朱智神社 (京都府京田辺市) 
Shuchi-jinja Shrine
朱智神社 朱智神社 
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石灯籠、「牛頭天王」と刻まれている。



 京田辺市天王から人家を抜けて続く急峻な坂を登りきると、高ヶ峰(305m)の山腹に朱智神社(しゅち/すち じんじゃ)がある。この地を根拠地としていた古代豪族・息長氏(おきながうじ)の祖神を祀る。 
 祭神は迦爾米雷王命(かにめいかづちのかみ)、須佐之男命(すさのおのみこと)、天照國照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかり)。また、山代之大筒木真若王(やましろのおおつつきまわかのみこ)ともいう。
 式内社。平安時代、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「綴喜郡 十四座 大三座 小十一座」の「天神社」に比定されている。 
◆歴史年表 創建の詳細は不明。
 古墳時代、381年、第16代・仁徳天皇69年、社殿が建てられたという。大筒城真若王(おおつつきまわか)、迦爾米雷王命の二神を祀ったという。朱智(すち)天王(朱智天王神)と号し、かつては、この地より西方3町余り(327m)の所にあったという。西峰山頂、長岡峯(高ヶ峯とも)に鎮座したともいう。この地の豪族・息長氏(おきながうじ)の祖神を祀る社だったともいう。(社伝)
 また、535年、朱智天王(社)と称したという。この地に遷座されたともいう。
 飛鳥時代、701年、素箋鳴尊(すさのおのみこと)の神託により、郡司・息長兼理が三国嶽(山城、大和、河内境)の山頂に、大宝天王(三国天王)を建立したという。また同年、三国嶽に、白髪の老翁の神が現れ、素盞嗚尊を名乗ったため、息長兼理は山頂に大宝天王を建立したという。(社伝)
 奈良時代、793年、その大宝天王を遷座し、朱智天王とともに祀ったという。遷座は、平安時代、第50代・桓武天皇の在位中(781-806)だったともいう。(社伝)
 平安時代初期、空海(774-835)が当社を訪れ、素箋鳴尊を牛頭天王(ごずてんのう)に配した(置き換えた)という。以後、社名を牛頭天王と称したという。(社伝)
 869年、大宝天王は、感神院(現在の八坂神社)傍の荒町に遷座されたという。
 876年、その地から再び感神院に遷座されたという。
 1181年、焼失している。
 鎌倉時代、1256年、再建された。
 南北朝時代、1336年頃、当社の北に、南朝のために普賢寺土佐守樽盛により天王山城が築かれた。
 室町時代、1352年、兵火により焼失した。
 1394年、再建したという。
 1521年、社殿が造営されている。
 近世(安土・桃山時代-江戸時代)、普賢寺郷といわれる近郊10村は、当社・牛頭天王社を郷氏神として祭祀していたという。
 近代、1873年、天王社より朱智神社に社名を戻し、郷社になった。
◆迦爾米雷王命・朱智 当社の祭神・迦爾米雷王命(かにめいかづちのかみ、朱智王)は、弥生時代の第9代・開花天皇の孫とされ、第14代・仲哀天皇の神功皇后(息長帯比売)の祖父に当るという。第11代・垂仁天皇在位中(B.C.29-A.D.62)にこの地を治め、子孫は朱智(すち)姓を名乗ったという。
 古代(奈良時代-平安時代)、この地、綴喜(つづき)郡は、近江国坂田郡を根拠地とする豪族・息長氏(おきながうじ)の勢力地になっていた。
 奈良時代、744年、息長氏と関わりある、息長山普賢寺(現在の大御堂観音寺の前身)が建立されている。
