和伎神社 (湧出宮) (木津川市)
Waki-jinja Shrine
和伎神社  和伎神社
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四脚門




本殿




石灯籠

 木津川の東、JR奈良線棚倉駅の東に和伎神社(わき じんじゃ)がある。中世以来続く奇祭・居籠(いごもり)祭でも知られている。 
 涌出宮(わきでのみや)とも呼ばれている。正式には、和伎座天乃夫岐売(わきにいますあめのふきめ)神社という。山城国祈雨神11社のひとつとして崇敬を集めてきた。平尾地区の氏神であり、綺田、平尾地区に氏子地区はある。
 祭神は、三女神の天乃夫岐売命(あめのふきめのみこと)、田凝姫命(たごりひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、端津姫命(たぎつひめのみこと)。
歴史年表 創建、変遷の詳細不明。
 奈良時代、766年、5月(旧暦、天夫貴売尊の神託により、伊勢国渡会(わたらい)郡五十鈴川の舟ケ原岩部里から、天乃夫岐売神を勧請したのが起こりともいう。後に伊勢より、田凝姫命、市杵島姫、瑞津姫命を勧請した。(「和伎座天乃夫伎賣大明神源縁録」)
 平安時代、859年、従正五位下より従正五位上下に神階が進む。山城国祈雨神11のひとつとして崇敬を集めた。第56代・清和天皇が降雨を祈念する使いを遣わした一社に選ばれる。当初は綺田の北「はつわらじ」にあった。
 889年、宇多天皇は奉幣使を立て、雨乞い祈願をされえたところ、霊験により降雨があったという。
 925年、『延喜式神名帳』に和伎坐天乃夫支売(わきにいますあめのふきめ)神社、祈雨神祭八十五座並大のひとつとして和伎(わき)社の名がある。
 1180年、また、治承・寿永の乱(1180-1185、源平内乱)により焼失したという。その後、現在地に遷されたともみられている。
 鎌倉時代、初代鎌倉幕府将軍・源頼朝(1147-1199)が再建したという。
 1265年、脇社との名がある。(「興福寺公文所下文案」)。
 1273年頃、脇森宿の名があり、奈良街道沿いに祀られていたという。(「金発揮抄第一裏文書」)
 南北朝時代、1335年、南北朝内乱(1321-1392)の兵火により焼かれたという。その後、現在地に遷されたともいう。
 室町時代、1396年、また、北朝第6代、第100代・後小松天皇の時(在位1382-1412)に再建される。
 1441年、すでに古川荘平尾岡上に祀られていた。(「興福寺官務牒疏」)
 第104代・後柏原天皇の時(在位1500-1526)、再建された。
 江戸時代、1692年、現在の本殿が建てられる。
 近代、1873年、延喜式内となる。
 1883年、郷社となる。
 現代、1969年より境内での発掘調査が行われ、湧出宮遺跡といわれている。
 1975年、本殿が檜皮葺から銅板葺となる。
 1991年、神楽殿・社務所が改築新装となる。
◆武埴安彦命 弥生時代の皇族・武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと、生没年不詳)。第8代・孝元天皇皇子。B.C.88年、崇神天皇(B.C.148-B.C.29)は安彦に山背を任せた。安彦は天皇への謀反を起こし、自らの軍は山背に、妻・吾田媛の軍は大坂から大和を攻めた。だが、倭迹迹日百襲媛命の進言により、大坂へ四道将軍の吉備津彦命、 山背へは四道将軍の大彦命と彦国葺命の軍が派遣された。彦国葺の矢により武埴安彦は射られ、反乱は鎮圧されたという。
◆涌出宮・涌き出森の伝承 境内には鎮守の森がある。奈良時代、766年、旧地に天乃夫岐売命を勧請した際に、祭神は飛来し一夜で森が生まれたという。4町8反(47 603.3㎡)が神域になったことから、人々は畏れ、その神徳を称え「涌(わ)き出森、涌出宮と呼称したという。
 涌出宮の境内は、天井川の不動川の下流にあり、奈良街道、伊賀街道の分岐点に位置していた。和伎座(わきにいます)も、分岐の別道(わきみち)を意味したという。また、川の出水が多かったことから、涌水の多い地の意味もあったという。
◆宮座 氏神の社の祭祀に関わる組織、宮座と執り行われる宮座行事が伝えられている。1985年、国の重要無形民俗文化財に指定された。当社の宮座行事は、近畿地方でも氏神祭祀の古い儀礼の形を残した典型例といわれている。
 中世(鎌倉時代-室町時代)には、惣による宮座が名主、百姓により運営された。近世(安土・桃山時代-江戸時代)に入ると、氏子制に変遷する。秋祭は、氏子地区の平尾、綺田のそれぞれが行った。居籠神事は二地区合同により宮座が執り行っていた。
 現在は8座がある。与力(よりき)座、古川座、歩射(びしゃ)座、尾崎座、大座(おおざ)、殿屋座(とのやざ)、岡之座、中村座の8つと、それに女座(おなござ)がある。
◆居籠祭 宮座により執り行われる宮座行事、祈年祭の居籠(いごもり、斎籠、齋居)祭がある。古代より、慈雨の神として農耕民に崇拝され、古代神事が行われてきた。さらに、室町時代の農耕儀礼、豊作祈願、春を呼び幸せを招く除厄招福所願成就の祭りでもある。
