深泥池地蔵 (深泥池会館) (京都市左京区)
Midorogaike-jizo Temple

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御詠歌「たちいでて また たちかえる みぞろ池 とみをゆたかに まもるみ仏」
 深泥池(みどろがいけ)の西、小さな地蔵堂に、深泥池地蔵(みどろがいけじぞう、深泥ガ池地蔵)が安置されている。姉子(あねご)地蔵とも呼ばれた。
 一帯は、かつて愛宕郡深泥ガ池村と呼ばれ、鞍馬、貴船に通じた鞍馬街道の道筋に当っていた。街道に祀られた地蔵尊は、京の「廻り地蔵」の一つに数えられていた。
◆歴史年表 平安時代、保元年間(1156-1158)、西光(さいこう)法師は、京都の七道の入り口に、7体の地蔵尊を安置し、「廻り地蔵」と呼んだという。東海道の四宮(しのみや)河原、木幡(こわた)の里の奈良街道、造道(作り道)の鳥羽街道、西七条の山陰街道、蓮台野の周山街道、西坂本の大原街道、それに深泥池の鞍馬街道にあった。(『源平盛衰記』巻6)
 室町時代、鞍馬街道には関所が設けられ、関料を徴収していた。地蔵尊は深泥池の西辺の地蔵堂に安置され、人々は行路の安全を祈願したとみられる。
 近世(安土・桃山時代-江戸時代)、六地蔵巡りが盛んになり、地蔵尊はその霊場の一つに数えられた。
 近代、1869年、廃仏棄釈(1868)後、深泥池地蔵は、賀茂の神領外に追放された。地蔵尊は上善寺(上京区)に遷され、以後、鞍馬口地蔵と呼ばれた。
 1869年、深泥池村は火災に遭う。
 1883年、深泥池村は再び火災に遭う。
 1895年、十念寺(五条)の西光組より新たに地蔵菩薩が地蔵堂に遷された。以後、深泥池地蔵として崇敬を集めている。
◆地蔵 かつて地蔵堂に安置されていた深泥池地蔵は、像高8尺(2.42m)あった。平安時代の小野篁(おの の たかむら、802-853)作ともいわれた。かつて、伊勢の海に漂着した地蔵尊という。「姉子(あねご)地蔵」とも呼ばれたのは、六地蔵巡りの源光庵(右京区常盤)の地蔵菩薩が、「乙子(おとこ)地蔵」と呼ばれたのに対比されていたともいう。近代、1869年、廃仏棄釈後に賀茂社の神領外に追放された。その後、上善寺(上京区)に遷され、いまは「鞍馬口地蔵」と呼ばれている。鞍馬口地蔵は、面長で耳朶が細く長く、頭の3分の2ほども占める。首から胸にかけて細かな細工の瓔珞で飾られている。右手に宝珠を掲げ、左手に錫状を持つ。木造漆箔、像高は2mほど。
 現在、地蔵堂に深泥池地蔵として安置されている地蔵菩薩立像は、近代、1895年、十念寺(五条)の西光組より遷された。この地蔵尊も小野篁作とされる。像高6尺3寸(1.9m)。
◆石仏 境内には、鎌倉時代末期-南北朝時代作という弥勒菩薩坐像が祀られている。「御菩薩」とも呼ばれていた。首下より折損しており、後に修理が施されている。像高100cm、幅70cm、厚さ30cmある。 
 かつて境内には、この弥勒菩薩像を含み、7体の石仏が安置されていた。1944年、戦時下で町内役員は防空壕設置を理由とし、このうちの6体の石仏(釈迦如来像、文殊菩薩像、薬師如来像、金剛界台如来像、延命地蔵菩薩像、勢至菩薩像)をほかに遷したという。その後、行方は知れず弥勒菩薩のみが残された。
◆文化財 1895年、深泥池村総代と西光組頭との間に交わされた地蔵尊の「御本体授受に関する書状」が残る。
◆年間行事 地蔵盆(門念仏、六斎念仏奉納、御詠歌奉納)(8月22日-23日)。 


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京のお地蔵さん』、貴舩神社奉賛会の案内板


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深泥池地蔵

石仏、弥勒菩薩坐像
深泥池地蔵 〒603-8047 京都市北区上賀茂深泥池町46   
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