中山神社 (京都市中京区)
Nakayama-jinja
Shrine

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「岩上宮」の扁額


 中山神社(なかやま じんじゃ)は、岩上通(いわがみどおり)に面している。かつては、岩上(いわがみ)神社、石神(いわがみ)神社、石上社、岩神社、岩神(いそがみ)神社などとも呼ばれた。 
 祭神は、素戔嗚命(すさのおのみこと)、櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)を祀る。
 また、稚日女神(わかひるめのみこと)、石上神宮の布留神(ふるのかみ)、高岐神、三井寺の新羅明神(しんら みょうじん)を祀るともいう。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、794年、第50代・桓武天皇の勅命により、素戔嗚尊を主神とし、朝夕、内裏の門を守護するという御門の神、櫛石窓神、豊石窓神の二神を祀ったともいう。石神神社、岩上神社ともいわれた。
 また、円珍(814-891)は、宋からの帰国途中、船中に新羅(しんら)の神が出顕し守護したという。その後、円珍が勧請したともいう。園城寺(三井寺)北の院の新羅明神を勧請したともいう。
 第52代・嵯峨天皇(786-842)の大内裏の東(二条城北東)にあった後院・冷泉院の鎮守社だったともいう。
 1050年、神殿が建立された。(「百錬抄」)
 1051年、従三位の神位を叙せられた。
 1053年、1052年とも、初めて官幣を受けたという。(「公事根源」「百錬抄」)
 1055年、冷泉院が取り壊され、石上社は残る。
 中山内大臣・藤原忠親(1131-1195)の屋敷がこの地にあったともいう。
 鎌倉時代、1214年、焼失する。二条猪熊の焼亡し、冷泉院内に中山明神があると記されている。(「百錬抄」)
 安土・桃山時代、1602年、二条城造営に伴い現在地に遷された。公家・中山忠親邸宅の跡地に建立されたため、中山神社と呼ばれたという。
 江戸時代、神宮寺の岩上寺と称し、社僧が管理していたという。
 1788年、天明の大火により焼失する。その後、再建された。
◆中山忠親 平安時代後期-鎌倉時代の公卿・中山忠親(なかやま ただちか、1131-1195)。花山院忠宗の子、公卿中山家の祖。参議、大納言、内大臣、中宮権大夫として平徳子(後の建礼門院)、春宮大夫として言仁皇子(後の第81代・安徳天皇)に仕えた。後白河院庁で別当のひとり。1185年、源頼朝により議奏公卿に推挙された。歴史物語『水鏡』の著者とされる。日記『山槐(さんかい)記』を記した。
◆岩上さん かつて岩上神社には、大石「岩上さん」が祀られていた。その後、岩神神社(上京区上立売通浄福寺東入ル)に遷されている。
◆年間行事 祭礼(4月8日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都歴史案内』『京都大事典』


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 中山神社 〒604-8341 京都市中京区岩上町748,岩上通六角下る西側 

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