 祭りの起源は、B.C.88年、崇神天皇に謀反を起こした武埴安彦命によるという。安彦の軍が大和政権(大和朝廷)軍と戦い、安彦は討たれ、多くの戦死者の霊が崇ったという。その後、村で悪疫が大流行し、人々は畏れ齋み籠った。この悪疫退散の祈祷により鎮まったことに因むという。(『日本書紀』)。
 また、安彦が斬首された時、その首は川を越え祝園(ほうその、精華町)まで飛び、胴体は棚倉(山城町)に残ったという伝承がある。
 また、かつて、東方の三上山(さんじょうやま)から鳴子川へ大蛇(水神)が出て村人を困らせた。この時、義勇の士が蛇を退治した。蛇の首は祝園に飛び、胴体は棚倉に残ったともいう。
 二つの伝承を受けて、祝園神社でも居籠祭が齋行されている。祝園神社では、安彦の首を模った竹輪を用い、涌出宮では胴体を模った大松明を燃したともいう。
 当社の居籠祭は、中世以来続く宮座行事になっており、重要無形民俗文化財に指定されている。祭りは神事と氏子の居籠からなる。現在の居籠祭は、与力座により運営され、古川座、歩射座、尾崎座が加わる。穢れに触れないように家に籠り、3日間物音を慎み、精進する。かつては「音無しの祭」といわれ、一切の物音をたてることが禁じられた。氏子の家の入口に筵が吊るされ、家に居籠り年乞の祈りが成就されるまで物忌した。
 かつては陰暦正月の午、未、申の3日間行なわれていた。その後、2月15日-17日の3日間行なわれるようになり、近年、2月第3土・日曜日に変更された。
 次のような神事がある。門(かど)の儀・大松明の儀(永々納灯祭)(2月15日、午後8時)、勧請縄(かんじょなわ)奉納の儀(2月16日、午後2時)では、門の冠木に縄が巻きつけられ、一切の災いを封じ込める。饗応(あえ)の儀・御田(おんだ)の式(お田植祭、農耕作業を疑似的に行い、豊作を約束付ける)(他見をはばかる神事)(2月17日、午後2時-4時)。
 森廻り神事、野塚神事、御供炊(ごくた)き神事、四ツ塚神事(2月15日午前1時-18日午前5時)、3日間毎夜続けて行われる野塚祭では、神職が境外の野塚三ヶ所へ農機具、御供を納めに行く。望見(様を見る)は禁じられている。
◆建築 「本殿」(京都府登録文化財)は江戸時代、1692年の造営であり、三間社流造、屋根には千木(ちぎ)、勝男木(かつおぎ)を置く。(「堂社氏子僧遷宮記」)。華やかな装飾に元禄期の特徴を残している。1975年に檜皮葺から銅板葺に葺き替える。
 「拝殿」(京都府登録文化財)も、1692年に造営された。
 室町時代の「四脚門」(山城町登録有形文化財)は、桁から下に一部、室町時代末の材を用いている。
 ほかに前拝所などが建つ。
◆文化財 室町時代末の書写「湧出宮大明神祝詞」(祈年祭祝詞)、「堂社氏子僧遷宮記」「和伎座天乃夫伎賣大明神源縁録」。
 江戸時代、1765年の「湧出宮大明神社記」には、伝承、来歴、居籠り祭、1000年祭などのことが記されている。
 中世、近世の宮座に関する文書5通が所蔵されている。室町時代、1560年、江戸時代、1623年、1704年、1717年、1840年になる。
 「本殿棟札」12枚(府登録有形文化財)。
◆石造文化財 南北朝時代の石造燈籠1基、室町時代のもの1基。 
◆湧出宮遺跡 1969年より境内での発掘調査が行われた。湧出宮遺跡といわれている。
 縄文時代前期(B.C.7000-A.D.5500)の土器、石器、弥生時代中期(B.C.370-A.D.100)の土器片、石器などが発見された。縄文時代の竪穴式住居跡も確認され、当時の集落があったとみられている。また、周辺の遺跡より古墳時代の出土品もある。1983年、京都府により遺跡指定された。
◆鎮守の森 境内の鎮守の森は、府文化財環境保全地区になっており、ブナ科コナラ属の常緑高木、イチイガシの群生が見られる。自生種であり、府下でも珍しいものという。
◆年間行事 元旦祭(1月1日)、七草祭(1月7日)、居籠(斎籠)祭(いごもりさい)(2月第3土日)、女座(おなござ)の祭(岡之座、中村座の女衆が大根で作った擬物<なぞらえもの>の前で会食後、神前に供え神楽奉納する。)(春の彼岸中日)、アーエーの相撲(大座<おおざ>、殿屋座<とのやざ>、岡之座、中村座から各男児2名が相撲を奉納する。)(9月30日)、例祭(百味御食(秋祭)(大座、殿屋座、岡之座、中村座が各戸から集めた野山の収穫物を供物として神に奉納する。)(10月16日)、新嘗祭(11月23日)。  
 月次祭(毎月1日)。


*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 当社「案内書」『京都・山城寺院神社大事典』「特別展 南山城の寺社縁起」『意外と知らない京都』『京都の地名検証』『古代地名を歩くⅡ』


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