六請神社 (京都市北区)
Rokusho-jinja Shrine
 六請神社  六請神社 
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 六請神社(ろくしょう じんじゃ)は、真如寺の西隣に位置している。六所明神、衣笠岳御霊社などとも呼ばれた。俗称として六所を「むしょ」とも呼び、墓所(むしょ)の転訛ともされた。
 祭神は、本社に伊勢大御神(いせのおおかみ)、石清水大神(いわしみずおおかみ)、賀茂大神(かものおおかみ)、松尾大神(まつおおおかみ)、稻荷大神(いなりおおかみ)、春日大神(かすがのおおかみ)の6座を祀る。また、天照大神(あまてらすおおかみ)を主神とするともいう。末社に力石大明神を祀る。
◆歴史年表 創建の詳細は不明。
 上古(飛鳥時代、645年以前)、この地の開拓者の霊を祀り、祖神の天照国照神(あまてるくにてるのみこと)、大国御魂神(おおくにみたまのかみ)に六柱を勧請し、六請神と呼ばれたともいう。衣笠山に葬られていた御霊を祀る社であったという。衣笠御霊、また衣笠岳御霊とも呼ばれたという。(『山城名勝志』)
 平安時代、1005年、絹笠岳(きぬがさおか)の御霊会が催され、この時の六所(柱)を祀るものという。(『日本紀略』)
 中世(平安時代後期‐安土・桃山時代)以来、衣笠は埋葬地となる。六地蔵信仰と習合し、六の字が社号に加えられる。そのため、祭神も六社に限定されたともいう。
 南北朝時代、1341年、足利氏の等持院建立以来、その鎮守社として境内に祀られた。
 室町時代、1433年、1443年、六所神社神前で猿楽が行われている。
 近世(安土・桃山時代-江戸時代)、等持院、真如寺の鎮守社となる。また、周辺の松原村、等持院門前村の産土神として、六請明神社、六所明神、春日明神などとも呼ばれた。(『山城名跡巡行志』『山城名勝志』)
 近代、1868年の神仏分離令後の廃仏毀釈後に現在地に遷されたという。
衣笠山 衣笠山(201m)は、絹笠山、衣掛山、北山とも呼ばれた。山は一の丘、二の丘、三の丘からなる。山頂には、平安時代の衣笠山遺跡がある。
 衣笠山は古代(奈良時代-平安時代)の葬送地であり、山中、山麓一帯で風葬が行われ、遺骸は放置されていた。
 衣笠の地名は俗説として、平安時代の第59代・宇多天皇が、御室御所より真夏に雪景色が見たいと山に白絹をかけさせたという逸話より、「きぬかけ山」とも呼ばれともいう。(「山城名跡志」)。また、山の形が絹張りの長柄の笠に似ているからともいう。また、葬送地であったことから、風葬の際に遺骸を藁や衣類で覆った。また、布の絹掛(布帛、ふはく布地)で蔽い、遺体の頭に笠を被せたことに因むともいう。
 鎌倉時代、1286年、無学祖元の弟子・無外如大尼は、衣笠山山頂に無学の遺爪髪を祀る塔所を建てた。その後身が真如寺になる。
 なお、衣笠山麓周辺には、第78代・二条天皇香隆寺陵、第67代・三条天皇北山陵、第73代・ 堀川天皇後円教寺陵、第59代・宇多天皇大内山陵、第66代・一条天皇円融寺北陵が点在している。
◆年間行事 初祭(1月最終日曜日)、節分祭(2月3日)、勧農祭(7月最終日曜日)、出御祭(10月10日に近い日曜日)、神幸祭(10月最終日曜日)、火焚祭(11月 第4日曜日)。


*年間行事の中止、日時変更、拝観時間変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『洛西探訪』『京都大事典』


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拝殿

拝殿

本社

末社、力石大明神

力石大明神

力石大明神

力石大明神、古くより石を祈願し持ち上げればあらゆる力を授けられるといわれている。天命9年(1623)以来ともいう。現在では、小石に願い事を書いて奉納する。
 六請神社 〒603-8347 京都市北区等寺院中町53  075-463-7238
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