高野川
Takano-gawa River
高野川  高野川
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蓼倉橋から北の眺望、奥は「法」の東山
「高野川 河原のかなた 松が枝に かはせみ下りぬ 知る人の家」 與謝野晶子


高野橋から北東方向、比叡山


比叡山、八瀬


高野川源流域

 鴨川の支流一つである高野川は、淀川水系の一級河川で、全長19.1kmある。川は、若狭街道(朽木街道、鯖街道)に沿い、大原、八瀬、上高野、山端を流れ、下鴨の糺の森で鴨川に合流している。 
◆源流 源流は、京都市左京区と滋賀県大津市の境にある途中峠の南西にある。さらに、焼杉山の北・古知谷阿弥陀寺の北を流れる谷川、天ヶ岳北東から流れる高谷川、三千院の東・小野山を源とする呂川、焼杉山の南を源とし、寂光院の脇を流れる草生川、さらに宮川、大長瀬川などいくつかの支流の流れを集め、南西方向に流れ下っている。さらに、上高野の花園橋下流で岩倉川と合流、松ヶ崎橋の上流で音羽川と合流し、出町柳の賀茂大橋上流で鴨川と合流している。
◆高野の由来、歴史 高野川の高野は、平安京遷都の際の、「御狩野」の「鷹野」に由来している。また、近くにいまも氷室山(上高野)の名があるとおり、この山にはかつて氷室があったともいわれている。小野官瓦窯跡もあり、高野は平安京とのかかわりが深い。
 高野川は、大原の里では大原川、八瀬では八瀬川、また埴川(「日本後記」、840)とも呼ばれた。埴川の「埴」とは、焼き物の材料となる粘土(赤土、はに)を産したことによる。
 ちなみに、高野川河畔に建立されている崇道(すどう、崇導)神社に祀られている高野新笠(桓武天皇の母)は、百済武寧王の系譜をひき、後に高野朝臣となったことから高野姓となった。この高野氏と高野、高野川との関連については不明。
 「雍州府志」(1684)には、高野村が高野川の名前の由来だという。
 高野川は、水深が浅く、流れは清涼で、平安時代には上高野、松ヶ崎でも禊が行われていた。かつては禁河とされ、アユは天皇に供されていた。
 かつて高野川沿いでも友禅業が盛んで、戦後も、反物の友禅流しも行なわれていた。
 「昭和10年鴨川大洪水」(1935)では、高野川沿いでも被害が出ている。その後の改修工事において、急曲部の緩和、護岸工事、幅員拡大などが行われている。
◆水争い 江戸時代、高野川、音羽谷川、大田川から、周囲の村々に水が引かれていた。高野川沿いの大原から八瀬にかけては、40ヵ所の井堰があった。
 そのなかで、太田井堰は、周辺の高野、修学院、一乗寺、田中の村と、下流の松ヶ崎、下鴨の6村の水田の灌漑に利用されていた。そのため、上流の組合井堰をめぐって、下流の村との間で、分水量、分水方法をめぐる長期の争いが絶えなかった。
 旱魃の際に農民は、田畑が「亡所」となることを恐れた。このため、京都町奉行所への訴訟も度々で、時には太田井堰、松ヶ崎井出ヶ鼻井堰の破壊も行われた。また、井堰の維持管理のための普請も、農家にとっては負担が大きな作業だった。300年にもわたる水争いは、明治期になって終焉している。
◆名石 名石として知られ、庭石として重宝された「加茂の七石」のひとつとして、高野川で産した「八瀬真黒石」がある。
◆自然 近年、5月下旬から6月中旬にかけ、河合橋の泉川流入口付近、さらに上流部でも、わずかながらゲンジボタルの飛翔が確認されている。
 国の特別天然記念物、オオサンショウウオが棲むともいう。


  前川      賀茂波爾神社     御蔭神社      崇道神社       
 
主な支流  高谷川、 呂川、(律川)、草生川、大長瀬川、宮川、岩倉川、音羽川
分流  泉川

河合橋より北方向、桜と菜の花、桜の名所のひとつ

高野川上流の紅葉

賀茂川と合流する三角州地点の、高野川にかかる河合橋
ゲンジボタル、高野川下流域某所。周辺で6匹確認(2008.7初旬)
 高野川
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