安養寺 (倒蓮華寺) (京都市中京区)
Anyo-ji Temple
安養寺 (倒蓮華寺)  安養寺 (倒蓮華寺) 
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山門薬医門






本堂内陣


地蔵尊


 新京極通東に安養寺(あんようじ)はある。古くより女人往生の寺として、篤い女性の信仰を集めている。「倒蓮華寺(さかれんげじ/さかれんげ)」とも呼ばれている。山号は八葉山(はちようざん)、院号は華台院(かだいいん)という。
 浄土宗西山禅林寺派。本尊は阿弥陀如来立像(逆蓮華の阿弥陀)。
 洛陽六阿弥陀めぐり第5番。
 女人往生、無病息災、家運隆盛、祈願成就などの信仰篤い。
◆歴史年表 平安時代、1018年、寛和年間(985-987)とも、恵心僧都が大和国・葛下郡當麻(たいま)に建立した華台院(けだいいん)を始まりとするという。
 年代不詳、恵心の妹・安養尼(953-1034)が居住し、2世となる。安養寺と改名した。
 天永年間(1110-1113)、1110年頃とも、証空法弟・3世・隆暹(りゅうせん)が京都樋口六条(下京区)の方二町(200m四方)に移した。東山流念仏義を唱えた。
 後に、四条西洞院の北に移る。大伽藍が建てられた。
 鎌倉時代、建長年間(1249-1256)、証仏(しょうぶつ)の時、寺運隆盛になる。第89代・後深草天皇(1243-1304)、第92代・伏見天皇(1265-1317)の勅願所になる。
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、1580年頃とも、豊臣秀吉の都市改造に伴い現在地に移された。
 江戸時代、阿弥陀如来立像は女人往生如来として名弥陀の一つになる。
 1788年、天明の大火により焼失する。
 1864年、禁門の変の兵火により焼失した。
 近代、1872年、新京極通の開通工事に伴い、上知が行われ境内地は縮小された。
◆源信 平安時代中期の天台宗の僧・源信(げんしん、942-1017)。恵心僧都、横川僧都。大和国に生まれた。950年/956年、9歳で比叡山の良源に学ぶともいう。955年、得度した。956年、15歳で『称讃浄土経』を講じ、第62代・村上天皇により法華八講の講師の一人に選ばれる。だが、名声より聖人になるという母の諫言を守り、横川の恵心院に隠棲し続けた。1004年、公卿・藤原道長の帰依により権少僧都となる。1005年、権少僧都を辞する。恵心院で亡くなる。臨終にあたり、阿弥陀如来像の手に結んだ糸を手にし、合掌しながら入滅したという。
 浄土宗の基礎となり、地獄極楽観を説いた『往生要集』(985)の編者。『源氏物語』第53帖、『宇治十帖』第9帖の「手習」巻中、宇治川に入水した浮舟を助けた「横川の僧都」といわれている。(良源弟子の覚超ともいう)。絵、彫刻に優れたという。源信作の和讃「極楽六時讃」がある。
◆願証尼 平安時代中期の天台宗の尼僧・願証尼(がんしょうに、953-1034)。父は卜部正親、母は清原氏。源信・願西尼の妹。安養尼とも称された。姉とされる願西尼と同一人物ともいう。幼少より仏道を志した。出家後、大和吉野山に住した。日夜念仏に専念し、毎月8日に地蔵講を行ったという。西に向い端座し入滅したという。
◆仏像・木像 二階本堂の本尊「阿弥陀如来立像」(2m/1.8m)は、鎌倉時代(室町時代とも)の大和春日仏師の作になる。寄木造。蓮華座は八枚の蓮華を逆さに置く。また蓮華の花弁が下向きに開いておりその上に立つ。こうした例は珍しいという。このため、「逆蓮華(さかれんげ)の阿弥陀」「倒蓮華寺」「さかれんげ」と呼ばれている。これは、「新京極の七不思議の一つ」にも数えられている。
 「恵心僧都坐像」は、鎌倉時代作。
◆本尊縁起 古く、女性は業深いとされ、女性のままでは往生できないとされた。このため、変成男子(へんじょうなんし)となり成仏するとされた。往生の際に、女性は心中にあるという蓮華が逆さに花を咲かせ、極楽往生できないとされた。当寺の本尊「阿弥陀如来立像」が逆蓮華に立つのは、女性救済のために、あえて連座を逆さにしたものという。
