與杼(よど)神社 (京都市伏見区) 
Yodo-jinja Shrine
與杼神社 與杼神社 
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イチョウ









 淀城跡公園内にある與杼神社(よど じんじゃ)は、与杼神社とも記される。また、淀姫(よどひめ)社、淀姫大明神、旧社地に因み水垂(みずたれ)社、大荒木(おおあらき)神社ともいわれた。
 境内は4437㎡あり、淀城跡公園と共に風致地区に指定されている。周辺の淀、納所(のうしょ)、水垂、大下津(おおしもず)の産土神として祀られてきた。
 祭神は、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、高皇産霊神(たかみむすひのかみ)、速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)の三柱。
◆歴史年表 平安時代、文献初例として與杼神社の名は、延喜式『山城国乙訓郡』第9巻(901-)中に小社としてある。
 また、応和年間(961-963)、僧の千観内供が肥前国佐賀郡河上村鎮座の與止日女(よどひめ)神社(河上神とも)より、淀大明神(河上淀大明神)として勧請したことに始まるという。かつては、乙訓郡水垂村、歌枕にある大荒木の森(大荒木野、西鴨浮田森、現在の宮前橋下流の桂川右岸付近、橋の中央付近とも)に祀られていたという。桂川の水上運輸の守護神とされたという。
 江戸時代、1649年頃、1607年とも、旧本殿、現在の拝殿が建立されたとみられている。
 近代、1901年、桂川河川敷の拡幅工事に伴い、現在の淀城跡へ移転工事が始まる。旧神宮寺・大徳寺は水垂町に残る。 
 1902年、現在地に遷された。
 現代、1971年、本殿(木造狛犬一対)、拝殿が国の重要文化財に指定された。
 1975年、本殿は失火(花火)により全焼した。以後、1979年まで伊勢神宮より由貴御倉が移され、本殿敷地内に仮本殿として安置されていた。
 1980年、本殿が再建される。
 2000年、社務所が新築される。
 2007年、神輿庫が新造された。桂川河川工事に伴い、旧神宮寺・大徳寺は、伏見区淀垂水町より現在地(山科区)に移転した。
◆千観内供
 平安時代中期の天台宗僧・千観内供(918-984、せんかん ないぐ)は、橘公頼の子・相模守敏貞を父とする。内供とは、皇居に参内をゆるされた僧位をいう。民衆からは念仏上人と尊称された。
 12歳頃、比叡山に上がり、運昭に就いた。園城寺に入り出家、受戒。行誉(運昭とも)に師事して天台教学を学んだ。禁裏の内供奉十禅師を務めるが、空也の影響を受け浄土教となり宮中を去る。阿弥陀和讃をつくった。962年、摂津国箕面山に隠遁する。963年、勅命により祈雨を祈願したという。応和宗論の論者として選ばれたが辞退し、摂津国金龍寺(安満寺)を再興し住した。970年、行誉から三部大法を伝授されている。
◆建築 本殿、拝殿、4末社、神輿舎などがある。
 「旧本殿」(重文)は江戸時代、1607年に豊臣秀頼により再興されたという。(狛犬胎内の墨書)。また、江戸時代、1649年の建立ともいう。1971年、本殿と本殿内の「木造狛犬一対」は国の重要文化財に指定された。1975年、本殿は焼失したため重文は指定解除になる。旧本殿には桃山様式の特徴がみられた。下屋柱の間に虹梁、中備に透彫の蟇股、身舎とは海老虹梁で繋いだ。庇、身舎の組物に一手先の出組、向拝、斗栱(ときょう)間の蟇股に花鳥動物、向拝見返しに牡丹彫刻の大手挟、側面縁先脇障子に桐、鳳凰の彫刻が飾られていた。妻飾に蕪懸魚、二重虹梁大瓶束、中備に透彫の蟇股。浜床より5段木階があり、三方に縁高欄付。中央3間に扉、脇間に建具を入れなかった。5間社流造、檜皮葺。
 現在の「本殿」は、1980年に再建されている。三間社流造、銅板葺、床面積46㎡。
 「拝殿」(重文)は、旧本殿と同じく江戸時代、1607年の建立とみられている。最下部の地覆石の上に地長押を廻した床板。吹き放しの床は板張り。軸部柱は総面取角柱。格天井。妻飾に蕪懸魚、細かい狐格子。正面・背面に虹梁、頭貫木鼻、雲肘木の絵様も旧本殿と類似した。虹梁中央に大斗、絵様肘木で桁を支える。軒は地棰、飛檐棰ともに角二軒疎棰。正方形の桁行2間(柱間1間、両側面は6尺5寸ずつの2間)、梁行2間(同上)。一重、入母屋造、妻入形式、杮(こけら)葺、13尺四方(15.51㎡)。
 「神輿舎」は、旧割拝殿を転用している。江戸時代、「天明二年(1782年)」の瓦銘がある。
◆文化財 本殿内の「木造狛犬一対」(重文)は、1975年、本殿とともに焼失している。
◆高灯籠 江戸時代、大坂淀屋寄進の高灯籠がある。淀屋ゆかりの片岡正英・政冬が、1759年に灯籠を寄進したものという。
 江戸時代初期、大坂淀屋の初代・岡本与三郎(淀屋常安)は、淀の岡本荘に生まれたとも、淀に家、田地も所有していたともいう。一時は、幕府を凌ぐほどの財をなした。だが、1705年、闕所(けっしょ)になり、財産没収、所払いになった。闕所とは、死刑と追放刑に処せられた者を対象とし、その付加刑として連帯責任を負わされ、財産、屋敷、家財などを公収された。淀屋はその後、1763年、元の店舖があった淀屋橋南詰一帯に、木綿問屋「淀屋清兵衛」の再興を果たしている。
◆榎本氏 かつての鎮座地は乙訓郡榎本郷ともいう。社には豪族・榎本氏の祖神が祀られていたともいう。
 榎本氏は古代(飛鳥時代-平安時代)の氏のひとつである伴氏(大伴氏)と同族とされ、榎本氏はその分家とされる。
◆神輿渡御
 江戸時代、淀祭りの神輿渡御は神輿3基で行われ、21日に大下津御旅所より出輿し、23日に新町旅所、納所、水垂村を経て還輿していた。
 近代の淀城跡への移転後も、御旅所(水垂の旧神社跡)への3基の渡御が行われていた。当時は桂川での船渡御(船渡し)だった。巡行の際に神輿の順序が逆になる場合があり、「あとが先になる淀祭り」といわれた。
 太平洋戦争中、渡御は中断される。戦後に一旦復活したが、船渡しではなく宮前橋を担いで渡っていた。1958年、引き手の事故により渡御は中断する。2002年に復興され、2006年に2基目の神輿修理が行われた。2008年からは3基の神輿が復活している。
◆年間行事  1月1日 元旦祭(1月1日)、節分祭(2月3日)、初午祭(3月初午)、秋季大祭・神輿渡御(10月30日-11月3日)。 


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『寺社建築の鑑賞基礎知識』『伏見の歴史と文化』


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本殿

本殿

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豊丸社

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川上社

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江戸時代、大坂淀屋寄進の高灯籠
map 與杼神社 〒613-0903 京都市伏見区淀本町167   075-631-2061
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