佐牙神社 (京都府京田辺市) 
Saga-jinja Shrine

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拝殿
 佐牙神社(さが じんじゃ)の佐牙はかつて「さか、さかこ、なさ」とも称された。また、佐牙乃神社、佐賀神社、佐賀天神宮、東朱智社などとも記された。 
 祭神は、北殿に佐牙弥豆男神(さがみづお)、南殿に佐牙弥豆女神(さがみづめ)、天津神吉田大明神を祀る。
◆歴史年表 創建の詳細は不明。
 飛鳥時代、573年、第30代・敏達天皇の勅により、酒部連友三と云人は、咋岡ノ山本に佐賀弥豆男神、佐賀弥豆女神の二座を祀ったという。造酒の神として、毎年、大内造酒司(みきのつかさ、ぞうしゅし、さけのつかさ)官人が幣帛を捧る神社となる。
 奈良時代-平安時代初期、延暦年間(782-806)、当初は山本村内字切山に祀られ、現在地(宮津小字江津)に遷されたという。また、当初より山本村に鎮座したともいう。
 794年、山本村より現在地に遷されたともいう。
 806年、神領の寄進があったという。また、806年頃、摂津国に封戸9戸があったという。
 室町時代、永享年間(1429-1441)、三山木(みやまき)の山本より現在地に遷されたともいう。
 1509年、菱田監物、森村信濃守の土地争いの兵火により本殿を焼失する。
 1514年、山本主馬介義吉一族により再建される。
 安土・桃山時代、1576年、焼失する。
 1585年、再建された。
 江戸時代、山本村、江津村の産土神として、二つの宮座が合同して祭礼を行っていた。
 近代以前、天神宮、吉田明神と称された。また、若松明神も祀られていたという。
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、廃寺となった佐牙神社・神宮寺の恵日寺(えにちでら)より、本尊・不動明王尊像、平安時代作五大明王の降三世明王、金剛夜叉明王が寿宝寺に遷された。
 1923年、本殿2棟は重要文化財に指定された。
◆建築 2棟の本殿(重文)は、北殿(右殿)に佐牙弥豆男神(さがみづお)、南殿(左殿)に佐牙弥豆女神(さがみづめ)を祀る。安土・桃山時代、1585年の再建とされる。二棟とも一間社春日造、桧皮葺。ただ、身舎(もや)の蟇股は左右対称の意匠で、室町時代初期作とみられ、旧建物の再利用と推定されている。1923年、本殿2棟は重要文化財に指定された。
◆封戸 封戸(ふこ/ふご)は、律令制で、食封(じきふ)の制により、位階・官職・勲功により朝廷から授けられた課戸(かこ)をいう。封。
◆宮座 山本村、江津村の座家筋により宮座があり、秋祭には、神輿の渡御が行われていた。
 神仏習合時代、祭列には、山本村・寿宝寺と江津村・恵日寺の僧も加わっていた。現在は、神幸祭に山本の御旅所へ渡御があり、還幸祭に江津本社へ還る。
◆神宮寺 本殿南に三山木廃寺、東に恵日寺(えにちでら)があった。三山木廃寺は飛鳥時代、7世紀末に成立したとみられ、普賢寺と同笵の素弁文の軒丸瓦、奈良時代後半の軒瓦も出土している。
 1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、廃寺となった神宮寺の恵日寺より、本尊・不動明王尊像、平安時代作五大明王の降三世明王、金剛夜叉明王が寿宝寺に遷された。
◆末社 北殿右に蛭子神社、南殿左に太神宮を祀っている。
◆年間行事 歳旦祭(1月1日)、元始祭(1月3日)、節分祭(2月節分)、紀元祭(2月11日)、祈年祭・春祭(3月第2日曜日)、大祓(6月30日)、榊刺祭(9月30日)、例祭・宵宮祭(10月体育の日前々日)、例祭・神幸祭(10月体育の日前日)、例祭・還幸祭(10月体育の日)、明治祭(11月3日)、新嘗祭・秋祭(11月23日)、天長祭(12月23日)、大祓(12月31日)。毎月1日月次祭。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『日本の古代遺跡28 京都Ⅱ』


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拝殿

北殿

南殿

末社・蛭子神社、事代主神

末社・太神宮、天照皇太神

神宮寺の恵日寺跡
 佐牙神社 〒610-0314  京田辺市宮津佐牙垣内164  0774-62-9044
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