十禅寺 (京都市山科区) 
Juzen-ji Temple

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「大峰山三十三度記念碑」

 十禅寺(じゅうぜんじ)のある四宮付近は、旧東海道(三条街道)近くにあり、古くより交通と軍事の要所になっていた。 
 山号は楊柳山という。かつて、観音を本尊とし、「河原観音堂」、「四ノ宮河原観音堂」とも呼ばれた。
 本山修験宗、聖護院門跡の末寺。本尊は聖観音像。
◆歴史年表 平安時代、この地には、人康(さねやす)親王(831-872)の御所があり、山階宮と呼ばれた。
 859年、厥皇后御所を寺とし、出家した人康親王を開山にしたという。当初は天台宗であり、厩戸王(うまやどのおう、聖徳太子)作という聖観音立像を本尊にしたともいう。
 室町時代、嘉吉年間(1441-1444)、焼失する。以後、8回にわたり兵火などにより焼失し、長く荒廃した。
 文明年間(1469-1486)、焼失した。
 元亀年間(1570-1573)、焼失する。
 安土・桃山時代、慶長年間(1596-1615)、焼失した。
 江戸時代、元和年間(1615-1624)、真慶法師が庵を結び再興したという。
 1655年、明暦年間(1655-1658)とも、第109代・明正天皇に霊夢があり、伽藍が整備されたという。二重の高閣を建て、「得月台」と名付けた。
 1696年、明正天皇没後、天皇は聖観世音菩薩を信仰したため、その遺言により天皇と父母の位牌が安置された。以来、勅願所として36石と宝物が下賜されたという。
◆人康親王 平安時代前期の人康親王(さねやす/ひとやす しんのう、831-872)。第54代・仁明天皇の第4皇子、848年、四品、上総、常陸国の太守、弾正台の長官を歴任した。859年、高熱により両目を失明し、宮中より追われ山科御所を営み隠棲し、出家、法性と号した。
 親王は『伊勢物語」78段に、「山科の禅師親王」として登場する。親王は唐から伝えられた琵琶を習い、その名手とされる。鎌倉時代、室町時代の琵琶法師には、始祖「雨夜尊」、「天夜尊」と崇められた。
 周辺に親王ゆかりの地がある。当寺に廟、四宮地蔵の脇に室町時代の供養塔、諸羽神社境内は親王の山荘跡という。
◆真慶法師 江戸時代の僧・真慶法師(生没年不詳)。郷士の富田某。出家し真慶と号した。元和年間(1615-1624)、十禅寺を再興した。
◆明正天皇 江戸時代前期の第109代・明正天皇(めいしょう てんのう、1624/1623-1696)。幼称は女一宮。諱(いみな)は興子(おきこ)。第108代・後水尾天皇の第2皇女。母は徳川秀忠の娘・和子(東福門院)。1629年、紫衣(しえ)事件、春日局の天皇拝謁事件に抗議し、父・後水尾天皇が突然譲位し、8歳で即位した。以後、父は院政をおこなう。第48代・称徳天皇以来の900年ぶりの女帝になる。奈良時代の女帝・元明(げんめい)・元正(げんしょう)天皇より1字をとり諡(おくりな)とされた。1643年、21歳で異母弟・紹仁親王(第110代・後光明天皇)に譲位した。以後、徳川幕府より毎年五千石の貢米が献上された。
 墓所は月輪陵(東山区)にある。
◆本尊 本尊の聖観音像は、飛鳥時代の厩戸王(うまやどのおう、聖徳太子、574-622)作とされる。
◆四ノ宮 中世において付近(諸羽神社付近)は、四ノ宮河原(袖河原)と呼ばれていた。四ノ宮川が流れ、河原も広がっていた。平安時代末期より河原には市が立つ。江戸時代にはすでに河原は消滅している。また、この付近に大きな泉があり、現在の泉水町の地名になったという。
 四ノ宮の地名は、仁明天皇第4皇子・人康親王がこの地に山荘を営んだことに因む。親王が第四の宮であったことに由来するという。山荘の名残りとして、周辺に「堂後町」「垣の内町」「南河原町」が残る。
 琵琶の名手といわれた盲目の蝉丸もまた、延喜帝(第60代・醍醐天皇)の四宮とされ、地名の由来になったともいう。逢坂の関に伝承がある。また、近くの諸羽神社が宇治郡山科郷四ノ宮にあったためともいう。
 この付近は、街道の要衝地であり、南北朝時代には関所(率分所)が設けられ、関銭が徴収されていた。
 四ノ宮の街道を、平安時代、1184年、木曽義仲が7騎で京都を逃れる際に通った。南北朝時代、1333年、北朝初代・光厳天皇は六波羅陥落後に街道を通って京都を脱出する。1335年、新田義貞は、足利尊氏追討の宣旨を受け、四ノ宮を経て鎌倉へ向かった。
◆『伊勢物語』 『伊勢物語』第78段には、人康親王について記されている。
 平安時代、第55代・文徳天皇女御・藤原多賀幾子(ふじわら の たかきこ、~850-858)が亡くなる。七七日(四十九日)の仏事が安祥寺で行われた。藤原常行(836-875)は寺への参詣の帰りに、「山科の禅師の親王」の山科の宮を訪れる。この時、常行は親王が庭園を好んだことから趣深い石を献上した。石はかつて紀伊国千里の浜にあり、父・良相の屋敷(西京三条)にあったものという。庭園には滝を落とし、水を流していたという。
 この「山科の禅師の親王」とは、第51代・平城天皇皇子・高丘親王(799-865?)ともいう。
◆文化財 所蔵の「平家琵琶」は日本最古といわれ、頸に柱が4つしかない。これは、雅楽琵琶といわれる四弦四柱のものという。正倉院の琵琶に見られる雅楽琵琶の典型であり、渡来の曲頸琵琶を意味している。また、インド起源は五弦の直頸琵琶、ペルシャ起源は曲頸琵琶になる。
 宮中に代々伝わり、人形の原型とされる「天児(あまがつ)」がある。竹の棒を縦に二本、横に一本を十字に重ねる。これに白絹の頭を付け、簡単な衣裳を着せた。幼児の枕辺に置かれ、「上巳(じょうし)の節句」に使用された。幼子の病いや穢れを人形に移し、子の災厄、無事を祈る意味があった。
 縫い包みの原型という愛玩用の「這子(ほうこ)」には中に芯がなく、白絹に綿を詰めて作った。幼児が這うような形になっている。これも上巳の祓に贈られ、幼児の枕辺に置かれた。祓の後に神聖なものとして翌年にも用いられ、やがて幼子が3歳になるまで身に添えた。
 ほかに、「天皇の宸翰(しんかん)」、庭石の「短冊石」などがある。
◆十禅師社 かつて、十禅寺の東に、十禅師社が祀られていたという。坂本の日吉社より十禅師社を勧請したという。(『山州名跡志』『都芸泥赴』)。性仏という『平家物語』の語り手が、日吉社に参籠し、十宮神を崇敬したためという。(『当道要集』)
  境内東北隅に、開山・人康親王の廟「宮内庁 人康親王御墓」がある。十禅寺関係者の墓ともいう。また、近くの四宮地蔵の脇に供養塔がある。
◆年間行事 護摩法要(本山による天下泰平・家内安全・所願成就。)(11月3日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『洛東探訪』『京都の歴史玄関 やましな盆地』『京都大事典』『京都府の歴史散歩 中』『京都の地名検証』『四ノ宮琵琶 縁奏会』


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【参照】人康親王御墓

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 十禅寺 〒607-8044 京都市山科区四ノ宮泉水町17    075-581-5850 
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