長仙院 (京都市中京区) 
Chosen-in Temple
長仙院 長仙院
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 誓願寺の東に塔頭・長仙院(ちょうせんいん)が西面して建つ。変遷を経て、平安時代の陰陽師・安倍晴明の坐像が安置されている。 
 浄土宗西山深草派。本尊は阿弥陀如来坐像。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。 
 江戸時代、1864年、禁門の変によるどんどん焼けで焼失し本尊を失う。
 その後、再建される。大通寺(西八条)本尊を遷したという。その後、本尊は三河に遷された。 
 近代、1877年、現在の本尊・阿弥陀如来坐像が善徳寺より当寺に遷される。また、1872年、清円寺より安倍晴明坐像とともに遷されたともいう。
◆仏像・木像 本尊の「阿弥陀如来坐像」が安置されている。脇侍は「勢至菩薩像」。2体の「僧形像」もある。
 長仙院は、江戸時代、1864年のどんどん焼けで焼失し、この時に本尊を失う。その後、再建され、西八条の大通寺の本尊を長仙院に遷した。その後、本尊は三河に遷されたという。
 1872年、現在の本尊「阿弥陀如来坐像」は清円寺(東山松原、東山区宮川町、弓矢町付近)より西山派の善徳寺(松原中堂寺村)に遷される。さらに1877年、当寺に遷されたという。また、1872年、前年に廃寺になった清円寺の本尊は、「安倍晴明坐像」、「妙法院少将法師権大僧都木像」、「道観親王木像(延喜帝第四王子」、「蝉丸法師)」など5体とともに当寺に遷されたともいう。
◆晴明坐像 現在、束帯姿の「安倍晴明坐像」が当寺に安置されている。1872年、本尊など共に清円寺(東山区宮川町、弓矢町)より遷されたという。江戸時代作という。
◆法城寺・晴明塚・晴円寺 かつて、宮川町五丁目(東山区松原通宮川筋東入北側)、鴨川東岸北辺に、陰陽師・安倍晴明が鴨川の防水を祈念して建立したという法城寺が建っていたという。法城寺の名は、「水(サンズイ)去って土と成る」の意味に因む。晴明の没後、遺骸は当寺に葬られた。その後、寺は廃し、晴明塚(宮川筋の西)だけが残されたという。
 晴明塚は後に晴明社とも呼ばれる。松原通宮川町の北東にあったという。この地に堂を建て、晴円寺と号した。阿弥陀仏を本尊とし、洛陽阿弥陀回り32番札所になっていた。江戸時代、寛文年間(1661-1673)、宮川町の開発に伴い塚は除かれる。跡地に晴明大明神(晴明社)の祠が祀られたという。この時、塚は宮川町五丁目・弓矢町に移される。この地は、晴明辻子とも呼ばれ、後に物吉村(ものよしむら)と呼ばれた。陰陽師村だったともいう。
 江戸時代、物吉村(松原通大和大路西入ル)の晴円寺が塚の管理を行っていた。晴円寺は、ハンセン氏病患者の収容所・病院を管理していた。施設も物吉村にあったという。「ものよし」といわれる者が、五節句の頃に門付けを行い、その勧進により施設は運営されていたという。施設は岡崎・悲田院に属し、その後、独立したともいう。近代、1871年(1868年とも)、廃仏毀釈にともない清円寺は廃寺になる。病棟も廃止になった。遺物は、長仙寺に遷された。また、心光寺にも遷されたともいう。
◆庭園 書院から見下ろせる池泉観賞式の庭園がある。江戸時代の作庭という。いまは枯山水式庭園になっている。
◆梅 名木の「未開紅(みかいこう)の梅」がある。八重咲であり、蕾の頃は濃紅色、開花すると仄かに紅を帯びた白い花弁になる。かつて、誓願寺境内にあった。「新京極の七不思議の一つ」とされている。


*非公開。事前申込み。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』『日本地名大辞典 26 京都府』『安倍晴明・紫式部を歩く』『京の寺 不思議見聞録』『昭和京都名所図会 2 洛東 下』『京のしあわせめぐり55』


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 長仙院 〒604-8034 京都市中京区松ケ枝町471,六角町通河原町西入る  075-221-5179
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