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大岩神社 (京都市伏見区) Oiwa-jinja Shrine |
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大岩神社 | 大岩神社 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 竹林の中の参道 ![]() ![]() 沼 ![]() 白姫龍神大神 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 石鳥居、堂本印象作 ![]() 石鳥居 ![]() ![]() 石鳥居、武人風 ![]() 石鳥居、地蔵菩薩様 ![]() ![]() 石鳥居、兎 ![]() 石鳥居、兎 ![]() 石鳥居、紋様 ![]() ![]() ![]() 「印象鳥居 昭和三拾七年」の銘 ![]() 狛犬 ![]() ![]() 岩滝社 ![]() 岩滝社 ![]() 岩滝社 ![]() 岩滝社、倒木直撃時の社殿 ![]() 岩滝社、岩瀧大神 ![]() 岩滝社 ![]() 滝 ![]() 滝場 ![]() 滝、毘沙門天像 ![]() ![]() ![]() 社殿、荒廃時の様子。 ![]() ![]() ![]() ![]() 味山弁財天 ![]() ![]() 権太夫大神 ![]() 権太夫大神 ![]() 物故役員諸霊奉斎場 ![]() 白岩大神 ![]() 大岩神社 ![]() 大岩神社 ![]() 大岩神社 ![]() 大岩神社 ![]() ![]() 大岩神社、本殿 ![]() 大岩神社、本殿 ![]() 大岩神社、本殿 ![]() 大岩神社大岩大神 ![]() 大岩神社小岩大神 ![]() 手水舎 ![]() 手水舎 ![]() 大岩神社 ![]() 大岩神社 ![]() 大岩神社、社務所、荒廃している。 ![]() 大岩神社石鳥居、堂本印象作。 ![]() ![]() 鳥居 ![]() 鳥居 ![]() 鳥居 ![]() 大岩山よりの西の眺望、愛宕山、西山、京都市街地、晴れていれば大阪市街地も見渡せる。 |
大岩山(184m)の中腹より山頂付近にかけて、大岩神社(おおいわ-じんじゃ)の境内になっている。社殿、お塚などが複数点在している。かつて、「大岩大明神」とも呼ばれた。現在、一部の社殿は倒木被害などにより荒廃が進んでいる。 祭神は、山頂付近に巨岩の大岩(男神)、小岩(女神)の二神石を祀る。 かつて、胸から上の病、結核治癒、心の病(ノイローゼ)平癒などの篤い信仰を集めた。特に、致死率の高い病だった結核感染者は、人里離れた当社に参詣した。治癒するとお礼の小絵馬を社殿に奉納していた。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 古来より、「難病の神様」といわれ信仰された。 近世(安土・桃山時代-江戸時代)、創祀されたという。 江戸時代、大岩、小岩の間に不動明王が祀られていた。 江戸時代末-近代、明治期(1868-1912)初期まで、社殿の火災が続く。その際に社殿、古文書も焼失したという。その後、再建される。 近代、1868年、神仏分離令以後、大岩大神、小岩大神と呼ばれる。不動明王は滝の行場に遷された。 現代、1962年、日本画家・堂本印象作の石鳥居が奉納された。 ◆堂本印象 近現代の日本画家・堂本印象(どうもと-いんしょう、1891-1975)。男性。本名は三之助。京都の生れ。父・酒造業・堂本伍平、母・芳子の3男。兄・寒星(かんせい)、漆軒(しっけん)。1910年、京都市立美術工芸学校図案科を卒業した。父没後、進学かなわず、三越図案部、西陣織の龍村平蔵の織物工房で図案描きに従事する。1912年頃、印象と号した。1918年、日本画家を志し仕事を続けながら、京都市立絵画専門学校に入学する。西山翠嶂(すいしょう)に師事した。1919年、翠嶂主宰の画塾「青甲社(しょうこうしゃ)」に入る。初出品の「深草」は第1回帝展に入選する。1921年、「調鞠(ちようきく)図」が第3回帝国美術院賞特選を受賞した。1922年、平和記念大正博覧会で「猫」が金賞を受賞した。初の中国旅行をしている。1924年、絵画専門学校研究科に進み修了した。帝展審査員になる。1925年、「華厳」が第6回帝展美術院賞を受賞する。この頃より、寺院襖絵などを手掛けた。1930年-1932年、京都市立美術工芸学校の教諭になる。1934年、画塾「東丘社」の主宰者として後進を育成した。1936年、京都市立絵画専門学校教授になる。1944年、帝室技芸員になる。戦後、日展を中心に活躍した。1950年、芸術院会員、1952年、甥・尚郎とイタリア、フランス、スペイン、西ドイツ、スイスなどを訪れた。1955年以降、「生活」より抽象表現に入る。1959年、抽象画による第1回個展を開いた。1961年、再渡欧し、代表作「交響」を発表した。文化勲章を受章している。1963年、大阪カテドラル聖マリア大聖堂の壁画「栄光の聖母マリア」は、ローマ教皇ヨハネス23世より聖シルベストロ文化第一勲章を受章した。1966年、自宅近くに、自作展示の堂本美術館(北区)を設立した。83歳。 作風には、仏教、東洋思想の影響も見られた。没後、1991年、美術館、所蔵作品は京都府に寄贈される。1992年、京都府立堂本印象美術館として開館した。 ◆鳥居 境内には、堂本印象(1891-1975)作による大小2基の石鳥居が立てられている。1基は石段下に、もう1基は石段上の本殿近くに立つ。現代、1962年に建立された。石銘板には、「印象鳥居 昭和三拾七年(1962年) 堂本印象寄進」と刻まれている。印象と母は当社の熱心な信者だったという。病平癒したため、お礼に奉納したという。 鳥居は角柱であり、4面に地蔵・武人・女神など抽象的な造形の人物像、兎などの動物像、様々な紋様などが浮彫りされている。石工は中村広次郎による。 ◆大岩山 境内のある大岩山は、京都市内の南東に位置している。伏見区と山科区の区境にあり、標高は184mある。古生層の山になる。山は、伏見の地下水の水源の一つという。 ◈植物は、ヤマザクラ(花期3-4月)、ショウジョウバカマ(4-5月)、ウワミズザクラ(4-5月)、ヤブジラミ(5-7月)、コウゾリナ(5-10月)、コクラン(6-8月)、ミゾソバ(7-12月)、クサギ(8-9月)、カラスウリ(8-9月)、アキノノゲシ(8-10月)、コヤブタバコ(9-10月)、シャガ、フユイチゴ、ヤブミョウガ、シュウカイドウ、ミズヒキソウ、モチツツジ、ヒヨドリバナなどが確認されている。 ◈タヌキが生息しているという。 ◈安土・桃山時代、1582年、山崎の戦いでは、豊臣秀吉に敗れた明智光秀(1528-1582)は、この山を越えて小栗栖に向かったともいう。池にはその時の武具が沈んでいるともいう。 ◈伝承として、深草の少将は、この山を越えて山科に通っていたともいう。 *近年の台風被害などで境内はさらに荒廃し、周辺の山林の様相も一変しています。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都大事典』、『稲荷信仰と宗教民俗』、『京の文化と藝術-立命館大学文化講座 京都に学ぶ 8』、「伏見環境チーム」の表示板 、『山科事典』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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