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賀茂大橋・糺河原・鴨川デルタ (京都市上京区) 
Kamo-ohashi Bridge
賀茂大橋・糺河原・鴨川デルタ  賀茂大橋・糺河原・鴨川デルタ
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北東方向、左手奥に比叡山








賀茂大橋からの北の眺望、左は賀茂川と出町橋、右は高野川と河合橋。



糺の森に架かる虹






鴨川デルタ周辺、 OpenStreetMap Japan




石燈籠


上流、大文字山



比叡山


下流、比叡山


下流、北山


下流


下流、右奥に比叡山


千鳥形の飛び石


飛び石


飛び石



比叡山、日出


朝焼けの中の白い大文字


光虹





京都市登録史跡・大原口の道標、賀茂大橋の西、寺町今出川交差点北東、碑は1868年建立。ここ大原口が若狭街道の出入り口に当たっていた。


【参照】かつて市内を走っていた市電
 今出川通に架かる賀茂大橋(かもおお/かもおほ-はし)は、西からの鴨川と東からの高野川の合流点、三角州・糺の森のすぐ下流に位置している。
 橋の上からは、北には北山、西に比叡山、大文字山、東山の峰などを一望することができる。
 橋の東にある大文字山は、「山当て」といわれる景観手法が用いられている。これは視線の先に山がくるように、通りの方向を定めた古来からの都市計画の一つになる。
◆歴史年表 南北朝時代、1353年、疫病が流行り、糺河原に8万4000基の石塔が立てられ病平癒を祈願する。
 室町時代、1464年、鞍馬寺の塔建立のため、糺河原で勧進能が催され、将軍・足利義政・日野富子・大名らも参列した。(『糺河原勧進猿楽日記』)
 江戸時代、1645年、干菜山光福寺の八幡宮再建のため、糺河原で勧進相撲が催された。(『古今相撲大全』)
 1654年、『新版平安城東西南北町井洛外之図』には、大原口(賀茂大橋)の記載がある。
 近代、木橋が架かり、「出町橋」、「今出川橋」とも呼ばれていたという。
 1931年、近代の建築家・武田五一の意匠設計により現在の橋が架けられる。7月10日、渡初式が行われた。(「京都日出新聞」)
 現代、1981年より、夜間に欄干の14基の石灯籠(ナトリウム灯)に灯りが入る。
◆武田 五一 近代の建築家・建築学者・武田 五一(たけだ-ごいち、1872-1938)。男性。備後福山(広島県)の生まれ。父・備後福山藩士・司法官・平之助(直行)、母・八重の第5子。父の赴任に従い、神戸、姫路、岐阜、高知に住む。1888年、京都第三高等中学校補充科に入学した。1894年、京都第三高等中学校本科を卒業し、京都帝国大学工科大学造家学科に入学する。1897年、帝国大学(東京帝国大学)造家学科(建築学科)を首席卒業し、同大学院に進学した。1899年、大学院中退後、東京帝大助教授に任じられる。東京高等師範学校講師嘱託、東京美術学校教官になった。1901年-1903年、文部省より命じられ欧州留学する。ロンドン・カムデン美術学校で学び、各地を巡る。アール・ヌーボー、セセッションなどを体験する。1903年、帰国後、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科教授になる。1904年、京都府技師を兼任し、平等院鳳凰堂・鹿苑寺金閣の保存に関わる。1907年、東京・福島行信邸で、日本初のウィーン・セセッションの様式を試みた。アール・ヌーボーの造形を紹介する。1908年、大蔵省臨時建築部技師を兼任し、国会議事堂建築のために欧米視察した。1912年、パナマ太平洋万国博覧会事務取扱嘱託になる。1915年、工学博士学位を取得する。勲四等瑞宝章を受賞した。1916年、法隆寺壁画保存会委員になる。1917年、片岡安らと「関西建築協会」を設立する。1918年、名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)校長に転任した。1920年-1932年、京都帝国大学建築学科創立に伴い教授になる。1925年、大蔵省営繕管財局技師を兼任した。1929年-1931年、京都帝国大学営繕課長事務取扱として学内建築物の造営に関わる。1931年、欧米出張し、19カ国を訪れた。1934年以来、法隆寺大修理工事事務所長を務める。65歳。
 「関西建築界の父」といわれた。奈良・京都の古社寺保存修復、橋梁、博覧会場、公園、記念碑、都市計画、街路施設、家具意匠、染色なども手掛けた。主な作品として、旧日本勧業銀行本店(1899) 、日本初のセセッション建築とされる東京・福島邸(1907)、京都府立図書館(1909)、京都・円山公園(1912)、京都・同志社女子大学ジェームス館 (1913) 、京都・旧松風嘉定邸 (現・五龍閣、1914)、山口県庁舎・県会議事堂(1916) 、大阪・瀧安寺鳳凰閣(1917) 、兵庫・清水寺根本中堂・大講堂・本坊・客殿(1917) 、東京・旧村井吉兵衛邸(現・延暦寺大書院、1919) 、 兵庫・清水寺鐘楼 (1919)、兵庫・光明寺根本本堂(1925) 、 和歌山・高野山大学図書館 (1928)、代表作の東方文化学院京都研究所(1930)、京都・同志社女子大学栄光館(1932) 、鳥取・三朝大橋(1934年) など多数。葵橋、賀茂大橋なども設計した。