◆迦邇米雷王 古墳時代の皇族・迦邇米雷王(かにめいかずちのみこ、生没年不詳)。稚筒城王、若角城命。『古事記』によれば、父は山代之大筒木真若王(やましろのおおつつきまわかのみこ)、母は伊理泥王の娘・丹波能阿治佐波毘売(たにわのあじさわびめ)。彦坐王の孫・開化天皇の曾孫に当たる。外祖父の伊理泥王は、山代之大筒木真若王の同母弟であり、父と母は伯父・姪の続柄になる。迦邇米雷王は丹波之遠津臣の娘・高材比売(たかきひめ、神功皇后の祖母)を妃とし、息長宿禰王(おきながのすくねのみこ、気長宿禰王、神功皇后の父)を産む。
◆山代之大筒木真若王 古墳時代の皇族・山代之大筒木真若王(やましろのおおつつきまわかのみこ、生没年不詳)。『古事記』によれば、父は彦坐王(ひこいますのみこ)、母は袁祁都比売命(おけつひめのみこと)。同母弟に比古意須王(ひこおすのみこ)、伊理泥王(いりねのみこ)がいる。開化天皇の孫、神功皇后の曽祖父に当たる。王は姪になる伊理泥王の娘・丹波能阿治佐波毘売(たにはのあじさはびめ)を妃とし、迦邇米雷王(かにめいかずちのみこ)を産む。
 王の名は「山城国綴喜郡綴喜 豆々木」(『和名類聚抄』)(京田辺市普賢寺付近)に由来し、地元では、普賢寺の宇頭城(うつき)の御館に住んだとの伝承がある。
◆祇園社・祇園祭 当社と感神院(祇園社、八坂神社)は関わりがあるという。
 平安時代、869年、大宝天王は、感神院(現在の八坂神社)そばの荒町に遷座され、876年、再び感神院に遷座された。以後、祇園祭の際には、当社の榊が祇園社に移される神事「榊遷(さかきうつし)」が、朱智家、息長家、三国家により年番により執り行われていたという。その後、他家も加わり、その後廃絶した。
 近世には普賢寺郷に二座が置かれた。特別祭祀「榊遷行事」(7月13日)では、当座の座人が神社に奉じた真榊を、相楽の若衆が駕ぎ、京都の祇園社(八坂神社)に遷した。祇園祭の山鉾はこの榊を受けて初めて出御していたという。
 その後、神事は廃れた。現在、当社でも「祇園祭」(7月14日)が行われている。
◆神像 本殿に、「牛頭天王神像」(府指定文化財)が祀られている。頭上に牛頭、念怒の表情で正面、左右面の三面がある。藤原時代(平安時代中期-後期)作、一本彫りの彩色立像、唐様装束、像高約1m、類例は少ないという。
 なお、祇園感神院(八坂神社)の本尊・牛頭天王神像は、近代の廃仏棄釈によりすでに失われており、現存するのは当社と許波多神社(宇治市)のみとされてる。
◆建築 「本殿」(京都府登録文化財)は、江戸時代、1612年の再建による。向拝木鼻の表に牡丹、裏に狐の彫り出し、正面蟇股に唐獅子、牡丹など安土・桃山時代様式の彫刻が施されている。昇高欄の擬宝珠に「慶長十七年(1612年)」の銘がある。1938年に歴史上重要建築物に指定された。一間社流造、檜皮葺、
 本殿への一石段耳石には、室町時代、1507年、1541年の銘が残されている。
◆文化財 近くの極楽寺には、当社より移されたという「正中二年(1325年)」の銘板碑がある。
神宮寺跡 石段下、鳥居を下りた右手に天王六坊という神宮寺跡がある。弘法大師(空海、774-835)が来住し建立した寺院跡という。
◆年間行事 祇園祭(7月14日)、例祭(秋祭)(10月18日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都府の歴史散歩 下』『京都の地名検証』


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拝殿

本殿

本殿

右より、天津神社、皇大神宮、春日神社、鎮火神社、祈雨神社、金神社

左より、住吉神社、大高神社、三社大神社、朝日神社、大土神社、白山神社、稲生神社
 朱智神社 〒610-0326 京都府京田辺市天王高ヶ峰25    0774-65-0315
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