光雲寺 〔南禅寺〕 (京都市左京区) 
Koun-ji Temple
光雲寺 光雲寺
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仏殿


仏殿前の枯山水式庭園


鐘楼、鐘、第109代・明正天皇(1624-1696)の寄進による。後水尾天皇の第二皇女。母は東福門院。


玄関






中庭



庭園



庭園
 哲学の道の西、東山の麓に南禅寺境外塔頭の光雲寺(こううんじ)がある。南禅寺北ノ坊とも呼ばれる。山号は霊芝山(れいしざん)。 
 臨済宗南禅寺派。本尊は釈迦如来。
◆歴史年表 鎌倉時代、1280年、大明国師(無関普門)を開山とし、当初は摂津国・天王寺に建立された。律宗の寺だった。
 その後、度重なる兵火により荒廃する。
 江戸時代、1657年、寛文年間(1661-1673)、南禅寺の英中玄賢が再興し、臨済宗に改宗し、光雲安国禅寺と称した。
 1664年、英中に帰依した第108代・後水尾天皇と中宮・東福門院の援助により、難波より現在地の「北ノ坊」に移転する。本尊には、東福門院の釈迦如来と観音菩薩を安置した。当時は5300坪の広大な境内と七堂伽藍が建ち並び、50人以上の雲水が修行に励んでいたという。
 後、東福門院(1607-1678)の菩提寺になる。
 1799年、『都林泉名勝図会』に庭園が記されている。
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、伽藍は破却され、境内も縮小している。
 1927年、小川治兵衛が作庭する。
 現代、2004年以降、南禅寺・禅センター」となる。
◆無関普門 鎌倉時代の臨済宗の僧・無関普門(むかん ふもん、1212-1291)。仏 心禅師。信濃国に生まれた。13歳で越後・正円寺で出家、剃髪。叔父の寂円に仕えた。19歳で上野国・長楽寺の栄朝から菩薩戒を受ける。関東、北越を遊歴 し、東福寺開山・円爾(弁円)に参禅し、その法嗣。越後・華報寺を開創する。1251年、宋に渡り、けい叟如ぎょく、浄慈寺の断橋妙倫の印可を受けた。 1262年、帰国。九州、京都、鎌倉、北越、越後、摂津など各地を歴住した。1281年、東福寺3世。1288年、亀山上皇(第90代)の離宮に出没した怪を降 伏したとされる。1291年、南禅寺創建の際に、上皇に開山として招かれる。だが、病に罹り住坊の東福寺・龍吟庵に移る。上皇は禅師を見舞い、手づから薬湯 を与えたが龍吟庵で亡くなった。遺骸は慧日山龍吟の岡に葬られる。龍吟庵は塔所となる。虎関師錬により南禅寺・天授庵も禅師の塔所として建立された。諡号 は大明国師。
◆英中玄賢 江戸時代の僧・英中玄賢(1627-1695)。南禅寺の第100代住持。1615年、光雲寺を再興した。
◆東福門院 江戸時代前期の第108代・後水尾天皇の中宮東福門院(1607-1678)。江戸幕府2代将軍・徳川秀忠と御台所達子(浅井長政3女、お江与の方、崇源院)の娘・和子(まさこ)として江戸に生まれた。
 1620年、画策により14歳で入内したことにより、禁裏の財政を支えることになる。2皇子5皇女を儲け、1624年、中宮となる。1629年、天皇が第2皇女・興子内親王(第104代の女帝・明正天皇)に突然の譲位をしたことにより、院号宣下を受けた。その後、第110代・後光明天皇、第111代・後西天皇、第112代・霊元天皇の3天皇の養母となる。墓所は泉涌寺内月輪陵にある。
◆小川治兵衛 近代の作庭家、庭師・7代の小川治兵衛(1860-1933)。現在の京都府長岡京市に生まれた。通称は屋号の「植治(うえじ)」と呼ばれた。江戸時代、宝暦年間(1751-1763) より続く植木屋、「植治」を継ぎ、平安神宮を初め、円山公園、無鄰庵など庭園の作庭、修景も手がけた。
◆建築 唐様の仏殿は、江戸時代、1664年の現在地での創建時の建物であり、本堂と禅堂(坐禅道)を兼ねる。
◆庭園 方丈、客殿前に池泉廻遊式庭園(京都市名勝)がある。東山の若王子山を借景とし、周囲の森も景色に取り入れている。池泉、築山、苔地、飛石、延段、植栽などで構成されている。
 江戸時代の「都名所図会」「都林泉名勝図会」にも紹介された。後者では、現在よりも規模の大きな池泉回遊式の庭園が描かれ、池には橋、高い滝も見られる。
 近代、1927年、7代・小川治兵衛(1860-1933)が改修し、琵琶湖疏水の水を引き入れた。この時点で江戸時代の庭園は残されておらず、新たに作庭されたとみられている。2010年にも大幅な修復が行われている。