◆賀茂大橋 現在の賀茂大橋の架設年は近代、1933年になる。意匠設計は、近代の建築家・武田五一による。石製高欄、歩道燈籠など和風意匠が取り入れられている。
 橋種は8径間ゲルバー鋼プレートガーターであり流水部の中央の4径間はゲルバー式鋼板桁、両端の2径間は、単純桁が組み合わされている。石灯篭の高欄などの一部は石造になっている。石燈籠の欄干は全部で14基あり、1981年からナトリウム灯が点灯されている。
 橋長は鴨川に架かる橋の中で最長の141.4m。橋の幅は22m/23.2mある。路線名は銀閣寺宇多野線。
鴨川 鴨川(かもがわ)は加茂川、賀茂川とも表記されている。三角州で加茂川、高野川が合流し鴨川になる。公的には鴨川で統一されている。
◆三角州 鴨川と高野川の合流点である出町三角州は、「糺河原」、「出町剣先」、「鴨川デルタ」などとも呼ばれる。
 この付近は、洛中と洛外の境に位置し、京の七口の要所の一つになっていた。二川の水運の要衝地であり、下鴨神社(賀茂御祖神社)への参道にも当たっていた。行幸・御幸・賀茂際の行幸路になっていた。
◆大洪水 近代、1935年6月に鴨川大洪水が起き、大きな被害が出た。
 翌1936年から鴨川・高野川の整備工事が進められる。川底を下げ川幅を広げ、川筋を整えて堰をつけ、岸には護岸石を積み上げた。戦時下のため、資材は不足し工事も遅れる。
 1943年に国の援助を得て、戦後の1947年に現在の姿に完成した。
◆大原口 近代、大正期(1912-1926)以前には、寺町今出川の大原口付近のことを「出町」といった。また、「今出川口」、「出町口」とも呼ばれた。当時の今出川通は、河原町と新町の間の短い小路に過ぎなかった。
 旧出町(大原口)は、近江、若狭へ向かう「京の七口」の一つだった。若狭小浜に至る若狭街道(大原道、大原朽木越、途中越、竜華越、魚街道、鯖街道)の起点になっていた。
 江戸時代、この旧出町の通りの東は行き止まりで、東端は河原町通で旧伏見宮邸に突き当たっていた。鴨川に出るには、一度北へ迂回して上がり、さらに東へ進まなければならなかった。
 1921年頃、今出川通の西への延伸拡張工事が行われる。昭和(1926-1989)に入り、通りの東への延長工事が始まる。1931年に伏見宮邸の北半分が撤去される。1931年に、現在の賀茂大橋が架橋された。
◆市電 橋にはかつて、市電が通じていた。近代、1912年、京都市電気軌道事務所は、市電の烏丸線、千本・大宮線、四条線、丸太町線を開業している。1931年、今出川線が延長され、河原町今出川、賀茂大橋、百万扁が結ばれた。だが、今出川線(銀閣寺道-北野白梅町)は、現代、1976年に廃止された。
◆鴨川公園 周辺には、鴨川公園(葵公園)、下鴨神社・糺の森などの都市の中の豊かな自然がある。橋のすぐ上流には、「飛び石」が設けられている。これらの石は、鴨川の川底の安定のためのもので、護床工事に付随して設置された。
 一帯は景観が確保され、親水公園として、鴨川の象徴的な場所になっている。また、市民の様々な催しの広場としても機能している。
◆今出川 かつて、今出川(河)という小川が流れていた。このため、通り名も今出川通と称されるようになる。それ以前の通り名は、古くは北小路と呼ばれた。
 今出川とは、雲ヶ畑の中津川とつながり、「今出てきた川」といわれたことによるともいう。ただ、現実には中津川は鴨川に合流している。
 今出川は、鴨川から取水し、一条の北二町、堀川の東を北から流れ下り、京極通(寺町通)、六条付近(現在の五条橋付近)で鴨川に合流していた。途中、中河(中川)、京極川と名を変えた。(『山州名跡志』)
 京極川は、平安京の東端にあり、南北に流れ下っていた。川幅は4丈あり、堀川と同じだった。鎌倉時代、この京極川と上流部の東洞院川を結び今出川が生まれた。
 中河は平安時代以降に生まれている。東河(鴨川)と西河(桂川)の間にあることから中河とされた。近世には、松原橋の下で高瀬川に合流していた。また、藍染川に分流していた。
 中河沿い東、鴨川にまで及ぶ広大な法成寺、西には藤原定家、紫式部の曽祖父・藤原兼輔(堤中納言)の屋敷などが建ち並んでいた。ここで『源氏物語』も執筆されている。なお、兼輔が堤中納言といわれたのも、庭には川から水が引かれていたためという。
 この中河と鴨川の間、現在の御所の東付近に、『蜻蛉日記』の道綱母も住んだ。室町時代、足利義視の今出川第(今出川殿)があった。
 今出川は、市電の開通とともに暗渠化(1917)されている。
◆送り火 
五山の送り火(8月16日)の際には、「大」、「法」を橋上から見ることができる。以前は、「船形」も見えたという。
◆映画 
◈ 現代劇映画「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」(監督・山田洋次、第29作、1982年、松竹)では、三角州で寅(渥美清)が露天を開く場面がある。鴨川畔で陶芸家の老人(13世・片岡仁左衛門)に出会う。葵祭も紹介されている。
 ◈ 鴨川合流点付近で、現代劇映画「お引越し」(監督・相米慎二、1993年、讀賣テレビ放送)が撮影された。
◆アニメ ◈アニメーション『けいおん!(第1期)』『けいおん!!(第2期)』(原作・かきふらい 、監督・山田尚子、制作・京都アニメーション、第1期2009年4-6月、第2期2010年4月-9月、第1期全14話、第2期全27話)の舞台になった。OPで鴨川デルタ、飛び石が登場する。
 
