勝手神社 (京都市左京区)
Katte-jinja Shrine
勝手神社  勝手神社
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参道、おそらく穴太積の石垣


参道
 大原・三千院の東に隣接し、山の際に小社の勝手神社(かって じんじゃ)がある。 
 祭神は勝手明神(かってみょうじん)を祀る。三千院、来迎院、勝林院など魚山(ぎょざん)の守護神として崇敬された。
◆歴史年表 平安時代、1125年、声明道の守護神として大和多武峰(とうのみね)より、融通念仏の創始・良忍が勧請したという。年代不詳、来迎院坊の開祖が勧請したともいう。勝手明神に声明を献じたことが機縁になり勧請したという。
 江戸時代、1682年、黒川道祐が『北肉魚山行記』中に記している。
◆良忍 平安時代の融通念仏宗開祖・良忍(りょうにん、1073-1132)。聖応大師。尾張国に生まれた。1083年、比叡山に入る。比叡山の東塔檀那院実報房辺に住した。堂僧となり、良賀に師事、出家。禅仁・観勢から円頓戒脈を相承する。山門派(延暦寺)と寺門派(三井寺・園城寺)との対立を嫌い、山を下りる。1094年、大原に隠棲し、大原・勝林院の永縁らに従い、声明梵唄を学ぶ。その後、常行三昧堂から念仏と読経(声明)を切り離して独立させ、天台声明を統一し大原声明を完成させた。1117年、融通念仏を創始した。1127年、鳥羽上皇(第74代)の勅願により、河内平野に修楽寺の別院(大念仏寺前身、日本初の念仏道場)を開いた。最期は来迎院で没したという。天台大原魚山声明中興の祖。
 融通念仏は阿弥陀仏の夢告により、「一人の念仏が万人の念仏に通じる」とした。念仏唱える者は自分だけではなく万人のためにも唱え、万人が一人のためにに唱えることで念仏の功徳が高まると説いた。
◆起源伝承 黒川道祐の『北肉魚山行記』の当社の勧請伝承によると、来迎院南坊開祖が吉野山に参詣した際に、勝手神社の祭礼(3月11日)を見た。
 神輿が動かなくなり皆が不審に思う。小童子の明神が神輿に乗り移っていた。南坊は神幸あるまじきことの託宣として声明を唱えた。神輿は無事に進むことができた。
 南坊は帰山し、すぐに勧請し声明の鎮守社としたという。
◆年間行事 祭礼(5月23日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『旧版 古寺巡礼 京都 14 三千院』『日本の名僧』『京都大事典』『京都府の歴史散歩 中』


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参道の途中、律川に架かる橋、2008年架橋。

律川

本殿

本殿

本殿、一間社流造

この地域一帯の米寿(88歳)の奉納、枡と杵

枡と杵

鎮守社、稲荷社?

収蔵庫

手水の水盤
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