 東南隅に滝口が組まれ、琵琶湖疏水より引かれた水が池に注がれている。滝口の周辺にスギが植えられている。流水は西に向かい、広い流れの底には小石が敷かれている。流れは石橋(当初は土橋)を経て、園池、沢飛び、その脇に後年据えられた雪見燈籠が立っている。池の南に築山があり、その裾に宝篋印塔、燈籠が据えられている。地はスギゴケで覆われ、イロハモミジ、ドウダンツツジ、サツキ、ツツジなどの刈込、サルスベリも植栽されている。
 方丈東、庭園の北東に、武将・大名の加藤清正(1562-1611)が朝鮮出兵の際に持ち帰ったという瑪瑙(めのう)原石の手水鉢が据えられている。大きな円柱形をしている。実際には結晶質石灰岩(大理石)製という。東福門院の寄進による。
◆仏像・木像
 本堂須弥壇に、東福門院から贈られた本尊の「釈迦如来坐像」、脇侍に「阿難(あなん)」、「迦葉(かしょう)」の二尊者を安置する。
 厨子内に納められた「聖観音菩薩坐像」は、東福門院の念持仏であり、長年秘仏とされてきた。鎌倉時代の仏師・運慶(?-1224)の作といわれ、端正な顔と、冠、向背にも繊細な透かしの彫刻が施されている。左手に蕾の蓮・未敷蓮華(みふのれんげ)を持つ。厨子内天井に龍頭が残っている。
 須弥壇左には「大明国師」、中興の祖・「英中玄賢禅師木像」、右には「徳川家位牌」、木造「東福門院坐像」(京都市指定文化財)も安置されている。
 足利尊氏(1305-1358)が所蔵したという「弘誓(ぐぜい)観音像」が厨子内に納められている。厩戸王(うまやどのおう、聖徳太子、574-622)作とも伝わり、「波乗り観音」ともいわれ小舟に乗り棹を立てている。
◆文化財 東福門院和子ゆかりの遺品がある。
 仏殿に祀られている「金銅 仏舎利塔」(京都市指定文化財)は東福門院ゆかりで、菊と葵の紋が刻まれている。
 仏殿に、東福門院没直後に造られた「木造東福門院坐像」(京都市指定文化財)も安置されている。雛人形の原型といわれ、晴れの装束を身に付け、後に描かれた「東福門院画像」に比して実像に近いとみられている。「東福門院自筆過去帳」。東福門院の遺髪もある。
◆墓 江戸時代前期、後水尾天皇第4皇女・顕子内親王(1629-1675)の墓がある。母は東福門院。内親王は女三宮とよばれた。
 境内北に、近代の久邇宮(くにのみや)家の墓がある。久邇宮は、近代、伏見宮邦家親王の第4王子・朝彦親王(1824-1891)が創立した宮家。久邇宮邦彦王の髪爪塔と、側室・泉亭靜枝子との第6王子・暢王(1877-1878)、側室・泉萬喜子(泉亭万喜子)との第4王女・飛呂子女王(ひろこ、1871-1889)、第7王女・懐子女王(1879-1880)、第7王子・一言足彦命王(ひとことたらしひこ、1881/1882)のいずれも夭逝した4子が眠る。
◆修行体験 坐禅「一空会」(毎月第2・第4日曜日8:30-14:30)。夜坐禅(毎週土曜日20:00-21:00)。8月第2日曜日は休会。
◆滞在型文化体験プログラム 2016年より、観光客向けの滞在型文化体験「いろはにほん(Experience the Soul of Japan 、非公開寺院滞在型文化体験・文化財保護プログラム)」を行う。日本財団、NPO法人京都文化協会、ハイアットリージェンシー京都が連携企画した。寺院に1泊2日で宿泊し、坐禅、読経、茶礼体験、住職との対話などを行う。当初は外国人を対象とし、将来的には日本人にも対応する。


*普段は非公開、建物内の撮影は禁止。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都の寺社505を歩く 上』『岡崎・南禅寺界隈の庭の調査』『事典 日本の名僧』



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庭園、7代・小川治兵衛の作風が見られる。

庭園

庭園、宝篋印塔

庭園、瑪瑙(めのう)の手水鉢

庭園

庭園

【参照】第109代・明正天皇(1629-1643)の御陵は境内の東にある。

【参照】境内西にあるお堂

【参照】境内北にある久邇宮家の御陵
光雲寺 〒606-8446 京都市左京区南禅寺北ノ坊町59  075-751-7949  8:30-14:30

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