西寿寺 (京都市右京区)
Saiju-ji Temple
西寿寺 西寿寺 
  Home   Home

山門














本堂



本堂
 鳴滝、周山街道(国道162号線)から北へ坂道を上ると、尼寺の西寿寺(さいじゅじ)がある。
 泉谷(いづみだに)ともよばれる。山号は泉谷山(せんこくざん)といい、かつて本堂建立の際に地中より泉が湧いたことから名付けられたという。 
 浄土宗捨世派、本尊は阿弥陀如来坐像。
◆歴史年表 江戸時代、1627年、岱中(たいちゅう)に帰依した篤信家・北出嘉兵衛が、岱中を招請開山とし、念仏三昧道場として開いたという。(『泉谷山西寿寺伝記』)
 万治年間(1658-1661)、また、1658年、5世・単誉愚故は本堂を建立し中興した。
 1659年、江州甲賀・上野村の新宮大明神社(滋賀県甲南町)の本地仏を馬3頭に分けて運び当寺に遷し、本尊として安置した。
 寛延年間(1748-1751)、単誉愚故の時、現在の本堂が再建される。
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により廃寺になる。
 1879年、阪飯田弥兵衛、颯田(さった)本真尼により再興された。
◆袋中 室町時代-江戸時代の浄土宗の僧・袋中(たいちゅう、1552-1639)。良定(りょうじょう)、弁蓮社入観。磐城国に生まれた。父は佐藤定衡。14歳で陸奥・能満寺の存洞により出家、如来寺、専称寺、円通寺・名越檀林で浄土教学を学んだ。1577年、江戸・増上寺で浄土宗白旗派に学び、1581年、故郷の成徳寺13世。1599年、平城主・岩城貞隆の帰依により城内に称名道場を開く。1603年、入明を試み上陸を許されず、琉球に漂着した。琉球・尚寧王の帰依を得て、城外に桂林寺を開く。1606年、京都・檀王法林寺を再興、1619年、氷室谷、東山五条(菊ヶ谷)に袋中菴を建立した。奈良・念仏寺など20余寺を建立したという。1637年京都・南山城の西方寺に移り亡くなる。『琉球神道記』『琉球往生』などを著した。
◆颯田本真 江戸時代後期-近代の浄土宗の尼僧・颯田本真(1845-1928)。三河の颯田清左衛門の長女に生まれる。1856年、12歳で三河・貞照院の高橋天然のもとで得度する。1862年、慈教庵を創建し住職となる。1883年、寺号を徳雲寺と改める。「三河の尼さん」と慕われた。1890年、三河を襲った津波被害を機に被災者救済に貢献した。1891年、美濃震災を初め、34年間にわたり弟子と共に全国23県150カ所の災害地に入り、6万戸の世帯に支援物資を届け続けた。「生き仏」と慕われた。
◆藤井懶斎 江戸時代前期の儒学者・藤井懶斎(ふじい らんさい、1628-1709)。真名部忠庵。1642)年、筑後・久留米藩の儒医になる。1674)年、京都へ行き、藤井懶斎と名乗った。山崎闇斎の門に学び、鳴滝に隠棲した。朱子学の立場から仏教を批判した「閑際筆記」を著す。西寿寺に墓がある。
◆桑原空洞 江戸時代中期の書家・儒者・桑原空洞(くわばら くうどう、1673-1744)。京都生まれ。合田晴軒に学び私塾を開く。中国歴代の書を研究し、書学にも通じた。著『亀毛(きもう)録』など。西寿寺に墓がある。
◆浄土宗捨世派 浄土宗捨世派は、室町時代の浄土宗の僧・称念(1513-1554)を祖とする。8歳で増上寺の親誉につき、宗戒両脈を受ける。江戸に天智庵を創建、1548年、知恩院祖廟の南隣に草庵を結び六時念仏を行う。信徒が堂舎を建立し、後に念仏三昧の道場、一心院捨世派の本山となる。全国に47ほどの寺院を創立した。一心院はいまも知恩院境内にある。
