宝樹寺 (京都市東山区)
Hoju-ji Temple

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 鴨川の東岸近くに、宝樹寺(ほうじゅじ、寶樹寺)がある。古地図には宝樹院とも記されていた。かつて一之橋(一ノ橋)といわれる橋の西に在り、橋詰寺と呼ばれていたという。山号は清涼山という。 
 浄土宗西山禅林寺派、本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 かつて、この地の北辺に一之橋(一ノ橋)と呼ばれる橋が架けられ、当寺は法性寺の橋詰堂と呼ばれたという。
 江戸時代、1706年、聖誉円阿(聖空とも)により中興されたという。(『坊目誌』)。寺号を寶樹寺と改める。
 1762年、唐橋寺、橋詰寺と記されており、当寺のこととみられている。(『京町鑑』)
◆聖誉円阿 江戸時代の僧・聖誉円阿(生没年不詳)。詳細不明。1706年、宝樹寺を中興したという。
◆常盤御前 平安時代末期の女性・常盤御前(ときわ ごぜん、1137-?)。詳細は不明。美しい人であったという。近衛天皇皇后・九条院藤原呈子(ていし)の雑仕女となる。16歳で源義朝の側室となり、今若、乙若、牛若(義経)らを生む。1159年、平治の乱で義朝が敗れ謀殺された。1160年、常盤御前は3人の子とともに平清盛の追手から逃れ大和に匿われた。京都に残した母を平氏に人質としてとられ、六波羅へ子連れで自首した。清盛に見初められ、子らの命を救うために妾となる。子と別れ、一女・廓御方(左大臣藤原兼雅女房)を生む。後に、清盛の世話により大蔵卿・藤原長成に嫁ぎ、能成ら数人を産んだという。晩年は一人で生まれた常盤に暮らしたという。
◆仏像 本堂に、本尊の「阿弥陀如来立像」を安置している。
 薬師如来坐像が安置されている。かつて境内の西に宗門寺、勝円寺、薬師堂があった。薬師堂には薬師仏が安置されていた。その後、宝樹寺に遷されたという。(『京都洛中洛外図絵』)。薬師如来坐像は、「子そだて常盤薬師」と呼ばれている。常盤御前が子の今若、乙若、牛若の成長を祈願したことから名付けられたという。  
◆松 境内には、かつて「常盤御前雪除(避)けの松」と呼ばれる松があった。いまは株が残されている。
 平安時代、1156年の保元の乱で、論功行賞に不満を持った源義朝は、中納言・藤原信頼とともに平清盛に反攻する。清盛は応戦し、信頼は六条河原で斬首され、義朝は逃れた尾張で討たれた。この、1160年の平治の乱後、清盛は源氏一族の残党狩りを行う。都落ちした常盤御前は、義朝との間に生まれた今若、乙若、牛若ら3人の幼子を連れ、大和街道 を南下した。大和の叔父を頼ったものの日暮れになり、大雪に行く手を遮られた。この時、老松の下で一時、雪を凌いだという。
◆一之橋川 境内北東近くに一之橋川が流れていた。川は今熊野、阿弥陀ヶ峰、泉涌寺山に源流があり、泉涌寺北より、菅谷、伏見街道の一之橋に流れ下っていた。


*非公開
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京を彩った女たち』『京都の地名検証 3』


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松の木

「伏水街道一之橋(一ノ橋)旧跡」の石標
 宝樹寺 〒602-8453 京都市東山区本町11丁目201   075-551-0916 
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