげん、912-985)。近江国に生まれた。923年、12歳で比叡山西塔・理仙の弟子となり、929年、座主・尊意から受戒した。公卿・藤原忠平、子・師輔、孫・兼家の外護を得た。楞厳(りょうごん)三昧院など比叡山を中興し、966年、第18世・天台座主になった。981年、大僧正になる。
 良源は、源信(恵心僧都)の師であり、慈恵大師、元三大師(がんざんだいし)とも呼ばれた。後世、「観音の化身」として厄除けの豆大師、角大師などの大師信仰が盛んになる。おみくじも良源が日本で初めて考案したといわれている。
◆別当職 皇室の勅願所である尊勝院は、青蓮院宮の院家筆頭として、青蓮院門室の執事を勤めていた。また、尊勝院歴代住職は日野家猶子の資格で入寺する習わしで、日野・法界寺別当職も兼務 した。
 さらに、近代まで、神仏習合につき住職は、祇園社(八坂神社)、愛宕社、江州・多賀大社などの別当職(社僧)も兼務していた。
 多賀大社は、江戸時代、1607年に、当時の住職・慈性入道親王(1813‐1868)が徳川家康の命を受け、多賀大社別当職になった。また、別当寺・不動院も兼務した。幕府外護のもと、多賀大社の復興造営も行う。以来、近代の神仏分離令(1868)後の廃仏毀釈まで別当職を兼務した。
◆仏像・木像 本堂内陣に数多くの仏像が安置されている。これらは、1868年の神仏分離令後の廃仏毀釈により、周辺の寺より遷されたものという。
 内陣には、元三大師を中央にして、右より将軍地蔵尊、鎌倉時代の不動明王、南北朝時代、1344年の因幡法眼応円作の毘沙門天王立像、庚申尊が祀られている。
 中央の厨子の室町時代作の本尊「元三大師像」は、大師自作の等身大木像(坐像、3尺、1.9m)という。かつて、横川般若谷の総本尊として祀られていた。陽範は、第74代・鳥羽天皇の勅願により、この霊前で尊勝法(尊勝仏頂を本尊とし、尊勝陀羅尼を誦する密教修法)を修法祈念し、霊験が得られたという。
 右脇侍に「愛染明王像」、左脇侍に「地蔵菩薩」、その背後に、南北朝時代、1344年の因幡法眼応円作の「毘沙門天王立像」(京都府指定文化財)がある。大法主は山門無動寺常楽心聡、大勧進は寛海と銘文にある。
 右奥に「如意輪観音像」、鎌倉時代の「不動明王立像」、鎌倉時代の「不動明王坐像(笑不動)、厨子に「大黒天立像(走り大黒尊天)」、「勝軍地蔵尊」(下関市岬之町愛宕寺の本尊)、左奥の厨子の「青面金剛(しょうめんこんごう)像」は、不動に似た形相をしており大変に古い様式という。
 伝教大師(最澄)作という「不見・不聞・不言」の「三猿像(庚申尊、2組の四猿像とも)」がある。かつて金蔵寺にあり、近代に当院に遷された。猿は両手ではなく、片方の手で目、鼻、口を押さえており、珍しい形になる。
 右手前の厨子の平安時代(12世紀)の「地蔵菩薩立像(米地蔵尊)」(100cm)は、円派仏師作とみられる。胎内にかつて籾(もみ)を納めたことから呼ばれる。
 左手前に「千手観音坐像」、外陣右に「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)」などが祀られている。
◆建築 「本堂」(京都市文化財指定)は、旧地より近代、1917年に移築された。安土・桃山時代、または、室町時代の建立ともいう。内部は極彩色で彩られ、彫刻には桃山時代の様式が見られる。桁行3間梁行4間。正面1間通りを外陣、奥寄り方3間を内陣とする。
 その中央に四天柱が立ち、平安時代以来の常行三昧堂(90日間を1期とし、阿弥陀仏のまわりを常に歩行し、仏名を唱え念ずる行法)形式になる。一間四面堂の仏堂になる。仏壇厨子内に元三大師像を祀る。
◆米地蔵尊 「米地蔵尊(よねじぞうそん)」は、青蓮寺の西(三条通白川橋南東)にあった金蔵寺(こんぞうじ)の本尊だったという。平安時代(12世紀)、天台宗の慈覚大師(円仁、794-864)自作とされ、慈覚が遣唐使で渡った際に持ち帰ったものともいう。胎内に籾粒が納められており、米地蔵といわれる。
 伝承がある。貧しい女があり、久しく地蔵を崇敬していた。貧窮まった時、地蔵が米袋を持って現れ、貧苦を脱したことからこの名がついたともいう。地蔵尊を信仰すると米の食い逸れがないという。
 江戸時代の第112代・霊元天皇も信仰したという。京洛四十八願所地蔵尊の第24番の霊場になっている。
◆金蔵寺 青蓮院末の金蔵寺(こんぞうじ)は、尊勝院の西にあり、平安時代、永久年間(1113-1118)、東陽坊忠尋の開基による。本尊は米地蔵、境内に三猿堂、山王社、蛭子社が祀られていた。
 1868年の廃寺に伴い、本尊、三猿堂が当院に遷されている。
◆庚申尊 庚申尊は、京都三庚申のひとつ(ほかに八坂金剛寺、山之内庚申堂)であり、「粟田の庚申さん」と呼ばれている。
 戦前までは庚申信仰の霊場とされており、庚申日には参詣者で賑わったという。なお、金蔵寺(1868年廃寺)の三猿堂(庚申堂、御猿堂)が当境内に遷された。天台宗でいう不見、不聞、不言の三猿像を安置する。
◆花暦 ツツジ(5月初旬)。
◆年間行事 護摩供(毎月3日)、庚申日(隔月末)、水子供養碑(11月24日)など。 
 

*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都大事典』『京都の寺社505を歩く 上』『旧版 京のお地蔵さん』『京の福神めぐり』


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庚申さんのお使いであるという「くくり猿」、布で作られた猿の人形は、四肢をくくられて、吊るされている。人間の欲望が動かないように、庚申によってくくりつけられている。三猿・くくり猿の霊力により、「猿結び=縁結び」の御利益もあるという。

元三大師おみくじ

元三大師おみくじ

角大師、元三大師(がんさんだいし、慈恵大師 良源)には霊感があったという。災難、疫病除けのため、大師が角の姿に変化したという角大師を護摩にして家に貼る。 



水子地蔵尊、1973年造立。水子地蔵尊、延命地蔵尊、子育地蔵尊


境内からの眺め、ツツジを通して、平安神宮、北山が見える。

粟田山上り口に立つ京都一周トレイルの標識
 尊勝院  〒605-0035 京都市東山区粟田口三条坊町70   075-541-4574
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