◆仏像 本堂安置の本尊の「阿弥陀如来坐像」は、かつて、近江国甲賀郡上野村の新宮大明神社の本地仏だった。江戸時代、1658年、愚故(ぐこ)上人が当寺に遷した。平安時代末期、1172年頃に、円派(えんぱ)仏師により造仏されたという。室町時代作ともいう。定朝様の丈六(276㎝)であり、「丈六の弥陀」と呼ばれている。阿弥陀の定印を結び、右足を前にした結跏趺坐、蓮華坐上に坐し、円光を背負う。袈裟が嵯峨式釈迦仏の流水文を模倣している。寄木造、像内内刳り、漆箔仕上げ、金箔は近世の後補による。
 円派は、平安時代中期から鎌倉時代の仏師の一派であり、仏師号に「円」の一字を持ったことから呼ばれた。定朝弟子・長勢(1010-1091)を祖とした。長勢は広隆寺、法成寺などで造仏を手掛け、一派は三条仏所を中心に活躍した。
 鎌倉時代の「阿弥陀如来坐像」(像高25㎝)、京都国立博物館寄託。
◆庭園 庭園に水琴窟「丈六」「三光石」がある。
◆泉谷山 山号の泉谷山は、寺地造営の際に、神石が出土し、そこより泉が湧いたことによるものという。
◆文化財 「当麻御供養図」。江戸時代奉納の「大涅槃図」(縦約4m、横約3.8m)は、2007年に修復が行われている。
◆三重石塔 境内の三重塔は、近江国・石塔寺(滋賀県蒲生郡)の阿育王塔(国宝)を模している。阿育王(アショーカ王)塔は、奈良時代、百済系渡来人が建立したものという。三重塔を写したものとしては、法然院の墓地にも立てられている。
 阿育王とは、B.C.3世紀に仏教を広めたインドの王をいう。平安時代、1003年、唐に入った比叡山の僧・寂照(じゃくしょう)法師は、五台山に滞在中に、五台山の僧からかつて阿育王が仏教隆盛を願い、三千世界に8万4千基の仏舎利塔を投げたと聞かされる。そのうちの2基の仏舎利塔は日本に飛来し、1基は琵琶湖の湖中に沈み、1基は近江国渡来山(わたらいやま)の土中にあると知らされる。
 寂照は日本に手紙を送る。1006年、播州明石の僧・義観僧都が手紙を入手し、第66代・一条天皇に上奏した。勅命により周囲を探索すると、武士・野谷光盛は、石塔寺(本願成就寺)の裏山に大きな塚を発見した。辺りを掘ると阿育王塔が出土した。天皇は七堂伽藍を新たに建立し、寺号を阿育王山石塔寺と改め勅願寺とした。寺は隆盛を極め、八十余坊の大伽藍を築いたという。
◆清水 山号泉谷山の由来となった清水は、現在も手水に用いられ、日照りの時も涸れることがないという。
◆桜楓 桜、楓がある。
◆墓 袋中など歴代の卵塔、江戸時代中期の書家・儒者・桑原空洞(1673-1744)、江戸時代前期の儒学者・藤井懶斎(?-1709)の墓がある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『学叢 第28号』『京都の寺社505を歩く 下』『事典 日本の名僧』『昭和京都名所図会 4 洛西』


  関連・周辺      周辺三宝寺     周辺平岡八幡宮      周辺了徳寺      周辺法蔵寺     周辺妙光寺      周辺福王子神社      関連      

本堂、扁額

本堂

庫裏

鐘楼


山号の泉谷山の由来となった湧水

地蔵堂、地蔵尊

地蔵尊、板碑

鎮守社、三光石神社

境内墓地からの南、市街地の景観

三重塔、阿育王(アショーカ王)塔

十三重塔

笠塔婆

歴代の墓、無縫塔

 西寿寺 〒616-8253  京都市右京区鳴滝泉谷町16   075-462-4851
50音索引  Home   50音索引  Home  
   © 2006- Kyotofukoh,京都風光