◈アニメーション『四畳半神話大系』(原作・森見登美彦、監督・湯浅政明、制作・マッドハウス、2010年4月-7月、全11話)の舞台になった。第1話で橋、鴨川デルタ、五山送り火のシーンがある。   ◈劇場版アニメーション『ハル』(監督・牧原亮太郎、制作・WIT STUDIO、2013年6月8日)の舞台になった。鴨川デルタ、飛び石が登場する。
 ◈アニメーション『有頂天家族』『有頂天家族2』(原作・森見登美彦、監督・吉原正行 、制作・P.A.WORKS、第1期2013年7月-9月、全13話、第2期2017年4月-6月、全12話)の舞台になった。第1期第2話に橋西詰、第2期第2話、第12話に橋、鴨川デルタが登場する。 

 
*参考文献・資料 『京の鴨川と橋 その歴史と生活』、『京の橋ものがたり』、『京をわたる 橋がつなぐ人と暮らし』、『京都水ものがたり 平安京一二〇〇年を歩く』、『京都学問所紀要 第二号』、『シネマの京都をたどる』、『京都シネマップ 映画ロマン紀行』、『京都の地名検証』、『親と子の下鴨風土記』、『武田五一建築標本』、ウェブサイト「京都市橋りょう長寿命化修繕計画 別冊資料 京都市管理橋りょう一覧 、平成28年4月現在」、『京都の歴史10 年表・事典』、ウェブサイト「アニメ旅」、ウェブサイト「コトバンク」


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