大恩寺 (京都市左京区) 
Daion-ji Temple
大恩寺 大恩寺 
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 北門前町、河原町通に面して大恩寺(だいおんじ)はある。山号は日陽山という。 
 浄土宗、本尊は三尊仏。
 浄土宗洛中四十八願所の第22番。
◆歴史年表 安土・桃山時代、1585年、豊臣秀吉が叔母・大恩院殿の菩提を弔うために建立した。当初は二条室町西(現在の中京区大恩寺町)にあり、開山は天阿岌向による。永世寺領の朱印を賜う。
 1587年、京極丸太町(中京区寺町丸太町下る東側、下御霊神社付近)に移転した。
 江戸時代、1708年、大火災により焼失した。その後、現在地(左京区東大路二条下る)に移る。
 1711年、9世・源譽代により現在の本堂が再建された。
 近代、明治期(1868-1912)、塔頭三院も存在していた。
 現代、2002年、本堂の大屋修復工事が終わる。
◆大恩院殿 安土・桃山時代の女性・大恩院殿(生没年不詳)。詳細不明。大恩院殿日陽慶春大姉。美濃の刀鍛冶・関兼員の長女。妹に秀吉の母・大政所(なか)、聖林院、榮松院、松雲院ら6人(4人とも)がいたという。大恩院殿は秀吉の叔母にあたるという。杉原家利に嫁ぎ、朝日殿こひ(杉原定利室)、七曲殿ふく(浅野長勝室)を産む。
◆稲村三伯 江戸時代後期の蘭学者・稲村三伯(いなむら さんぱく、1758-1811)。海上随鷗(うながみ ずいおう)。鳥取の町医・松永如水の三男。1770年、藩医・稲村三杏の養子。1771年、藩校・尚徳館に学ぶ。1776年、福岡の亀井南冥に医学と儒学、長崎で蘭方を学んだ。1781年、三杏の没後に藩医を継ぐ。1783年、1785年、京都に遊学。1792年、江戸・大槻玄沢の『蘭学階梯』を読み芝蘭堂に入門し、門下四天王と呼ばれた。1796年、日本初の蘭和辞典『波留麻和解(はるまわげ)』を刊行した。オランダ人のフランソワ・ハルマの『蘭仏辞典』の対訳辞典和訳になる。1802年、弟の件で退藩し、遍歴、下総海上郡に身を隠し、名を海上随鴎と改めて医業をした。1805年、京都に戻る。医学、蘭学塾を開いた。1808年、2屍体を解剖しており解剖書『八譜目訣』を著す。藤林泰介、中環、小森桃塢ら137人の門弟があり、京都蘭学の基礎を築いた。墓は大恩寺にある。 
◆仏像 本尊の三尊仏は、江戸時代、1759年に再興された。
 脇檀に善導大師像、法然上人像を安置する。2002年にいずれも修復される。
 大恩院殿、海上随鴎の位牌が安置されている。
◆墓 江戸時代の蘭学者・海上随鷗(稲村三伯)の位牌、墓がある。 


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都大事典』『増補版 京の医史跡探訪』『昭和京都名所図会 2 洛東 下』



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