清涼院・大亀谷 (京都市伏見区)
Seiryo-in Temple
清涼院 清涼院 
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「清涼院」の石碑


庫裏


庫裏「清凉(涼)菴」の扁額




本堂



本堂、扁額「至心山」
 深草大亀谷五郎太町に尼寺の清涼院(せいりょういん/しょうりょういん)がある。清凉庵、福寿庵(ふくじゅあん)ともいう。地名の大亀谷はお亀の方、五郎太町は、徳川御三家尾張藩初代藩主・徳川義直の幼名に由来している。山号は至心山という。 
 浄土宗知恩院派。本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代末期、この地に保安寺が建立されたという。
 安土・桃山時代、伏見城の御花畑山荘があったという。
 1594年、徳川家康の側室に入ったお亀の方は、以後、家康により御花畑山荘の北に御殿(草庵とも)を与えられ、当院の前身となる。
 1600年、お亀の方はこの地で徳川義直(尾張徳川家の始祖)を産み、少年期の義直が住んだともいう。その後、家康はお亀の方のために一宇、清涼庵を創始したという。
 江戸時代、1624年、お亀の方の没後、庵は知り合いの八幡・正法寺(しょうほうじ)の僧・道雲至心に払い下げられた。道雲は庵を「福寿庵」と改めて住した。
 1662年、黄檗山萬福寺の僧・清涼観了が隠居する。以後、黄檗僧の隠居所になる。「清涼庵」に改められる。
 1778年、浄土宗の尼寺に改められる。
 近代、1868年、知恩院末寺になる。
◆お亀の方 安土・桃山時代-江戸時代の女性・お亀の方(おかめ の かた、1573-1642)。亀。石清水八幡宮の祀官家・田中氏の分家、京都正法寺・志水宗清の娘。武将・竹腰正時に嫁ぎ、正信を産む。正時没後、奥勤めに入る。石川光元の側室。1594年、徳川家康に見初められ側室になる。1595年、仙千代、1600年、家康の第9子・五郎太(尾張徳川初代藩主・徳川義直)を産む。1616年、家康没後、相応院と称し、義直居城・名古屋城で暮らした。
◆徳川義直 江戸時代初期の大名・徳川義直(とくがわ よしなお、1601-1650)。幼名は五郎太丸(千々代丸)。父は徳川家康、母は家康側室・相応院(亀)の九男。大坂城西の丸、また伏見城(現在の清涼院)で生まれたともいう。1603年、甲府藩主になるが駿府に在城した。1606年、元服、1607年、死去した兄・松平忠吉を継ぎ尾張国清洲藩主。1616年、尾張へ入国。1614年、大坂冬の陣で天王寺付近に布陣、1615年、大坂夏の陣の天王寺・岡山の戦いで後詰として関わる。1621年、義直改名。
 灌漑用水整備、新田開発、検地などを行う。儒教を奨励、孔子堂の建立、尾張東照宮の建築をした。藤原惺窩を信奉し、歴史書『類聚日本紀』を著す。蓬左文庫を創設。新陰流4世。尾張徳川家の始祖。
◆仏像 本堂に本尊の「阿弥陀如来坐像」を安置する。
 徳川家康の九男、青年期の「五郎太丸(徳川義直)像」は、江戸時代、1645年に造像されている。「お亀の方画像」を安置する。
 観音堂に、お亀の方の念持仏「福寿観音」を安置する。大和・長谷寺の本尊の摸刻という。
◆大亀谷 地名の大亀谷(おおかめだに)について、古くは「狼谷(おほかめだに)」であり、その転訛という。秦氏と狼にまつわる伝承がある。(『日本書紀』)
 また、美しい女・於亀(おかめ)が営む「於亀茶屋」に因むともいう。(『山州名跡志』『都名所図会』)
 徳川家康の側室・お亀の方に因み、大亀谷と呼ばれたともいう。お亀の方が、清涼院(庵)に祈願し、無事に尾張徳川の祖・義直(五郎太)を産んだ。さらに、幼名に因んで五郎太町の地名も生まれたという。
 当初は、「狼谷」とされ、後に縁起のいい「大亀谷」に変わったともいう。
◆樹木 境内にサルスベリが植えられている。樹高7m、花頃は8月中になる。2004年に「京都市指定保存樹」に指定された。
 かつて本堂前に、豊臣秀吉お手植えという大きなヒイラギがあったという。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』『京都大事典』『京都隠れた史跡100選』『新版 京・伏見 歴史の旅』『伏見学ことはじめ』『昭和京都名所図会 6 洛南』』『京都の地名検証』


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 清涼院 〒612-0852 京都市伏見区深草大亀谷五郎太町31   
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