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弥勒院 (京都市左京区) Miroku-in Temple |
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弥勒院 | 弥勒院 |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 本堂 ![]() ![]() 【参照】琵琶湖疏水 |
哲学の道に面して弥勒院(みろく-いん)が建つ。幸せを招くという幸せ地蔵尊が祀られている。 聖護院の末寺、本山修験宗。本尊は大日如来を安置する。 事業を営む人の守護神、除災 縁結びの信仰がある。お守り、絵馬などを授与する。 ◆歴史年表 江戸時代、天和年間(1681-1684)、聖護院の西(現在の京大病院付近)に長泉寺が創建された。この寺を前身とする。富士垢離行屋の組頭として聖護院配下に入る。 近代、1896年、明石の弥勒院(1747年創建)と合併し、弥勒院に改めた。 1927年、現在地に移転する。 ◆仏像・木像 本堂に本尊・大日如来像を安置している。富士山の本地仏・大日如来を勧請したという。 脇侍に不動明王像、左脇に役行者像、右脇に天台宗寺門派の開祖・円珍像が祀られている。 いずれも前身の長泉寺より遷され、江戸時代の作という。 ◆幸せ地蔵尊 幸せ地蔵尊は、かつて、室町の商家に安置されていた。戦時中に当院に譲られ本堂に遷された。江戸時代作という。2014年に修復された。 幸せを招く地蔵尊として信仰されている。 ◆富士垢離行家 垢離(こり)とは、山伏や修験者(しゅげんしゃ)が神仏に祈願する際に、冷水、海水を浴びて身を清めることを意味した。 富士山修験者の村山修験(むらやま-しゅげん、富士宮市)は、室町時代に聖護院門跡に属し、以来、聖護院門跡の直末になった。村山修験は、対外的には富士垢離を行った。富士行者山伏が、ある期間に毎日川辺に出て、富士権現を遙拝した。これは、富士参詣と同じ徳を持つとされた。 富士山より遠い西国の京都、伏見、大津などには「富士垢離行家」があった。村山修験の先導の下で、行を取り仕切る集団だった。村山修験は、勢力拡大のために制度や先達免許を専有し、聖護院門跡の名により富士垢離を認可した。やがて、特殊な信仰形態化し、村山修験も衰退していった。 なお、才知院(廃寺、後に積善院に合祀、左京区)は、かつて長泉寺の下寺として富士垢離に関わっていたとみられている。 ◆年間行事 花まつり・灌仏会(甘茶かけ)(4月8日)、精霊送り(塔婆回向)(8月16日)、大日盆採燈大護摩供(8月28日)、しあわせ市(11月中旬-12月初旬)。 *年間行事は中止・日時変更、拝観中止・時間変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 「弥勒院」、ウェブサイト「富士垢離-富士市立博物館」、ウェブサイト「積善院凖提堂」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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