 本尊「阿弥陀如来立像」は、大和当麻に住した恵信僧都の母が発願したという。ある時、母は「三部経」中の「無量寿経」を読む。阿弥陀の四十八願が説かれ、十八願、念仏往生の本願、十方衆生の誓いに、男女ともに往生できると説かれている。ただ、三十五願に女人往生を重ねて誓う。このことを疑問に思い、母は春日明神に参籠することにした。7日目に夢告があり老翁が現れた。老翁は、家に帰るようにと告げて宝殿に消える。家に戻ると、門前に一丈ほどの材が置かれていた。
 夕刻、老僧が母の家を訪ね、宿を乞う。僧は、家に置かれていた材で仏像を刻むことを望んだ。明朝夜半より、僧は家人に決して室を覗かないようにと告げ、像を刻み始める。当初は鑿鎚一人の刻む音がし、次第に複数人の音が聞こえたという。鑿鎚の音が途絶えて、母が室を覗き見ると、すでに老僧の姿はなく、阿弥陀像が残されていた。仏の体からは光明が放たれ、紫雲棚引き、辺りによい香りが漂っていた。
 ただ、台座がなかったため、母はすぐに台座を造らせた。翌日、その台座がひび割れしている。造り直して像を安置する。再び台座が壊れていた。3度造り直しても同じく壊れていた。母は思い悩み、仏前に籠り祈願すると、夢告に阿弥陀仏が現れた。
 阿弥陀仏は次のように告げた。春日明神が老僧に身を代え、女人往生の証拠として阿弥陀像を刻んだ。ただ、大日経の蔬に、男性の心中の蓮華は上に咲き、女性は下に向かって咲くと説かれる。このため、八葉の逆蓮華の台座を造り直して安置すべきである。三十五の本願を誓うためには、逆さ蓮華を踏むことで女人往生の証拠に立つと説いた。母は阿弥陀仏のお告げに従い、逆蓮華を造り直して像を安置したという。(『都名所図会』)
◆諸仏 地蔵堂に北向地蔵尊が安置されている。子どものぜんそく封じの信仰がある。
 不動尊は健康祈願、弁財天は商売繁盛の信仰がある。
◆文化財 絹本著色截金「真向阿弥陀如来立像」は、平安時代の伝・恵心僧都筆という。
 絹本刺繍「地蔵菩薩坐像」は、鎌倉時代の安養尼作。
◆六阿弥陀巡拝 六阿弥陀巡拝(めぐり)」は、江戸時代、1717年に安祥院の養阿が阿弥陀仏の霊感を受けて発願したものという。縁日の日には、真如堂で洛陽六阿弥陀巡拝の証をもらい、蓮華の朱印を受け、先祖回向、極楽往生を祈願する。その後、永観堂、清水寺阿弥陀堂、安祥院、安養寺の順で回り、誓願寺で結願する。功徳日とされる1月15日、2月8日、3月14日、4月15日、5月18日、6月19日、7月14日、8月15日、9月18日、10月8日、11月24日、12月24日、春秋彼岸に3年3カ月巡拝する。無病息災、家運隆盛、諸願成 就を得ることができるという。
 札所は、1番・真如堂(真正極楽寺、左京区)の阿弥陀如来、2番・永観堂禅林寺(左京区)の阿弥陀如来、3番・清水寺(東山区)の阿弥陀堂の阿弥陀如来、4番は安祥院(日限地蔵、東山区)の阿弥陀如来、5番・安養寺(中京区、新京極)の阿弥陀如来、6番・誓願寺(中京区、新京極)の阿弥陀如来になる。
◆年間行事 初洛陽六阿弥陀めぐり(1月15日)。


*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都古社寺辞典』『京都・山城寺院神社大事典』『京都大事典』『京のご利益めぐり』『日本の名僧』『京都 歴史案内』『平成28年第52回 京都非公開文化財特別公開 拝観の手引』『京の寺 不思議見聞録』『京の福神めぐり』


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安養寺 〒604-8046 京都市中京区東側町511,新京極蛸薬師下る東側  075-221-4850  9:00-16:00
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