西岸寺(油掛地蔵) (京都市伏見区下油掛町)
Seigan-ji Temple

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「芭蕉翁来訪の折に詠じし句碑」の石標


本堂



本堂、扁額「油懸山」



地蔵堂



地蔵堂
 下油掛町に西岸寺(せいがんじ)はある。油掛(油懸)地蔵(あぶらかけじぞう)で知られている。山号も油懸山(あぶらかけざん)という。正式には地蔵院西岸寺と号する。 
 知恩院末の浄土宗、本尊は阿弥陀仏。
 油掛(油懸)地蔵尊は、商売繁盛、願望成就、家内安全の信仰がある。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 鎌倉時代、1317年、第92代・伏見天皇(1265-1317)が船戸庄に行在の際に、地蔵院を建立し安置したともいう。(『拾遺都名所図会』)。伏見天皇は、地蔵尊の信仰篤く、1290年に霊験があった。そのため、伏見院の別御殿(現在地)を下賜し、里三栖(伏見区下三栖)より地蔵尊を遷して堂宇を建立し、安置したことに始まるともいう。また、同年、伏見上皇の皇子・第95代・花園天皇が、舟戸御所の別御殿を当寺に下賜したともいう。
 安土・桃山時代、1590年、雲海により創建された。浄土宗とし、寺号を上人の「西蓮社岸誉」に因み西岸寺としたという。平安時代の空海(774-835)作という地蔵尊を安置し、油掛地蔵と呼ばれたという。(『京都府地誌』『拾遺都名所図会』)。当時は広大な境内を有していたという。
 江戸時代、 1685年、芭蕉は3世・任口(にんく、宝誉)を当寺に再訪した。
 1711年、西岸寺、油掛地蔵について記されている。(『山州名跡志』)
 1728年、油掛町について記され、上、中、下があり、南組本町一六町に属していた。(『伏見大概記』)
 1787年、油掛地蔵について記されている。(『拾遺都名所図会』)
 近代、1868年、鳥羽・伏見の戦いで類焼した。地蔵堂だけは残された。
 1894年、地蔵堂が再建された。
 現代、1978年、現在の地蔵堂が再建される。
 2008年、現在の本堂が再建された。
◆雲海 安土・桃山時代-江戸時代の浄土宗の僧・雲海(うんかい、1527-1640)。西蓮社岸誉上人順阿慈航雲海。相州小田原生まれ。俗姓は都筑。永禄年間(1558-1570)、山城に移り布教する。熊野神社を崇敬した。1590年、伏見・西岸寺の開山。1596年、伏見・西運寺を創建した。1614年、石像寺を中興し、石像寺で亡くなる。114歳。
 熊野権現の化身とする名号、南無阿弥陀仏を書き人々の帰依を受けた。
◆任口 江戸時代の浄土宗の僧・任口(にんく/にんこう、1605?-1686)。西岸寺3世。西山宗因に連歌、維舟に俳諧を学ぶ。重頼門下、俳号は宝誉。談林派の長老となる。
◆仏像 本尊の「阿弥陀如来像」は平安時代後期の仏師・定朝(?-1057)作という。
◆油掛地蔵 地蔵堂には、厚い油(2cmとも)により黒光りする「油掛地蔵」が安置されている。右手に大きい錫状、胸前に左手に載せた宝珠がある。花崗岩に立像を厚肉彫りしている。鎌倉時代作ともいう。像高1.27m、高さ1.7m、厚さ80cm。
 作者は不明という。平安時代の空海(774-835)が自刻したともいう。(『京都府地誌』)。鎌倉時代、第92代・伏見天皇(1265-1317)が船戸庄に行在の際に、地蔵院を建立し地蔵尊を安置したともいう。(『拾遺都名所図会』)
 逸話が残る。かつて山崎(乙訓郡)の油商人が、三十石船に乗り伏見の港に着いた。油桶を天秤棒で荷負い、当寺の門前に差し掛かると転んで油を流してしまう。途方にくれて荷桶を見ると、油の残りはわずかしかない。当時の油は貴重なものだった。商人に幸いにも怪我もなかったことから、残った油を地蔵尊に注ぎ残執なく帰った。その後、商いは日々栄えるようになり、ついに大長者になったという。
 以後、この地蔵尊に油をかけ祈願すると所願成就するといわれた。「油掛地蔵」と呼ばれて人々の信仰を集めた。また、付近の町名の由来になったという。(『拾遺都名所図会』) 
◆俳句・芭蕉 江戸時代初期の俳人・伊勢村意朔(生没年不詳)は、「本尊に油掛けたかほととぎす」と詠んだ。初見という。寛永-延宝年間(1624-1681)に活躍した。
  江戸時代、1685年3月上旬、俳諧師・松尾芭蕉(1644-1694)は、3世・任口(にんく)を再訪している。再会の喜びを詠じた俳句がある。前詞「伏見西岸寺、任口上人に逢うて」、「我衣(わがきぬ)にふしみの桃のしづく(雫)せよ」芭蕉。
 「伏見の桃の花よ。その美しい花の露を滴らし、私の着物を染めてほしい。」。当時の住職は80歳であり、俳人でもあった。伏見桃山が桃の名産地だったことから、盛りの桃の花を任口の高徳にたとえ、その徳に浴したいとした挨拶の句になる。任口は「新年の御慶とは申けり八十年」と返句したという。
 自然石に刻まれた句碑「野ざらし紀行碑」が立つ。江戸時代、1805年による。
◆文学 文人などが寺を訪れている。
 江戸時代の浮世草子作者・俳人・井原西鶴(いはら さいかく、1642-1693)、俳諧師・宝井其角(たからい きかく、1661-1707)、歌人・俳人・北村季吟(きたむら きぎん、1625-1705)、江戸時代の俳人・伊勢村意朔(いせむら いさく、生没年不詳)などになる。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』『新版 京のお地蔵さん』『京の寺 不思議見聞録』『京都の地名検証 3』、当寺縁起、『伏見油懸地蔵』、パンフレット「松風山西運寺」



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油掛地蔵

油商人の図の絵馬

供されているサラダ油各種

芭翁塚の句碑

【参照】「下油掛町」の町名が残っている。
 西岸寺 〒612-8364 京都市伏見区下油掛町898   075-601-2955
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